携帯機種変更

2004年9月10日 日常
緑野先生とお食事した後、汐美DSに向けてメールを打ちまくっていた私をアクシデントが襲った。

ぎゃー!何!?この送信簿!メールが全部全部化けてる!!!

この春先から実はかなり調子が悪かったMY携帯。薄型で大売り出ししたけど、同時期にカメラ付きが標準となって、シェアを落とす原因となってしまったDocomoのPの携帯。

私はカメラはデジカメを持ち歩いているのであまり必要性を感じず、この薄さ、軽さ、ワンタッチでオープンする使いやすさが気に入ってずっと使っていた。

春、一度全ての文字が化けた。送信簿も受信簿もアドレス帳も。

真っ青になって再起動したらなんとか元に戻り、慌ててバックアップを取ろうとしたけど、その頃はまだ職場復帰もしておらず、ヨドバシに行く自由も無く、バックアップソフトを入手できず全部手書きで写しましたよ、電話番号とアドレス帳。

その後も1ヶ月に1度の割合で化けては、休ませると元に戻るを繰り返していた。
だましだまし使っていたのは、気に入りの端末が出なかったせい。私は最初からずっとP(Panasonic)を使っていて、気に入っている気にいないは別として、操作性が同じで面倒じゃない、ACアダプタも使えるっていうことも大きくて、また次もPと決めていた。

FOMAが出始めて、いまいちムーバに力が入らなくなってしまったDocomoの端末に魅力を感じなかったのだ。

買い替えなきゃー、でも気に入らないー、でもヤバいー、と思っていたが、とうとう、その日が来てしまった。

あ、これも汐美真帆さんが退団発表するからこういうことが起こるんですね。

今回は何回再起動しても全く元に戻らない。受信簿もアドレス帳も大丈夫。送信簿はダメだが送信はできるらしい。でも、送信した内容の控えがなくなる。いつぶっ壊れるか分からない。

震え上がった私は9日の朝、買い替えることを決意した。

この汐美さん退団のせっぱ詰まった時に、宝塚ファン3種の神器のひとつが使えなくなるなんて考えられないし、息子の保育園との連絡はこれが頼り。何かあった時には携帯でつながる母子なのだから。

ネットで調べると、ドコモショップはいずれも10時開店。会社を遅刻して買いに行くのだから少しでも早く済ませたい。梅田についてふと、ヨドバシカメラが9時半からやっていることに気が付き、機種だけでも決めようと思い、携帯のフロアへ足を運んだ。

さすがにガラガラの店内でゆっくり見定める。今のDocomoのムーバでは、252系のちっちゃい分か、506系のお財布携帯しかない。その前の普通のカメラ付きがいいなと思っていたのに。店員に聞いてももうないという。

FOMAは通話エリアが狭く(実家では普通の携帯ですらあやしい時がある)、バッテリーが長持ちしないと聞いていたのでパス。

となると、おもちゃみたいなちっちゃい系はイヤだから、お財布携帯となる。迷っている暇はない。

Docomoショップで買おうと思っていたが、さすがヨドバシ、店員教育が行き届いていて、若いにーちゃん店員だったがおまかせくださいの雰囲気に満ちあふれていて、ここで買っちゃえ、となった。

アドレス帳の移し替えも予定時間より早くすみ、新しくなった携帯を手にすることができてほっとした。持っていない間に保育園から電話がかかってきたらどうしよう、今、地震がきたらどうしよう・・・。
わずか30分程度なのに、携帯が手元にないということに不安を感じている自分にびっくりした。

待っている間に液晶保護シートとストラップを物色。ホイッスルのストラップを買った。もし地震で何かの下敷きになったとき、携帯にホイッスルがついていれば吹けるという話を聞いてなるほどな、と思ったので。

受け取った足で、近くのDocomoショップに向かう。ショップというよりステーション、かな?かなり大きな所。以前、知人の日記で、アドレス帳だけでなく、メールもブックマークも移してくれるサービスがあると知ったので。
他店で買っても無料やってくれるということなので、頑張って行った。

なるほど、知人のレポート通り、パソコンを仲介して古い携帯から新しい携帯へ、データを移行できた。全部で20分程度しかかからなかった。オペレーターのおねえちゃんが付きっきりで面倒みてくださったし。

ということで、新しい携帯が手元にきて、ほっとしている。古い携帯はまだ充電を続けている。息子が前々から欲しがっていたのだ。古い携帯は全部とってあって、全て息子に与えているが、ママの使っているような二つ折りが欲しくてたまらなかったのだ。

大喜びでボタンも光り、発信音もする携帯を握りしめている。当分は使えるように充電してやろうと思う。

新しい携帯への感想はそのうちに。2年半もたつと大分かわってますなぁ。

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