リアルト橋とパッサージュ
2004年12月1日 宝塚ふと思い出した。
数年前のちょうどこの時期、私はリアルト橋のたもとにいた。
*
オギーが今回のショーであの橋を取り上げたのは何だったのだろう。何が彼の目を止めさせたのだろう。ヨーロッパ地中海の都市で、モチーフになる建造物は他にいくらでもあったろうに。
私がリアルト橋を訪れるさらに数年前には、パリでパッサージュも見た。
ガイドブックには「ガラス張りが美しいアーケード街」というようなことが書いてあったと思う。行く前からぜひパッサージュには行ってみたい、とガイドブックは角を折っておいたりした。
ガラス張り、で想像したのは透明でキラキラ輝き、底抜けに明るい場所だった。
その中に活気のあるお店が並んでいるに違いない、と。
パリにはいくつもパッサージュがあるということで、たまたま一番近い場所にあったパッサージュに行ってみた。
そこでの正直な感想は「さびれた商店街」、だった。通りゆく人影も少なく、並んでいる店は閉店しているものも多い。道幅はとても狭く、小型車一台通れるかどうかの幅しかない。通りを覆うガラスの屋根はくすんでおり、ガラスを支える鉄骨も飴色になっていた。
くすんだガラスを通してやってくる陽の光は翳りがあり、あまり私を歓迎しているようには思えなかった。
そのパッサージュをさっと簡単に往復して、さっさとその場を引き上げてしまった。パリにはもっと魅力的な通りがいくつもあり、明るく私を呼んでいた。
後日調べると、パッサージュはもともとがレトロな建造物で、ガラスがふんだんに使われ始めた時代に、道路事情の悪いパリでお天気と足元を気にせず買い物を楽しめるようにとできたものだ、とあった。ならあのなんとなく陰うつというような雰囲気は納得がいくな、と思った。
*
だから、驚いた。オギーが「パッサージュ」をテーマにショーを作るということに。しかもその紹介文が、なんだか本当のパッサージュとは乖離した、明るい前向きなものだったことに。
ショーを実際に観て、なんなんだと思った。ぞっとした。
オギーが表現したパッサージュはまさにあのパッサージュだった。レトロで退廃的で、誰かがこちらをじっと見ているような、あの動かない空気の漂う場所。
舞台一杯にきらめく電飾や、“パッサージュ”という魅力的な言葉の響きの陰でオギーが表現しまくったあの心に忍び込んでくる絶望感。
みんなだまされてはいけない。パッサージュは美しい場所じゃない。ガラスはガラスでも曇りない透明なものではない、時を経て、傷が付いて、風雨にさらされて、それでもそこにガラスという名前で存在し続けた全く別のものだ。
パッサージュを一度見ておいで。
そしてもう一度、「パッサージュ」を観るといい。あれは本当のパッサージュだということがわかるから。
*
数年前の冬の初めに、私はリアルト橋のたもとにいた。
本物のリアルト橋はもちろん、もっと大きくて、橋の上は真ん中が人が通り、左右、つまり「ドルチェ・ヴィータ」の幕開きでケロちゃん達が立っている場所は土産物屋になっている。色鮮やかなガラス細工や絵はがきなどが売られていた。橋の上から水面を見ることができるのは、商店で働く人たちだけだ。
ベネチアの街のほぼ中心、バポレット(水上バス)の分岐になっているようで、沢山の人がリアルト橋の近くの駅で地上に降り立っていく。
朝早くからやってくる観光客が行き交う。街の人たちが足早に歩いて行く。橋の反対側には生鮮食料を扱う大きな市場もあるので、荷を満載した船が横付けされ、荷下ろしが始まる。
とても活気のある場所だった。橋は大きく明るく見えた。
私と友人が旅行していたこの中途半端な時期は観光シーズンから外れていたためか、日本から直にFAXで予約した橋の名前をつけたホテルは、私たちを橋がよく見えるいい部屋に案内してくれた。
ベネチアの街中を観光し、夕食も済ませたあと部屋に戻った。窓から見えるリアルト橋は、まだまだ行き交う人を受け入れ、川を渡らせていた。
気の合う友人なので、何時間もおしゃべりをした後、友人が寝てからも、私は窓の側に椅子を寄せて、ガラスごしに橋と水面を見ていた。
夜、日付けが替わる頃になってやっと街を歩く人の姿も耐え、静寂が訪れた。聞こえるのは岸を打つ水音だけ。
その橋は昼間見たものとは別の顔になっていた。
小さく固くぎゅっと縮こまり、窓は鎧戸を閉め、まるで・・・そう、まるで違う世界へ行くための橋のような気がした。
そのまま一晩中見ていたかった。だが、そうしてはいけない気にもなった。真夜中のリアルト橋、そんなものを見てもよかったのか、悪かったのか。
私もカーテンを閉め、水音だけを聞きながら、眠りについた。
翌朝見た橋は、またいつもの明るく、輝く橋の姿をしていた。
*
リアルト橋の下で、男はディアボロの手を取る。
そして行ってしまう。
オギーがリアルト橋に何を見たのか、私にはわからない。
*
オギーはパッサージュを見たのだろうか。リアルト橋を見たのだろうか。もしかすると見ていないかもしれないな、などとも思う。
見なくても、オギーならやりかねない。それらの場所がもっている空気を見抜き、想像して、宝塚の生徒たちを使って再現してしまうこと位。「明るく楽しいものを作りました」というフリをしながら、絶望感を折り込んでしまうこと位。
まったくとんでもない演出家だ。
さすがにバビロンには行ったことがない。機会があれば行ってみたいとは思っている。だが、あと何年かかるのか。バビロンがあるのはイラクだから。私が生きているうちに可能になるのだろうか。数年前はツアーもあったというのに。
きっとそこは、また明るいフリをしながら、そっと人を陰から別な目で見ている、そんな場所なのではないかと思っている。
数年前のちょうどこの時期、私はリアルト橋のたもとにいた。
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オギーが今回のショーであの橋を取り上げたのは何だったのだろう。何が彼の目を止めさせたのだろう。ヨーロッパ地中海の都市で、モチーフになる建造物は他にいくらでもあったろうに。
私がリアルト橋を訪れるさらに数年前には、パリでパッサージュも見た。
ガイドブックには「ガラス張りが美しいアーケード街」というようなことが書いてあったと思う。行く前からぜひパッサージュには行ってみたい、とガイドブックは角を折っておいたりした。
ガラス張り、で想像したのは透明でキラキラ輝き、底抜けに明るい場所だった。
その中に活気のあるお店が並んでいるに違いない、と。
パリにはいくつもパッサージュがあるということで、たまたま一番近い場所にあったパッサージュに行ってみた。
そこでの正直な感想は「さびれた商店街」、だった。通りゆく人影も少なく、並んでいる店は閉店しているものも多い。道幅はとても狭く、小型車一台通れるかどうかの幅しかない。通りを覆うガラスの屋根はくすんでおり、ガラスを支える鉄骨も飴色になっていた。
くすんだガラスを通してやってくる陽の光は翳りがあり、あまり私を歓迎しているようには思えなかった。
そのパッサージュをさっと簡単に往復して、さっさとその場を引き上げてしまった。パリにはもっと魅力的な通りがいくつもあり、明るく私を呼んでいた。
後日調べると、パッサージュはもともとがレトロな建造物で、ガラスがふんだんに使われ始めた時代に、道路事情の悪いパリでお天気と足元を気にせず買い物を楽しめるようにとできたものだ、とあった。ならあのなんとなく陰うつというような雰囲気は納得がいくな、と思った。
*
だから、驚いた。オギーが「パッサージュ」をテーマにショーを作るということに。しかもその紹介文が、なんだか本当のパッサージュとは乖離した、明るい前向きなものだったことに。
ショーを実際に観て、なんなんだと思った。ぞっとした。
オギーが表現したパッサージュはまさにあのパッサージュだった。レトロで退廃的で、誰かがこちらをじっと見ているような、あの動かない空気の漂う場所。
舞台一杯にきらめく電飾や、“パッサージュ”という魅力的な言葉の響きの陰でオギーが表現しまくったあの心に忍び込んでくる絶望感。
みんなだまされてはいけない。パッサージュは美しい場所じゃない。ガラスはガラスでも曇りない透明なものではない、時を経て、傷が付いて、風雨にさらされて、それでもそこにガラスという名前で存在し続けた全く別のものだ。
パッサージュを一度見ておいで。
そしてもう一度、「パッサージュ」を観るといい。あれは本当のパッサージュだということがわかるから。
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数年前の冬の初めに、私はリアルト橋のたもとにいた。
本物のリアルト橋はもちろん、もっと大きくて、橋の上は真ん中が人が通り、左右、つまり「ドルチェ・ヴィータ」の幕開きでケロちゃん達が立っている場所は土産物屋になっている。色鮮やかなガラス細工や絵はがきなどが売られていた。橋の上から水面を見ることができるのは、商店で働く人たちだけだ。
ベネチアの街のほぼ中心、バポレット(水上バス)の分岐になっているようで、沢山の人がリアルト橋の近くの駅で地上に降り立っていく。
朝早くからやってくる観光客が行き交う。街の人たちが足早に歩いて行く。橋の反対側には生鮮食料を扱う大きな市場もあるので、荷を満載した船が横付けされ、荷下ろしが始まる。
とても活気のある場所だった。橋は大きく明るく見えた。
私と友人が旅行していたこの中途半端な時期は観光シーズンから外れていたためか、日本から直にFAXで予約した橋の名前をつけたホテルは、私たちを橋がよく見えるいい部屋に案内してくれた。
ベネチアの街中を観光し、夕食も済ませたあと部屋に戻った。窓から見えるリアルト橋は、まだまだ行き交う人を受け入れ、川を渡らせていた。
気の合う友人なので、何時間もおしゃべりをした後、友人が寝てからも、私は窓の側に椅子を寄せて、ガラスごしに橋と水面を見ていた。
夜、日付けが替わる頃になってやっと街を歩く人の姿も耐え、静寂が訪れた。聞こえるのは岸を打つ水音だけ。
その橋は昼間見たものとは別の顔になっていた。
小さく固くぎゅっと縮こまり、窓は鎧戸を閉め、まるで・・・そう、まるで違う世界へ行くための橋のような気がした。
そのまま一晩中見ていたかった。だが、そうしてはいけない気にもなった。真夜中のリアルト橋、そんなものを見てもよかったのか、悪かったのか。
私もカーテンを閉め、水音だけを聞きながら、眠りについた。
翌朝見た橋は、またいつもの明るく、輝く橋の姿をしていた。
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リアルト橋の下で、男はディアボロの手を取る。
そして行ってしまう。
オギーがリアルト橋に何を見たのか、私にはわからない。
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オギーはパッサージュを見たのだろうか。リアルト橋を見たのだろうか。もしかすると見ていないかもしれないな、などとも思う。
見なくても、オギーならやりかねない。それらの場所がもっている空気を見抜き、想像して、宝塚の生徒たちを使って再現してしまうこと位。「明るく楽しいものを作りました」というフリをしながら、絶望感を折り込んでしまうこと位。
まったくとんでもない演出家だ。
さすがにバビロンには行ったことがない。機会があれば行ってみたいとは思っている。だが、あと何年かかるのか。バビロンがあるのはイラクだから。私が生きているうちに可能になるのだろうか。数年前はツアーもあったというのに。
きっとそこは、また明るいフリをしながら、そっと人を陰から別な目で見ている、そんな場所なのではないかと思っている。
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