まずは、もしかしていらっしゃるかもしれない、緑野師匠のところからリンクたどってこられた方へ。
師匠がおっしゃっておられるように、今回は「ヒミツ日記」のためのリンクですので、あのーそのー、師匠ばりのすばらしい視点かつ冴え渡る筆さばきの名文が、こちらでも読めるなんてことは0.1%もございませんので(誰も期待してない?)ご承知おきくださいませ。内容もひたすら今は「ケロちゃん退団イヤだよぉ」ばっかりです。
この日記には、相互リンクした人同士だけに読める「ヒミツ日記」という機能がございまして、主に間もなくに迫った「汐美真帆退団」に向けて、もそもそと会話しているだけでございます。事務連絡みたいなこともありますし。そんな内輪だけで盛り上がってずるいっ、緑野師匠を独占しているっ、なんてことは決してございませんので、平にお許しくださいませ。
☆
もう10年になるのか、あの時、小学生だった子供がもう成人してるって?びっくり。そう、地震があったのは、10年も前のことなのだ。
その頃、私は妹と暮らしていた。宝塚ファンでもなく、もちろんケロちゃんのことも知らず。ニュースで「タカラジェンヌもボランティア」ってのは見た覚えがある。「キレイが仕事の人たちがそういうとこ行くんだ」って驚いたけど。だって避難所って・・・ホコリっぽくて(水がふんだんにないから)、消毒薬臭くて(消毒のため、消臭のためにまきまくってた)、ごちゃごちゃしてて(人と物資とマスコミと入り乱れて)、寒くて(学校だしね)、まぁ、私にはそういう印象のとこだった。
で、被災。震度7の激震地。
住んでたマンションが堅牢だったのか、地盤がよかったのか、無事だったので、なんとか家の中に居場所を作り、妹とどーしよーかねー、と言って二人で座っていた。避難所は人も多くて居場所がなさそうだったから、いざとなればいくってことにして。家には食べ物も水もあったので。
2晩目に親が抜け道通って迎えに来てくれたので、徒歩と車で被災地を出た。
マンションを出る時、避難所に行くことになれば持っていこうとまとめた荷物を担いで出た。そんなに重い荷物は持っていけない。大きな鞄ひとつだったかな。
道路を挟んだ向かいまで火事が来ていたので、もしかすると次に来るときは、マンションは丸焼けになっているかもしれない、とチラッと思ったりした。
あの時の鞄の中、に入れたモノ、つまり私がそのとき「これだけは持って行きたい一番大切なモノ」と思ったものは何だったのか。
しっかり覚えているのが、そのとき気に入っていた「料理の本」だった。
今考えても「なんでそんなモノを?」と思う。通帳や印鑑は持って出たかどうかすら記憶にない。
でも多分、そのときの私にとっては大切なモノだったのだろう。地震が来るまで、その本を見ながら毎日料理を楽しみ、生活していた。その普段の生活と切れたくなかったんじゃないか。またいつか、普段の生活に戻れるだろうという確信が欲しかったんじゃないか。
☆
この前、ちょっと大きな地震があったとき、真っ先に取りにというか抱きしめたのはやっぱり息子だった。そしてすぐ次に息子を抱いたまま、猫たちを探しに行った。
どちらもあの時はいなかったものたちだ。
そして絶望的になった。この3つをどーやってもって逃げろというのだ?息子10kg、猫は6+4kg、合計20kg!?無理だって。
は、早く息子よ育っておくれ。そして猫1匹は担いで逃げる同士になってよね。
☆
告白すると、私はモノを大切にしない人間だ。執着はするけれど、扱いが粗末なような気がする。
ヅカ関連の本、買って読んだあとは積み上げてある。舞台写真やポストカードは「買うことに意義がある」と思っているので、キャトルの紫色の袋の入れたまんま。カレンダー・ポスターは巻きっぱなし。ビデオやCD、DVDも箱や紙袋に入れてそのまま床に。
すいません、場所もないんで(言い訳)。いつか、本棚整理したら、ちゃんと収納します〜。今はごそごそ整理してると息子が目をキラキラさせて近寄ってくるので何もできないんです〜(さらに言い訳)。引越しすることがあれば、ちゃんと収納場所作ります。
でも執着はする。見たいと思ったときにすぐ出てこないと出てくるまで探し続ける。見て、満足する。この満足感が大事。モノは私にとって、見たいと思ったそのときに、見て満足感を与えてくれるためのモノなのだ。なにがしかの感情を起こさせてくれるトリガーなのだ。見るためにあるモノなのだ。
だから本当は見たい時にすぐ見られるように、整理しておきたい。見られないのはすごいストレスだから。
☆
そして恐ろしい現実がある。
今、こうやって満足感を与えてくれるモノたちが、いつか、過去のモノになっていく時が来るのだ。
あれだけ執着していたモノが、不要のモノになってしまう。今までの経験から言ってもそうだ。
じゃあ持たなければいいか?
そうではないと思う。今の私にとっては必要なモノだ。だから買う。集める。胸が痛くなる。
汐美さんの美しい笑顔を見ては、苦しくなる。
それらのモノによって引き起こされた感情の断片を、ここに書いたり、自分の中で反芻したり。
その感情も過去へ過去へと流れていく。書き留めなければきっと消え去ってしまう泡のようなものか。でも、今の私を作る、大切な一片だと思いたい。だから今、汐美さん関連のモノを眺めてては置き、を繰り返している。
☆
地震の時、実家に着いた後で鞄を開けてみて、とほほとなったのが、もうひとつ。芯もなくがっちり巻き込んであるトイレットペーパーを1巻、大切に持って逃げていた。いや、大切なのよ!すごく!何にでも使えるもの!しかし、鞄が重たかった原因はこれか、とちと、情けなかった。
今、何もって逃げるか。息子と猫たちと「東宝のチケット」ですな。
師匠がおっしゃっておられるように、今回は「ヒミツ日記」のためのリンクですので、あのーそのー、師匠ばりのすばらしい視点かつ冴え渡る筆さばきの名文が、こちらでも読めるなんてことは0.1%もございませんので(誰も期待してない?)ご承知おきくださいませ。内容もひたすら今は「ケロちゃん退団イヤだよぉ」ばっかりです。
この日記には、相互リンクした人同士だけに読める「ヒミツ日記」という機能がございまして、主に間もなくに迫った「汐美真帆退団」に向けて、もそもそと会話しているだけでございます。事務連絡みたいなこともありますし。そんな内輪だけで盛り上がってずるいっ、緑野師匠を独占しているっ、なんてことは決してございませんので、平にお許しくださいませ。
☆
もう10年になるのか、あの時、小学生だった子供がもう成人してるって?びっくり。そう、地震があったのは、10年も前のことなのだ。
その頃、私は妹と暮らしていた。宝塚ファンでもなく、もちろんケロちゃんのことも知らず。ニュースで「タカラジェンヌもボランティア」ってのは見た覚えがある。「キレイが仕事の人たちがそういうとこ行くんだ」って驚いたけど。だって避難所って・・・ホコリっぽくて(水がふんだんにないから)、消毒薬臭くて(消毒のため、消臭のためにまきまくってた)、ごちゃごちゃしてて(人と物資とマスコミと入り乱れて)、寒くて(学校だしね)、まぁ、私にはそういう印象のとこだった。
で、被災。震度7の激震地。
住んでたマンションが堅牢だったのか、地盤がよかったのか、無事だったので、なんとか家の中に居場所を作り、妹とどーしよーかねー、と言って二人で座っていた。避難所は人も多くて居場所がなさそうだったから、いざとなればいくってことにして。家には食べ物も水もあったので。
2晩目に親が抜け道通って迎えに来てくれたので、徒歩と車で被災地を出た。
マンションを出る時、避難所に行くことになれば持っていこうとまとめた荷物を担いで出た。そんなに重い荷物は持っていけない。大きな鞄ひとつだったかな。
道路を挟んだ向かいまで火事が来ていたので、もしかすると次に来るときは、マンションは丸焼けになっているかもしれない、とチラッと思ったりした。
あの時の鞄の中、に入れたモノ、つまり私がそのとき「これだけは持って行きたい一番大切なモノ」と思ったものは何だったのか。
しっかり覚えているのが、そのとき気に入っていた「料理の本」だった。
今考えても「なんでそんなモノを?」と思う。通帳や印鑑は持って出たかどうかすら記憶にない。
でも多分、そのときの私にとっては大切なモノだったのだろう。地震が来るまで、その本を見ながら毎日料理を楽しみ、生活していた。その普段の生活と切れたくなかったんじゃないか。またいつか、普段の生活に戻れるだろうという確信が欲しかったんじゃないか。
☆
この前、ちょっと大きな地震があったとき、真っ先に取りにというか抱きしめたのはやっぱり息子だった。そしてすぐ次に息子を抱いたまま、猫たちを探しに行った。
どちらもあの時はいなかったものたちだ。
そして絶望的になった。この3つをどーやってもって逃げろというのだ?息子10kg、猫は6+4kg、合計20kg!?無理だって。
は、早く息子よ育っておくれ。そして猫1匹は担いで逃げる同士になってよね。
☆
告白すると、私はモノを大切にしない人間だ。執着はするけれど、扱いが粗末なような気がする。
ヅカ関連の本、買って読んだあとは積み上げてある。舞台写真やポストカードは「買うことに意義がある」と思っているので、キャトルの紫色の袋の入れたまんま。カレンダー・ポスターは巻きっぱなし。ビデオやCD、DVDも箱や紙袋に入れてそのまま床に。
すいません、場所もないんで(言い訳)。いつか、本棚整理したら、ちゃんと収納します〜。今はごそごそ整理してると息子が目をキラキラさせて近寄ってくるので何もできないんです〜(さらに言い訳)。引越しすることがあれば、ちゃんと収納場所作ります。
でも執着はする。見たいと思ったときにすぐ出てこないと出てくるまで探し続ける。見て、満足する。この満足感が大事。モノは私にとって、見たいと思ったそのときに、見て満足感を与えてくれるためのモノなのだ。なにがしかの感情を起こさせてくれるトリガーなのだ。見るためにあるモノなのだ。
だから本当は見たい時にすぐ見られるように、整理しておきたい。見られないのはすごいストレスだから。
☆
そして恐ろしい現実がある。
今、こうやって満足感を与えてくれるモノたちが、いつか、過去のモノになっていく時が来るのだ。
あれだけ執着していたモノが、不要のモノになってしまう。今までの経験から言ってもそうだ。
じゃあ持たなければいいか?
そうではないと思う。今の私にとっては必要なモノだ。だから買う。集める。胸が痛くなる。
汐美さんの美しい笑顔を見ては、苦しくなる。
それらのモノによって引き起こされた感情の断片を、ここに書いたり、自分の中で反芻したり。
その感情も過去へ過去へと流れていく。書き留めなければきっと消え去ってしまう泡のようなものか。でも、今の私を作る、大切な一片だと思いたい。だから今、汐美さん関連のモノを眺めてては置き、を繰り返している。
☆
地震の時、実家に着いた後で鞄を開けてみて、とほほとなったのが、もうひとつ。芯もなくがっちり巻き込んであるトイレットペーパーを1巻、大切に持って逃げていた。いや、大切なのよ!すごく!何にでも使えるもの!しかし、鞄が重たかった原因はこれか、とちと、情けなかった。
今、何もって逃げるか。息子と猫たちと「東宝のチケット」ですな。
コメント