「汐美真帆」を大切に
2004年12月17日 宝塚ええい、うるさい!やかましい!私は認めないからな!1月8日で「汐美真帆」を封印するなんざ!
・・・・などとわめいてみても、そりゃあ本人が決めることだからなぁ。落胆。
今回の上京で何がショックだったかって、はっきり本人の口からそれを言われてしまったこと。私CS、見てないから。嫌だよう。理屈じゃないんだよう。子供のダダこねと一緒でとにかく嫌なんだよう。
「バウ主演を汐美真帆さんに、と告げられた時、私って汐美真帆だっけ?と驚いてました」「私のどこまでが汐美真帆でどこまでが本名の私かわからない」「退団後は汐美真帆であったことに恥じない本名の私でいたい」etc.インタビューなどで語る内容に、ケロちゃんはよく“本名の私”を登場させる。それは他のジェンヌさんよりかなり多いのではないだろうか。
舞台に出る上で心がけていることは?との問いには「美しく出ること」といつも答える。これって「舞台上の私は美しい」ってことかいな、と意地悪く考えたりしたこともあったが(でも私は最高に美しいと思ってます!“美しく出る”は美しいとはちょっと違うニュアンスですね。隅々まで気を配れってことでしょう)、要するに「汐美真帆」を本名の自分から少し突き放して見ているんではないか、と思う。
私は造り込んだジェンヌさんが好き。真琴つばささんもだから好き。立ち居振る舞いから発言、メイクに至るまで自分の意志で「真琴つばさ」を造り上げていた。汐美さんもその傾向のある人だと思う。私個人の考えだが、真琴さんの側にいるようになってから、より造り込みに力が入ったような気がする(グラフで影響受けた、とも言っていたし)。
男役だから特にそれはあったろう。男性を観察し、自分と引き比べ、観客の望む男性像を自分の上に造っていく作業。個人によってやり方は違うだろうけど、汐美さんは「男役であること」を自分のテーマにしていたように思う。
今回退団を決めたことも、汐美真帆を1月8日で封印するといっていることも、彼女が理想とする男役像を、とりあえずは納得いくまで造り上げられたから。そしてそれを一番美しい形でとどめ、大切にしたいと思っているのではないだろうか。
写真は全てアルバムに入れて整理していると言っていた汐美さん(「歌劇」の対談で。他のシューマッハメンバー・大空、霧矢、大和がびっくりしていた)。退団後、本名の自分としてその姿をゆっくり見るのだろうか。
いくら退団後も汐美真帆でいて欲しい、いつまでも応援します、などとと、一ファンがダダをこねても、それは子供と同じ、新しい興味の対象が出てきたら、そちらへついっと流れてしまう。ファンとはそういう気まぐれで残酷なものということは、汐美さんが一番よく知っているだろう。
私だって、真琴さんでおしまいにしようと思っていたのに、こういうことになっているわけだし。
汐美さんが一番大切にしたいものが「タカラジェンヌ・男役・汐美真帆」で、それを汚さぬよう決して手を触れないというなら、それが幸せなら、私は諦める。汐美さんの幸せが私にとっては一番大切だから。
一方、本名のケロちゃんはお嬢様だから、そういうことはないとは思うけど、生きていくなかで、自分の全てを総動員して進んでいかねばならない時がある。そんな時、汐美真帆であったことを手段にしても、それも私は構わない。生きていくこと、は幸せでいることの根幹だから。
汐美さんがやりたいと思う全てを受け入れたいと思う。
・・・・などと言っておきながら、やっぱり時々、姿を現して欲しいんだ。本音は。楽を経て私がどう思うようになるかはわからないけど。
お茶会で「血と砂」のビデオは見たことがなかった。DSで歌うとなって初めて見たが「イケてる!面白い!」と言っていた。そんなん素晴らしいに決まってるじゃないですか!?私たちがあれほど夢中になったのだから。
(自分では恥ずかしくて見てないんだろうなぁ。確か「ガイズ」とかも見たことないと言っていたし。他の作品も最近のになるほど見てない気がする。最初ちらちらと映る頃は一所懸命見ていたビデオも、しっかり映るようになると却って見ないものじゃないかな?「絢爛」は見てないに違いない・笑)
ねぇ、汐美さん、美しいとかきれいとか、それはもちろんそうなんだけど、あなたのその存在そのものが魅力があるのだよ。フアン・ガルラードは美しく格好よかったけど、それ以上に弱く情けなく愛すべき魅力ある人物だったよ。それは美しいだけじゃない、本名のあなたそのものの魅力がにじみ出ていたと考える私は、深読みしすぎですか?
いくら造った「汐美真帆」でも、本名の自分と不可分なものが絶対ある。本名の部分から滲み出していったものが、「タカラジェンヌ・男役・汐美真帆」に複雑で繊細な彩りを形作っていたと思う。汐美真帆はあなた自身だ。紛れもなく。
だから、封印する、なんて頭で考えて口にしないで。後で自分の道を狭めるようなことを言わないで。自分自身を檻に閉じ込めないで。何でも先のことまできちんきちんと考えて考えて、気を配って気を配ってする汐美さん。きちんと決めたい気持ちはわかるし、ファンのために区切りをつけてあげたい気持ちもありがたい。でも、幸せになるためには何でもあり。自分を、汐美真帆を、本名の自分を大切にしていってください。
☆
そうなんだ、やっぱり透き通って行ってますか。ホントはね、透明になって欲しくなかったから、昨日の日記にああ書いたんだけど。その通りになっちゃってますか。
ねったんやゆうかちゃんみたいな清清しさとはちょっと違う気がするんです。空に溶けて無くなってしまいそうな落ち着きがね、やだ。
・・・・などとわめいてみても、そりゃあ本人が決めることだからなぁ。落胆。
今回の上京で何がショックだったかって、はっきり本人の口からそれを言われてしまったこと。私CS、見てないから。嫌だよう。理屈じゃないんだよう。子供のダダこねと一緒でとにかく嫌なんだよう。
「バウ主演を汐美真帆さんに、と告げられた時、私って汐美真帆だっけ?と驚いてました」「私のどこまでが汐美真帆でどこまでが本名の私かわからない」「退団後は汐美真帆であったことに恥じない本名の私でいたい」etc.インタビューなどで語る内容に、ケロちゃんはよく“本名の私”を登場させる。それは他のジェンヌさんよりかなり多いのではないだろうか。
舞台に出る上で心がけていることは?との問いには「美しく出ること」といつも答える。これって「舞台上の私は美しい」ってことかいな、と意地悪く考えたりしたこともあったが(でも私は最高に美しいと思ってます!“美しく出る”は美しいとはちょっと違うニュアンスですね。隅々まで気を配れってことでしょう)、要するに「汐美真帆」を本名の自分から少し突き放して見ているんではないか、と思う。
私は造り込んだジェンヌさんが好き。真琴つばささんもだから好き。立ち居振る舞いから発言、メイクに至るまで自分の意志で「真琴つばさ」を造り上げていた。汐美さんもその傾向のある人だと思う。私個人の考えだが、真琴さんの側にいるようになってから、より造り込みに力が入ったような気がする(グラフで影響受けた、とも言っていたし)。
男役だから特にそれはあったろう。男性を観察し、自分と引き比べ、観客の望む男性像を自分の上に造っていく作業。個人によってやり方は違うだろうけど、汐美さんは「男役であること」を自分のテーマにしていたように思う。
今回退団を決めたことも、汐美真帆を1月8日で封印するといっていることも、彼女が理想とする男役像を、とりあえずは納得いくまで造り上げられたから。そしてそれを一番美しい形でとどめ、大切にしたいと思っているのではないだろうか。
写真は全てアルバムに入れて整理していると言っていた汐美さん(「歌劇」の対談で。他のシューマッハメンバー・大空、霧矢、大和がびっくりしていた)。退団後、本名の自分としてその姿をゆっくり見るのだろうか。
いくら退団後も汐美真帆でいて欲しい、いつまでも応援します、などとと、一ファンがダダをこねても、それは子供と同じ、新しい興味の対象が出てきたら、そちらへついっと流れてしまう。ファンとはそういう気まぐれで残酷なものということは、汐美さんが一番よく知っているだろう。
私だって、真琴さんでおしまいにしようと思っていたのに、こういうことになっているわけだし。
汐美さんが一番大切にしたいものが「タカラジェンヌ・男役・汐美真帆」で、それを汚さぬよう決して手を触れないというなら、それが幸せなら、私は諦める。汐美さんの幸せが私にとっては一番大切だから。
一方、本名のケロちゃんはお嬢様だから、そういうことはないとは思うけど、生きていくなかで、自分の全てを総動員して進んでいかねばならない時がある。そんな時、汐美真帆であったことを手段にしても、それも私は構わない。生きていくこと、は幸せでいることの根幹だから。
汐美さんがやりたいと思う全てを受け入れたいと思う。
・・・・などと言っておきながら、やっぱり時々、姿を現して欲しいんだ。本音は。楽を経て私がどう思うようになるかはわからないけど。
お茶会で「血と砂」のビデオは見たことがなかった。DSで歌うとなって初めて見たが「イケてる!面白い!」と言っていた。そんなん素晴らしいに決まってるじゃないですか!?私たちがあれほど夢中になったのだから。
(自分では恥ずかしくて見てないんだろうなぁ。確か「ガイズ」とかも見たことないと言っていたし。他の作品も最近のになるほど見てない気がする。最初ちらちらと映る頃は一所懸命見ていたビデオも、しっかり映るようになると却って見ないものじゃないかな?「絢爛」は見てないに違いない・笑)
ねぇ、汐美さん、美しいとかきれいとか、それはもちろんそうなんだけど、あなたのその存在そのものが魅力があるのだよ。フアン・ガルラードは美しく格好よかったけど、それ以上に弱く情けなく愛すべき魅力ある人物だったよ。それは美しいだけじゃない、本名のあなたそのものの魅力がにじみ出ていたと考える私は、深読みしすぎですか?
いくら造った「汐美真帆」でも、本名の自分と不可分なものが絶対ある。本名の部分から滲み出していったものが、「タカラジェンヌ・男役・汐美真帆」に複雑で繊細な彩りを形作っていたと思う。汐美真帆はあなた自身だ。紛れもなく。
だから、封印する、なんて頭で考えて口にしないで。後で自分の道を狭めるようなことを言わないで。自分自身を檻に閉じ込めないで。何でも先のことまできちんきちんと考えて考えて、気を配って気を配ってする汐美さん。きちんと決めたい気持ちはわかるし、ファンのために区切りをつけてあげたい気持ちもありがたい。でも、幸せになるためには何でもあり。自分を、汐美真帆を、本名の自分を大切にしていってください。
☆
そうなんだ、やっぱり透き通って行ってますか。ホントはね、透明になって欲しくなかったから、昨日の日記にああ書いたんだけど。その通りになっちゃってますか。
ねったんやゆうかちゃんみたいな清清しさとはちょっと違う気がするんです。空に溶けて無くなってしまいそうな落ち着きがね、やだ。
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