とうとう全部終わってしまった。そう思ったせいか、身体に力が入らない。帰りの新幹線で中途半端に寝たせいか、乾燥で喉をやられてしまい、咳も止まらない。寒気もする。まず〜い。明日からまた1週間、「元気な」息子と二人きりなのに。
忘年会もパスし、会社を出る。明日からまた自由が全くなくなるので、少しでも買い物でもしておこうかと街をぶらぶらしていたら、なんだかすごく悲しくなった。意味もなく、地下街をすれ違う人の顔を見ながら同じ場所を行ったり来たりした。
今頃、汐美さんは何をしているのだろう。まぁ、退団後のいろいろなご挨拶回りや後片付けだろうけど、そろそろ関西にも帰ってきているかもしれない。
関西だから問題。こうやって普通に歩いていても、向こうから歩いて来るかもしれないのだもの。そうしたら、見つけたら、本当に声を掛けていいんですか?「汐美さん!」って。
最後の姿まで見届けて、決して後悔しているわけではない。あれきり二度と会えなくても、それはしょうがないかな、と思えるところまで納得できている。まみさんの経験があるから、これから自分がどんな風になっていくかも想像が付く。ビデオで観られるだけでも満足する人間なので(人によっては、退団後、全くビデオを観られないという人もいるようだが)この美しい人には自分が会いたい時にはいつでも会えると思うし。
でもやっぱり、寂しいなぁ、と思ってしまうのだ。
泣かなかったくせに。人には「今日の千秋楽、泣くようなことありましたっけ?」とか言うくせに。自分では気付かないところで心に穴でも開いてるなぁ。
公演でもパーティでも全く泣かなかった私だが、劇場のロビーであやうく涙がこぼれそうになった。それはある友人の姿をみつけられたから。その人が千秋楽・パーティに来るか来ないかは私は知らなかった。怖くて聞けなかった。でも、来てくれた。嬉しかった。良かった!と心から思った。その人がどれだけケロちゃんのことを好きか、それは知っていたから。その人に見届けてて欲しかったのだ。ケロちゃんの姿を。
その他にも、この人だけには見届けて欲しいと思った人たちは、皆無事に来ることができていた。よかった。
公演が東宝に入ってからの私の時間の感覚は、他の方とはちょっと違っていたかもしれない。特にこの楽前数日は毎日、心臓をバクバクさせていた。
もちろん、息子の体調のことで。午前中に元気だった子供でも午後には高い熱を出すことがある。半日で体調が変わるのが幼児なのだ。1週間前なら、発熱してもまだ治す時間的余裕はある。でも、2日前、1日前になるとどうしようもない。だから私が千秋楽を観られると確信できたのが、当日の朝、新幹線に乗った時だった。ここまで来たら引き返せない、と。
普通の人は、公演期間が少しでもゆっくり過ぎて欲しいと思うもののはずなのに、私は退団のタイムリミットがどんどん近付いて来るのに、逆に、このまま、息子の体調のいい状態の間に、早く千秋楽が来て欲しいと願ってしまった。なんて矛盾なんだろう。
だから今、全て終わってしまったら、何ももう管理しなくていいのだ、と気が抜けてしまった。
多分、楽のこととかパーティのことを読みにきて下さってる方が多いと思うのですが、ちょっとずつ、書けるところから書いていきます。すみません。
忘年会もパスし、会社を出る。明日からまた自由が全くなくなるので、少しでも買い物でもしておこうかと街をぶらぶらしていたら、なんだかすごく悲しくなった。意味もなく、地下街をすれ違う人の顔を見ながら同じ場所を行ったり来たりした。
今頃、汐美さんは何をしているのだろう。まぁ、退団後のいろいろなご挨拶回りや後片付けだろうけど、そろそろ関西にも帰ってきているかもしれない。
関西だから問題。こうやって普通に歩いていても、向こうから歩いて来るかもしれないのだもの。そうしたら、見つけたら、本当に声を掛けていいんですか?「汐美さん!」って。
最後の姿まで見届けて、決して後悔しているわけではない。あれきり二度と会えなくても、それはしょうがないかな、と思えるところまで納得できている。まみさんの経験があるから、これから自分がどんな風になっていくかも想像が付く。ビデオで観られるだけでも満足する人間なので(人によっては、退団後、全くビデオを観られないという人もいるようだが)この美しい人には自分が会いたい時にはいつでも会えると思うし。
でもやっぱり、寂しいなぁ、と思ってしまうのだ。
泣かなかったくせに。人には「今日の千秋楽、泣くようなことありましたっけ?」とか言うくせに。自分では気付かないところで心に穴でも開いてるなぁ。
公演でもパーティでも全く泣かなかった私だが、劇場のロビーであやうく涙がこぼれそうになった。それはある友人の姿をみつけられたから。その人が千秋楽・パーティに来るか来ないかは私は知らなかった。怖くて聞けなかった。でも、来てくれた。嬉しかった。良かった!と心から思った。その人がどれだけケロちゃんのことを好きか、それは知っていたから。その人に見届けてて欲しかったのだ。ケロちゃんの姿を。
その他にも、この人だけには見届けて欲しいと思った人たちは、皆無事に来ることができていた。よかった。
公演が東宝に入ってからの私の時間の感覚は、他の方とはちょっと違っていたかもしれない。特にこの楽前数日は毎日、心臓をバクバクさせていた。
もちろん、息子の体調のことで。午前中に元気だった子供でも午後には高い熱を出すことがある。半日で体調が変わるのが幼児なのだ。1週間前なら、発熱してもまだ治す時間的余裕はある。でも、2日前、1日前になるとどうしようもない。だから私が千秋楽を観られると確信できたのが、当日の朝、新幹線に乗った時だった。ここまで来たら引き返せない、と。
普通の人は、公演期間が少しでもゆっくり過ぎて欲しいと思うもののはずなのに、私は退団のタイムリミットがどんどん近付いて来るのに、逆に、このまま、息子の体調のいい状態の間に、早く千秋楽が来て欲しいと願ってしまった。なんて矛盾なんだろう。
だから今、全て終わってしまったら、何ももう管理しなくていいのだ、と気が抜けてしまった。
多分、楽のこととかパーティのことを読みにきて下さってる方が多いと思うのですが、ちょっとずつ、書けるところから書いていきます。すみません。
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