私は幸せだった。

濃い、濃い時間を過ごした。あの9月2日から12月26日まで。毎日毎日、息子の体調を気にしながら、追いつめられたような気持ちで駆け抜けた日々だった。その濃密な日々の最後の24時間はさらに、濃い時間だった。

こんな日を、こんな日々を迎えることは本当は幸せなんかじゃない。ご贔屓さんが在団し続けていてくれる方が、その10倍も100倍も1000倍も幸せなことは間違いない。でも、退団という動かしようのない現実の前では、幸せのてっぺんだったと言える。

二度と味わいたくない、でも大切にしたい24時間だった。

     ☆

2004年12月26日(日)

朝、6時。

携帯のアラームで目を覚ます。息子を預かってもらうため、前日から実家に帰ってきていた。私が起きると、息子は必ず目を覚ましてしまうので、起床するのは6時が限界。メイクと着替えを済ませ、軽く朝食。案の定、息子がとことこ起き出してきた。

6時30分。

暖めておいた車に乗り込む。エンジンの回転が上がるまで少し待つ。その間に会の伝言ダイヤルにかける。汐美さんは最後の入りの時間を自分の声で吹き込んでくれるはずだった。博多座の時も、最終お稽古日もそうだった。今回もきっとそう。一度真夜中に息子がうなされた時に聞いて、その時に聞けたのだけどもう一度、声を聞きたかった。が、何度かけても話し中。きっと私のように早起きして、リダイヤルし続けている人が多いのだろう。諦めて車を出す。当然周囲は真っ暗。

7時30分頃。

無事、自宅に到着。道路は空いていてスムーズに走れた。走っているうちに空が明るくなった。とてもいいお天気。良かった。
用意しておいた服に着替え、荷物を持って出る。一瞬、パソコンを立ち上げて日記を書こうかと思ったが、一刻も早く行った方がいいと思い直して自宅を出た。あまり寒さを感じなかった。

9時頃。

こちらもスムーズに電車を乗り継げて、新大阪に到着。5分後に出るのぞみに飛び乗ることにして、パンとコーヒーを買い込む。これなら11時公演のお芝居もかなり観られそう。最初はお芝居は全く捨てる気でいたのだが。

9時30分頃(新幹線車中)。

自由席も空いていてのんびり。パンとコーヒーの朝食を済ませ、携帯で友人たちにメールする。「無事新幹線、乗りました」「入りはいかがでしたか?」次々と返事が帰ってくる。良かったね、と言ってもらえる。「皆、大丈夫!あとはアナタだけ!」「待ってるよ」とも。有り難いことだ。
新幹線の中で少しでも寝ておこうと思ったが、全く眠れない。やはり気持ちが高揚しているのだろう。

途中、関ヶ原辺りで雨。真冬はこの辺りで雪が降る。新幹線は減速することもあって、到着時刻が遅れることもある。関西から上京する時に、一番天候が気になるのがこの辺り。雨なら大丈夫。

ある友人からメールが入る。「入りの汐美さんです」。携帯の画像が届いた。汐美さんの最後の入りの姿。全身白。白いベールまでかぶっている。顔はとても清々しい、というより、私には満足そう、充実しているように見えた。
友人にメールする。「ベールをかぶってるってことは、もしかして婚約者でも出てくるのでしょうか!?」冷静な友人から「みっこちゃんもおそろいでした」。なあんだ。ムラの時もきんさんと同期がいろいろ作ってくれたものを身に付けていたし、今回もそうなんだろう。ベールは作りやすいだろうし。

入りは行きたかった。とても。でも諸般の事情により諦めざるを得なかった。でも、こうやって、行けなくても、まだ自分が新幹線の中だというのに見たかった入の姿を観ることができる。文明の利器の存在と、そして友人たちの存在。それがなければこんな風に思うこともできなかっただろう。

携帯は宝塚ファンをやる上ではもう不可欠なシロモノだろう。入りや出の時間を知り、余ったチケットのやりとりをし、たとえ日本全国どこにいても一瞬で人事情報が手に入れられるのだ。

そして友人たちとのつながりも、この手のひらに収まるキカイが保っていてくれる。汐美さんが退団した後、この中の住所禄や送信・受信簿のリストはどう変わっていくのだろう。

汐美さんの退団でもうひとつ悲しいのは、汐美さんファンであることで知り合った友人たちとの別れだ。別れるつもりはなくても、遠方の友人たちとはもう会う機会もなくなるだろう。

汐美さんのファンというのは、「30代の働く女」というのがなぜか多かった。ま、私も子持ちだが一応その範疇に入るし。だから世代が同じなので、話していても境遇や話題が同じでとても付き合いやすかった。汐美さんの魅力にひっかかるのはその世代が多いということか。なぜだろう。もちろんそれ以外の年齢層の方もいらっしゃったけど。「血と砂」の時に感じたが、ゆうひちゃんファンは汐美ファンより10歳程度平均年齢が低いように感じた。

ドリーさんが「人間15年もたてば、男の好みは変わります」とおっしゃっていたのだが、30代というのは汐美さんの魅力がわかる年代なのではないだろうか。しかも働くということで世間の中で生きている女性が魅力を感じるタイプ。逆に老若男女(!?)幅広い層から支持される人ではなかったかもしれない。嫌われはしないが「イカれる」ということにはならなかったのだ。

同志ともいうべき友人たちからのメールを受けながら、新幹線は順調に走っていた。やはり一睡もできなかった。

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