ファミリーランド跡地
2005年2月20日 宝塚週末、音楽学校文化祭を観に来るという友人に会うために、久々に息子連れて車でムラへ向かった。観劇はなし。
武庫川沿いの桜並木の下を走る(帰り道では警察がお仕事中でした・・・)。桜の木はまだ冬仕様。灰色の枝をが幾重に重なり、その隙間からまた灰色の空が見えていた。
去年の春、満開の桜の下を走り抜けた時、まさか次の桜の時にはケロちゃんがいないなんてこと、想像しなかったよなぁ、などと思う。何を見てもそうやってじめじめと哀しんでいる私。いいのよ、哀しめる間は哀しんでおかないと。
お出かけではしゃぐ息子を持てあましつつ、友人とおしゃべり。楽しかった。
友人と別れた後、計画ではガーデンフィールズに行くつもりだった。息子を広い場所で思いきり遊ばせてやりたかったのだが、天候がよくなくて断念。もうちょっと暖かくなってから行こう。
にしても、これだけムラに通いながら、ガーデンフィールズに行ったことはなかった。どこまでが無料でどこからが有料ゾーンなのかがはっきりしない。犬とか触れるのは有料?チケットの半券持ってたら無料なの?
車でJRの宝塚駅まで行ったので、反対側からファミリーランド跡地を見ることになった。何やら四角いでっかい建物が建築中。「コーナン建設」とあったからもしかしてやっぱりコーナンができるの?建築確認申請までは読めなかったけど。ベビーザラス、フィットネスとは聞いていたが、コーナンは建築だけ?
はぁ。便利といえば便利だけどねぇ。なんだかこう露骨で。とはいえ、猫ご飯のお世話になってるから、観劇の帰りに買って帰られるのは便利だな。
その他の敷地はどうも住宅展示場になるらしい。住宅展示場はいいな。車が入れないから息子を放つにはちょうどいい。無料だし。
なんだかどんどん時は過ぎてるんだな、と感じてしまった。
☆
「おかあさんといっしょ」の体操のお兄さんが3月末で交代するそうだ。全然知らなかったが、あの体操のお兄さんは12年、やっていたそうだ。
そうだったのかぁ。彼のことを「カリスマのお兄さん」と聞いたことがあって、なんでなの?そんなに今風のハンサムでもないしぃ、いい男というと「BSおかあさんといっしょ」のお兄さんたちの方が恰好いいよ、と思っていたらそれだけ長いことやっていたってこともあったんだな。
「おかあさんといっしょ」を見るようになってわかったこと。お兄さんには「歌の」ひとと「体操の」ひとがいる。お姉さんは「うたの」しょうこちゃんだけだけど、「デポンのお姉さん」というダンスのひともいる。コンサートはこの4人が出る。デポンの人も3月末で交代だそうだ。
12年といえば、ヅカファンとしては花ちゃんのことを思い浮かべずにはいられない。いいのっ!私は花ちゃん、もっとやって欲しいもん!
就任12年後に、まだ白いダルマ姿で大階段に立てる人って他にいる?たとえばかなみちゃんが12年後に、もっと若かったえみくらちゃんが12年後に、白ダルマ姿になれるか?というと多分なれない。花ちゃんだからできるんだ。
体操のお兄さんが辞める時には、サヨナラショーみたいなのはあるのかな?と思ってしまったのはヅカファンの性ですな。
☆
NHKの「新・シルクロード」にどうもなじめない。
25年もたっているのだから、例えばウルムチやトルファンが近代化してビルの街になっていてもそれはしょうがない。
でも何か、違う。郷愁に全く誘われない。
視点が違う気がする。「シルクロード」は旅人の視点だった。そこにある街、人、歴史を淡々と見せ、語ってくれていた。不器用なまでに素直に。観る者の視点に近いそれは、自分もまた旅人であるような錯覚を起こさせた。
強烈な郷愁。まるで前世の記憶まで掘り起こすような懐しさに突き動かされ、私はインドの奥まで行ってしまった。行かなければ、どうしても行かなければ、自分の目で見なければ。そう思い全くためらわずに飛行機に乗ってしまった。
「新・シルクロード」は行く必要を感じさせない。この場にいて、座って見ているだけでいい。そう感じてしまう。CGで見えないものも見せてくれる。俳優を使った(であろう)再現ドラマで当時の人の葛藤も表現してしまう。
視点は旅人ではない。もっと高みから観る者を導く教育者のようだ。知らない者たちに教えてやろうという姿勢が見える。たとえそこへ行ったところで、一般の人たちには見えないだろうものまで見せてやろう、と。
そんな必要、あるんだろうか。何もかも見せなければならないのだろうか。想像の余地や自分の5感を試したくなる気持ちを、残しておいてはくれないのだろうか。
確かに25年の間に、プチシルクロードみたいな番組もたくさんあって、新しい切り口でこの場所を見せる難しさもあるだろう。私たちの情報量も多くなって、とことんまでやって欲しいというニーズもあるのかもしれない。
でも、私にの中の「シルクロード」とは別物だな、と思ってしまった。
語りが松平氏ってのもあるんだな。「その時歴史は動いた」まんま。「新・シルクロード」は「その時歴史は動いた」別バージョンだと思って気楽に見ることにしよう。
武庫川沿いの桜並木の下を走る(帰り道では警察がお仕事中でした・・・)。桜の木はまだ冬仕様。灰色の枝をが幾重に重なり、その隙間からまた灰色の空が見えていた。
去年の春、満開の桜の下を走り抜けた時、まさか次の桜の時にはケロちゃんがいないなんてこと、想像しなかったよなぁ、などと思う。何を見てもそうやってじめじめと哀しんでいる私。いいのよ、哀しめる間は哀しんでおかないと。
お出かけではしゃぐ息子を持てあましつつ、友人とおしゃべり。楽しかった。
友人と別れた後、計画ではガーデンフィールズに行くつもりだった。息子を広い場所で思いきり遊ばせてやりたかったのだが、天候がよくなくて断念。もうちょっと暖かくなってから行こう。
にしても、これだけムラに通いながら、ガーデンフィールズに行ったことはなかった。どこまでが無料でどこからが有料ゾーンなのかがはっきりしない。犬とか触れるのは有料?チケットの半券持ってたら無料なの?
車でJRの宝塚駅まで行ったので、反対側からファミリーランド跡地を見ることになった。何やら四角いでっかい建物が建築中。「コーナン建設」とあったからもしかしてやっぱりコーナンができるの?建築確認申請までは読めなかったけど。ベビーザラス、フィットネスとは聞いていたが、コーナンは建築だけ?
はぁ。便利といえば便利だけどねぇ。なんだかこう露骨で。とはいえ、猫ご飯のお世話になってるから、観劇の帰りに買って帰られるのは便利だな。
その他の敷地はどうも住宅展示場になるらしい。住宅展示場はいいな。車が入れないから息子を放つにはちょうどいい。無料だし。
なんだかどんどん時は過ぎてるんだな、と感じてしまった。
☆
「おかあさんといっしょ」の体操のお兄さんが3月末で交代するそうだ。全然知らなかったが、あの体操のお兄さんは12年、やっていたそうだ。
そうだったのかぁ。彼のことを「カリスマのお兄さん」と聞いたことがあって、なんでなの?そんなに今風のハンサムでもないしぃ、いい男というと「BSおかあさんといっしょ」のお兄さんたちの方が恰好いいよ、と思っていたらそれだけ長いことやっていたってこともあったんだな。
「おかあさんといっしょ」を見るようになってわかったこと。お兄さんには「歌の」ひとと「体操の」ひとがいる。お姉さんは「うたの」しょうこちゃんだけだけど、「デポンのお姉さん」というダンスのひともいる。コンサートはこの4人が出る。デポンの人も3月末で交代だそうだ。
12年といえば、ヅカファンとしては花ちゃんのことを思い浮かべずにはいられない。いいのっ!私は花ちゃん、もっとやって欲しいもん!
就任12年後に、まだ白いダルマ姿で大階段に立てる人って他にいる?たとえばかなみちゃんが12年後に、もっと若かったえみくらちゃんが12年後に、白ダルマ姿になれるか?というと多分なれない。花ちゃんだからできるんだ。
体操のお兄さんが辞める時には、サヨナラショーみたいなのはあるのかな?と思ってしまったのはヅカファンの性ですな。
☆
NHKの「新・シルクロード」にどうもなじめない。
25年もたっているのだから、例えばウルムチやトルファンが近代化してビルの街になっていてもそれはしょうがない。
でも何か、違う。郷愁に全く誘われない。
視点が違う気がする。「シルクロード」は旅人の視点だった。そこにある街、人、歴史を淡々と見せ、語ってくれていた。不器用なまでに素直に。観る者の視点に近いそれは、自分もまた旅人であるような錯覚を起こさせた。
強烈な郷愁。まるで前世の記憶まで掘り起こすような懐しさに突き動かされ、私はインドの奥まで行ってしまった。行かなければ、どうしても行かなければ、自分の目で見なければ。そう思い全くためらわずに飛行機に乗ってしまった。
「新・シルクロード」は行く必要を感じさせない。この場にいて、座って見ているだけでいい。そう感じてしまう。CGで見えないものも見せてくれる。俳優を使った(であろう)再現ドラマで当時の人の葛藤も表現してしまう。
視点は旅人ではない。もっと高みから観る者を導く教育者のようだ。知らない者たちに教えてやろうという姿勢が見える。たとえそこへ行ったところで、一般の人たちには見えないだろうものまで見せてやろう、と。
そんな必要、あるんだろうか。何もかも見せなければならないのだろうか。想像の余地や自分の5感を試したくなる気持ちを、残しておいてはくれないのだろうか。
確かに25年の間に、プチシルクロードみたいな番組もたくさんあって、新しい切り口でこの場所を見せる難しさもあるだろう。私たちの情報量も多くなって、とことんまでやって欲しいというニーズもあるのかもしれない。
でも、私にの中の「シルクロード」とは別物だな、と思ってしまった。
語りが松平氏ってのもあるんだな。「その時歴史は動いた」まんま。「新・シルクロード」は「その時歴史は動いた」別バージョンだと思って気楽に見ることにしよう。
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