ハウルは男の子、だった。
いや、ゆうひくんの猫の話。今月号のグラフを立ち読みしたのは、お部屋紹介のコーナーがゆうひくんだと聞いたから。
部屋のイラストの中に当然のようにいるグレーの猫。「今年になって飼い始めた雄猫」とあった。ハウルっちゅー名前だから男の子だと思っていたが、やっぱりそうだったか。
☆
先日、緑野こあら師匠とお目にかかった時、話題の一つに当然のように猫の話が出た。師匠も私も完全猫派。猫族。自分ちの猫の愛らしさ(含むバカな話)を語り合う。ああ、猫の可愛さを分かってくれる人と話せる心地よさ。
師匠はおっしゃる。「犬も飼いたいなぁ。愛されたいわ」と。
師匠は以前にも日記でおっしゃっていたけど、猫好きは総じて犬も好き。我が家は一族郎党猫好きの家系だが(この前の実家の物置きのリフォームでは、猫用の屋根付き出入り口を作っていた)、皆確かに犬も好きで以前は犬を飼っていたし、犬を見ると駆け寄ってしまう。犬っつーか動物好きなようだ。
犬好きな人は、猫には興味を示さない。“自分を愛してくれる人”が好きなんだそうだ。
師匠、私が愛してますから、それじゃダメ?猫好きは、犬も好きでしょうが、毎日毎日“愛してまーす!”と言われると、それはそれでうっとおしいと思いますよん?
いやいや、師匠も“愛する、人”なんだと思う。愛することで愛を感じる人。
猫はいっくら愛を捧げてもそれは当然の行為、つれなくして普通、気が向いた時だけ愛に愛を返してくれる。その度に喜びにうち震え、ついまた愛を捧げてしまう猫族な私たち。愛されるより愛する喜びを知ってしまった私たち。
新聞や雑誌で時々ある「我が家の猫紹介」特集。確実にその何割かの猫は“たまたま家族が引き取って来た猫が、お父さんをめろめろにしてしまった”というエピソードと共に紹介されている。愛する喜びは、かなり強烈なんだと思う。
ケロちゃんも猫族。実家で飼っている2匹の猫。確か2匹とも女の子じゃなかったかな?(違ってたらごめんなさい)。
☆
我が家の猫は男の子と女の子が1匹ずつ。同腹のきょうだい猫だ。今まで飼って来た猫たちは男の子も女の子もいて、それぞれに性格があり、それは性別差というより個体差だと思っていた。初めてきょうだいで男の子と女の子を一緒に飼うようになって、明らかに個体差以前の性別差を感じてしまった。
女の子猫はオンナなんだ。上目遣い、ができる。つれないそぶりで人を翻弄するテクニックは生まれついて身につけている。男の子猫はオトコ。“ボク、王様だもん!”とストレート。素でイジけてみたりする。
女の子の方がより猫らしく、男の子はわずかながら犬的性格も持ち合わせているように思う。
だから、ゆうひくんの猫が男の子というので、ちょっと納得したのだ。ゆうひくんは真実はどうだか知らないけど、イメージは犬派、愛される、人。ケロちゃんは猫派、愛する、人。
☆
我が家の猫たちは、どちらも最高に可愛い。男の子女の子の性差個体差関係なく。男の子には男の子の、女の子には女の子の、それぞれ良さがある。
私も愛する、人、なんだと思う。犬は大好きだけど、多分、一生猫飼い、猫族で生きていくだろうな。一度、愛する喜びにはまってしまったら決して抜け出せない。
あなたも、愛する喜びにはまってみませんか?
☆
余談。
ケロちゃんと猫のエピソード。以前書いたかもしれないが、退団発表があったあの日。絶望的な気分で楽屋口で待ち受けていた私たちの前に、何度か解散、集合を繰り返したあと、やっとケロちゃんが現れた。悲壮な目をしてケロちゃんに駆け寄ろうとしていたはずなのに、ケロちゃんたら、楽屋口を通りかかった散歩中の猫(!高価そうな猫がリードをつけられて犬のように散歩していた)を目を丸くして、嬉しそうにその猫の方ばっかり見ていたのよっ。
あのー、私たちは〜???もしかして猫に負けてたんでしょうか。
本気で、ケロちゃん、猫好きなんだなぁ、と思ったとほほな思い出です。
いや、ゆうひくんの猫の話。今月号のグラフを立ち読みしたのは、お部屋紹介のコーナーがゆうひくんだと聞いたから。
部屋のイラストの中に当然のようにいるグレーの猫。「今年になって飼い始めた雄猫」とあった。ハウルっちゅー名前だから男の子だと思っていたが、やっぱりそうだったか。
☆
先日、緑野こあら師匠とお目にかかった時、話題の一つに当然のように猫の話が出た。師匠も私も完全猫派。猫族。自分ちの猫の愛らしさ(含むバカな話)を語り合う。ああ、猫の可愛さを分かってくれる人と話せる心地よさ。
師匠はおっしゃる。「犬も飼いたいなぁ。愛されたいわ」と。
師匠は以前にも日記でおっしゃっていたけど、猫好きは総じて犬も好き。我が家は一族郎党猫好きの家系だが(この前の実家の物置きのリフォームでは、猫用の屋根付き出入り口を作っていた)、皆確かに犬も好きで以前は犬を飼っていたし、犬を見ると駆け寄ってしまう。犬っつーか動物好きなようだ。
犬好きな人は、猫には興味を示さない。“自分を愛してくれる人”が好きなんだそうだ。
師匠、私が愛してますから、それじゃダメ?猫好きは、犬も好きでしょうが、毎日毎日“愛してまーす!”と言われると、それはそれでうっとおしいと思いますよん?
いやいや、師匠も“愛する、人”なんだと思う。愛することで愛を感じる人。
猫はいっくら愛を捧げてもそれは当然の行為、つれなくして普通、気が向いた時だけ愛に愛を返してくれる。その度に喜びにうち震え、ついまた愛を捧げてしまう猫族な私たち。愛されるより愛する喜びを知ってしまった私たち。
新聞や雑誌で時々ある「我が家の猫紹介」特集。確実にその何割かの猫は“たまたま家族が引き取って来た猫が、お父さんをめろめろにしてしまった”というエピソードと共に紹介されている。愛する喜びは、かなり強烈なんだと思う。
ケロちゃんも猫族。実家で飼っている2匹の猫。確か2匹とも女の子じゃなかったかな?(違ってたらごめんなさい)。
☆
我が家の猫は男の子と女の子が1匹ずつ。同腹のきょうだい猫だ。今まで飼って来た猫たちは男の子も女の子もいて、それぞれに性格があり、それは性別差というより個体差だと思っていた。初めてきょうだいで男の子と女の子を一緒に飼うようになって、明らかに個体差以前の性別差を感じてしまった。
女の子猫はオンナなんだ。上目遣い、ができる。つれないそぶりで人を翻弄するテクニックは生まれついて身につけている。男の子猫はオトコ。“ボク、王様だもん!”とストレート。素でイジけてみたりする。
女の子の方がより猫らしく、男の子はわずかながら犬的性格も持ち合わせているように思う。
だから、ゆうひくんの猫が男の子というので、ちょっと納得したのだ。ゆうひくんは真実はどうだか知らないけど、イメージは犬派、愛される、人。ケロちゃんは猫派、愛する、人。
☆
我が家の猫たちは、どちらも最高に可愛い。男の子女の子の性差個体差関係なく。男の子には男の子の、女の子には女の子の、それぞれ良さがある。
私も愛する、人、なんだと思う。犬は大好きだけど、多分、一生猫飼い、猫族で生きていくだろうな。一度、愛する喜びにはまってしまったら決して抜け出せない。
あなたも、愛する喜びにはまってみませんか?
☆
余談。
ケロちゃんと猫のエピソード。以前書いたかもしれないが、退団発表があったあの日。絶望的な気分で楽屋口で待ち受けていた私たちの前に、何度か解散、集合を繰り返したあと、やっとケロちゃんが現れた。悲壮な目をしてケロちゃんに駆け寄ろうとしていたはずなのに、ケロちゃんたら、楽屋口を通りかかった散歩中の猫(!高価そうな猫がリードをつけられて犬のように散歩していた)を目を丸くして、嬉しそうにその猫の方ばっかり見ていたのよっ。
あのー、私たちは〜???もしかして猫に負けてたんでしょうか。
本気で、ケロちゃん、猫好きなんだなぁ、と思ったとほほな思い出です。
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