「長崎しぐれ坂」は結局2回しか観なかった。東宝も行く予定はないので大劇楽で見おさめ。

1回目に観たときから、人によっては気づかなかったという「卯之助、袖の下から小船を指す」というしぐさも私は気づいていたし、そもそも植田先生の作品だから、観る側が納得しようがどうだろうが、むなしい作品よ、とストーリーには諦めがついていた。

楽を観たときも、「はー、へー、ほー」ってなモンで、あまり感情を入れず見ていた。だってもうこれしか観ないのに、自分の中で納得っちゅーか昇華させる時間もないし、私は檀ちゃんの見送りのほうにエネルギー使いたかったし。

でも、kineさんのわたるくんお茶会のご報告を読んでひっかかっていたことがあった。あのラストシーン、イシ&わたるの愛の小船(@緑野こあら師匠)だが、その後、卯之助は死ぬ・・・らしい。あのまま船でイシちゃんと流されて沈んでいくっつーこってすな。

えええーーーっ!?

わたるくんがお茶会でそのような発言をしたらしく、私はkineさんに確かめてしまったよ。わたるくんの独自解釈なのか、植田先生の意図なのかはよくわかなんいけど。

ちょっと待ってよ。

わたるくんがとりあえず船に飛び乗って岸から船を離したのは、これ以上銃弾を浴びないため、追っ手を避けるため、伊佐を介抱するためでしょ?結果、伊佐が死んでしまったのはまぁ、撃ったしぃちゃんの腕がよかったっつーわけで。

なんで卯之助まで一緒に死ななきゃなんないのよ。場所は長崎の湾。奥深くに入り組んだ細い入り江(だったはず)。江戸まであの小船で行けなんて言わないよ。湾を出るだけでも大変だよ。夜の闇にまぎれてどこかの岸に流れ着き、そっと船を下りて伊佐の亡骸を埋め、髪の毛のひと房でも切り取って、それを懐に江戸へ。「お前さんがあれほど行きたがってた江戸だぜ」なんていいながら、縁の地にそっと撒いてやる、自分は一生その思い出と傷を背負っていきていく・・・ってのが男の美学ってもんじゃないのー!?そしてさらに年月は流れ、囲われ者から立場を変えたおしまとどこかで邂逅し、あの時のことを振り返る、そして自分たちの生きてきた道のむなしさを思う。こうじゃないのー!?こっちのほうがはるかに私は余韻に浸れる。

なのに、心中。なんで、心中。

一緒に死ねば観客は最後に力づくで納得させられる、と思うんでしょーか。

私はこのラストの結果で、スルーしようと思っていたストーリーへの疑問が一気に噴出してしまったよ。

宝塚でヘンな話はいっぱいあるけど、やっぱりなぁ。ラスト、幼馴染しかも男同士で船の中で心中する話ってのはかなりヘンな部類に入ると思う。深い溜息をついてしまうよ。

そんなことを考えていたら、星東宝、初日を迎えていたんですね。はぁ。檀ちゃん、いよいよ最後だ。

しかし。

「兄弟心中@血と砂」は許せてしまうってのが、あの、その、それがファンの甘さっちゅうか、酔ってるところなんでしょうか。こそこそ。

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