「太陽の塔」の中に入れる、と知ったのは緑野こあら師匠の日記で、だった。
「太陽の塔」の中に入れるなんて、思いもしなかった。そもそも、中がどうなっているかなど考えたこともなかった。へぇ、あの中に入れるんだ。何があるんだろう?私は万博の(万博といえば、大阪万博です!)時はまだ幼くて、かろうじて“行った”ことは覚えているものの、その記憶ははなはだしく断片的で、どこに何があったかなどは全く覚えていない。
家で万博の絵本を見たり、シンボルマーク型の貯金箱で遊んだことのほうが印象に強いくらいだ。
その後、何かの記事で「国立民族学博物館」は、万博当時「太陽の塔」の地下に展示されていた民族資料を基に展示がされている、という記述をみつけ、興味を持った。
「国立民族学博物館」は、近畿圏の中学生の例にもれず、遠足で訪れた。同級生たちは、大雨でメインイベントだったエキスポランドに入れずがっかりしていたが、私は博物館が大変気に入った。
当時は最新の機器だった「ビデオテーク」。近未来を思わせるブースで、世界の人々の生活を映したビデオを自由に選択し、待っていれば目の前の画面に映し出される。そのシステムにも、世界の人々の多様性にも目を見張った。
展示にも圧倒された。その頃、博物館というと、どこかで掘り出された土器などがうやうやしくガラスケースに並べられていて、掘り出された場所と推定年代が書かれたプレートが置かれているだけ。なにやらおどろおどろしい雰囲気で、見せてあげるからありがたく見なさい、見る側から勉強しなさい、というものばかり。つまんない場所だった。
ところが民族学博物館の展示は入り口から違っていた。どこかの国で使われているという大きな手回しオルガンがあり、展示ブースへ行くと南の島で使われているのだろう木彫りの舟がどんっと置かれていた。展示されているものの量も半端じゃない。それが目の前の手に届きそうなところで見られる。解説も、それらがどう使われているものなのか、リアルに書かれていたように思う。
世界の人々が今も普通に使われているものが、展示価値があると誰かが決めて、展示した。後年知ったことだが、展示はほとんどがレプリカなのだ。それでもその展示方法、つまり編集方法によって、中学生ですら「世界にはいろいろな人がいるのだ。いろいろな暮らしをしているのだ」ということが肌に迫って理解させられた。
その時は時間切れで、全ての展示を見ることができず、私はまたどうやってか(親か親戚に連れて行ってもらったかな?)民族学博物館へ行った。大学生になっても何度も行った。兄弟博物館の千葉・佐倉の「国立歴史民俗博物館」へもひとり、出かけていった。民族学博物館の時間軸が「横」なら歴史民俗博物館は「縦」。日本の古墳時代からの普通の人々の暮らしがそこにはまた、迫力ある展示と解説で再現されていた。
民族学博物館の展示の基礎となったものがそこにあった。それが私が「太陽の塔」の内部を見てみたいと思ったきっかけだった。
師匠がご覧になりたいとおっしゃってたなぁと思いつつ、ネットをさまよっていたとき、旅行代理店から申し込めば、内部を見られるということを知った。1シーズンに数日が設定されているようで、春は間に合わなかった。夏の開催を知り、師匠をお誘いし8月の日曜日に申し込んだ。ランチバイキング付で4300円なら安いと思った。自分でハガキで申し込んだりする手間もないし。
しかし。
あんなに暑い日になるとは思わなかったよー(涙)。申し込んだときはまだ暑くなかったんだ。
「太陽の塔」の中に入れるなんて、思いもしなかった。そもそも、中がどうなっているかなど考えたこともなかった。へぇ、あの中に入れるんだ。何があるんだろう?私は万博の(万博といえば、大阪万博です!)時はまだ幼くて、かろうじて“行った”ことは覚えているものの、その記憶ははなはだしく断片的で、どこに何があったかなどは全く覚えていない。
家で万博の絵本を見たり、シンボルマーク型の貯金箱で遊んだことのほうが印象に強いくらいだ。
その後、何かの記事で「国立民族学博物館」は、万博当時「太陽の塔」の地下に展示されていた民族資料を基に展示がされている、という記述をみつけ、興味を持った。
「国立民族学博物館」は、近畿圏の中学生の例にもれず、遠足で訪れた。同級生たちは、大雨でメインイベントだったエキスポランドに入れずがっかりしていたが、私は博物館が大変気に入った。
当時は最新の機器だった「ビデオテーク」。近未来を思わせるブースで、世界の人々の生活を映したビデオを自由に選択し、待っていれば目の前の画面に映し出される。そのシステムにも、世界の人々の多様性にも目を見張った。
展示にも圧倒された。その頃、博物館というと、どこかで掘り出された土器などがうやうやしくガラスケースに並べられていて、掘り出された場所と推定年代が書かれたプレートが置かれているだけ。なにやらおどろおどろしい雰囲気で、見せてあげるからありがたく見なさい、見る側から勉強しなさい、というものばかり。つまんない場所だった。
ところが民族学博物館の展示は入り口から違っていた。どこかの国で使われているという大きな手回しオルガンがあり、展示ブースへ行くと南の島で使われているのだろう木彫りの舟がどんっと置かれていた。展示されているものの量も半端じゃない。それが目の前の手に届きそうなところで見られる。解説も、それらがどう使われているものなのか、リアルに書かれていたように思う。
世界の人々が今も普通に使われているものが、展示価値があると誰かが決めて、展示した。後年知ったことだが、展示はほとんどがレプリカなのだ。それでもその展示方法、つまり編集方法によって、中学生ですら「世界にはいろいろな人がいるのだ。いろいろな暮らしをしているのだ」ということが肌に迫って理解させられた。
その時は時間切れで、全ての展示を見ることができず、私はまたどうやってか(親か親戚に連れて行ってもらったかな?)民族学博物館へ行った。大学生になっても何度も行った。兄弟博物館の千葉・佐倉の「国立歴史民俗博物館」へもひとり、出かけていった。民族学博物館の時間軸が「横」なら歴史民俗博物館は「縦」。日本の古墳時代からの普通の人々の暮らしがそこにはまた、迫力ある展示と解説で再現されていた。
民族学博物館の展示の基礎となったものがそこにあった。それが私が「太陽の塔」の内部を見てみたいと思ったきっかけだった。
師匠がご覧になりたいとおっしゃってたなぁと思いつつ、ネットをさまよっていたとき、旅行代理店から申し込めば、内部を見られるということを知った。1シーズンに数日が設定されているようで、春は間に合わなかった。夏の開催を知り、師匠をお誘いし8月の日曜日に申し込んだ。ランチバイキング付で4300円なら安いと思った。自分でハガキで申し込んだりする手間もないし。
しかし。
あんなに暑い日になるとは思わなかったよー(涙)。申し込んだときはまだ暑くなかったんだ。
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