1年前のあの日から1年が過ぎたなぁ。
あの頃、ホントよくやっていたと我ながら思う。まだ真っ暗い冬の山道を、新幹線に乗るために車で走ったんだよなぁ。息子を強引に実家に預けて。いい思い出。というか「子供がいるから」と諦めてしまう前にやってみればなんとかなるもんだ、ということがわかった気がする。それだけの無茶をする動機がいるけれど。ご贔屓の退団というのはそれだけのエネルギーが出るものなんだ。
未だに「汐美さん、なんで辞めたの!?」とじめついている私だが、でも実は、わかっていた。汐美さんがなんで辞めたのか。
スターじゃなくなってきたから。
あくまで私の推測の話として読んで欲しいが、TCAや歌劇の座談会から外されてショックを受けていたのはファンだけではなくて、何よりご本人だったと思う。
汐美さんは新公の主役をやってはいなかったけど、スターとして扱われていた。でも、星組に移ってしばらくしてから、外され始めてきた。
ファンから見てもそれはわかる、ということは劇団内部にいる本人は肌でそれをひしひしと感じていただろう。
渋い脇の重鎮や組長として残るという道もあったとは思う。でも汐美さんはそれよりもスターでいたかったのだと思う。自分のイメージと扱われ方にズレが出てきた。それを埋めることを選ばなかったのではないか。
私はスターの汐美さんが好きだった。だから東京でスターのオーラをまとっている汐美さんを見るのが好きだった。
渋い脇の重鎮である汐美さんを見たかったか?と言われると、私は「NO」だ。私はスターの汐美さんが好き。だから辞めた汐美さんの意志と、私の希望は一致しているかもしれない。
1年たってそれを告白しようと思う。
でもね、やっぱり淋しいのだ。スターの汐美さんが好きといいつつ、どんな形でもいいから汐美さんを見続けたかった、また見たいという気持ちも抑えられないのだ。
あの頃、ホントよくやっていたと我ながら思う。まだ真っ暗い冬の山道を、新幹線に乗るために車で走ったんだよなぁ。息子を強引に実家に預けて。いい思い出。というか「子供がいるから」と諦めてしまう前にやってみればなんとかなるもんだ、ということがわかった気がする。それだけの無茶をする動機がいるけれど。ご贔屓の退団というのはそれだけのエネルギーが出るものなんだ。
未だに「汐美さん、なんで辞めたの!?」とじめついている私だが、でも実は、わかっていた。汐美さんがなんで辞めたのか。
スターじゃなくなってきたから。
あくまで私の推測の話として読んで欲しいが、TCAや歌劇の座談会から外されてショックを受けていたのはファンだけではなくて、何よりご本人だったと思う。
汐美さんは新公の主役をやってはいなかったけど、スターとして扱われていた。でも、星組に移ってしばらくしてから、外され始めてきた。
ファンから見てもそれはわかる、ということは劇団内部にいる本人は肌でそれをひしひしと感じていただろう。
渋い脇の重鎮や組長として残るという道もあったとは思う。でも汐美さんはそれよりもスターでいたかったのだと思う。自分のイメージと扱われ方にズレが出てきた。それを埋めることを選ばなかったのではないか。
私はスターの汐美さんが好きだった。だから東京でスターのオーラをまとっている汐美さんを見るのが好きだった。
渋い脇の重鎮である汐美さんを見たかったか?と言われると、私は「NO」だ。私はスターの汐美さんが好き。だから辞めた汐美さんの意志と、私の希望は一致しているかもしれない。
1年たってそれを告白しようと思う。
でもね、やっぱり淋しいのだ。スターの汐美さんが好きといいつつ、どんな形でもいいから汐美さんを見続けたかった、また見たいという気持ちも抑えられないのだ。
パレルモの主人公たちは愛しあえたはずだった
2005年12月6日 宝塚私は前の月組大劇場公演を観なかった。なんだか腰が重かった。大劇場公演、チケットなんて確保してなくても、観られないことなんてまず、ない。宝塚に関しては、恵まれた場所にいる私。なのにぐずぐずしているうちに終わってしまった。
そして、反省した。
緑野こあら師匠の日記が・・・・何を言っているかわからない。いや、師匠の文章、わからないなんてことはありえない。ふつーの人間が日常生活を乏しい文章力で書き散らした日記とは訳が違う。読まれることを意識して書かれた文章。
私がわからないのは、中味、なのだ。
わからないのではない、味わえないのだ!月組公演についてあーんなことやこーんなことを書かれているのに、それがわからない。「うんうん」とうなずけない。「そうそう、そうだったのよ!」と握りこぶしもできない。
つまんない。
関西在住で、ほぼ全ての宝塚の舞台をご覧になって、日記できめ細かく素晴らしい感性と文章で、感想書いてくださっている方がいらっしゃるというのに、その日記を楽しめないなんて!きいーっ。悔しいっ!
だからちゃんと観劇しようと思った。
観劇してこそ初めて、師匠の文章を隅々まで味わえる。と、ご本人に真面目に伝えたら、呆れられた。「それが観劇の理由だなんて」と。でもやはり師匠の日記を読んでいる友人は「その気持ち、わかります」と笑って同意してくれた。
でもそういうもんじゃないかなあ?私は宝塚を観るようになったばかりの頃は一人で観て一人で帰っていた。ヒマだから車で山越えしてみたり。それはそれで楽しかった。でもネットで知り合った友人たちと観劇後におしゃべりするようになってから、もっと楽しくなった。
あそこはああいうことよね?え?そういう解釈もあるんだ。誰々ちゃん、良かったよね、あの演出はちょっとどうかな?etc.関西だとどの組もまんべんなく観ている人が多いから、話は尽きない。いくらでもおしゃべりできた。他の方の感想を聞いて発見することもあり、また次の観劇意欲がわいてきた。
師匠の文章はおしゃべりよりさらに新しい発見や感動をもたらしてくれた。なるほど、そういうことだったのか!なんかぼんやり感じていたことが、あざやかに描き出される文章。そんな見方もあったのか、思いつかなかったことも教えてもらえる。
でもそれらは、実際に舞台を観ていないとダメ。うなずきの角度が違うのだ。観てから師匠の文章を読むと、上下に90度以上、首を振れてしまう。
子供ができてからはゆっくりおしゃべりすることも難しくなってしまったから、師匠の文章は私には何にも代えがたいものなのだ。
ちゃんと観劇しよう。舞台も師匠の文章も味わい尽くすんだ。
で、頑張って花組を観にいった。いや、元々ちゃんと観るつもりではいた。パレルモは以前行ったことがあって、そこを舞台にした作品ということで楽しみだった。シチリアのあの何ともいえない寂寥感のある雰囲気が出てるかな?キリスト教とイスラム教の混じった場所。景子先生だし、きっとこだわりの作品なんだろうな。
いやはや、べったべたのラブロマンス。でも普通の人に「宝塚ってこうなんですよ?」と紹介できる作品だな、と思った。「炎」はちとまずいだろうし、「長崎」はやめとけだし、「マラケシュ」はヅカ的じゃないし。次は「ベルばら」だし。
ふーちゃんの退団作品。ドレスがとっても素敵だった。登場するときのドレスが一番好きかな。回りからひとり浮くほど(笑)きれいだった。他のドレスも上品でセンスがよくてさすが景子先生。どんな子でも娘役になったからには、こんなドレス次々と着てみたいだろうなぁ。
あすかちゃんは現代パートのヒロイン。すらりとした脚が美しく、とってもキレイ。一花ちゃんも可愛いし、彩音ちゃんもお嬢様。きほちゃん、歌も姿も可憐で美しい。もちろん男役も、ゆみこちゃん、まとぶん、らんとむ、そのか、さおたさん・・・ちゃんとみんな使いこなしている。さすが景子先生(まっつは物足りなかった)。悪い役がいないんだよね。それなのに、ちゃんと物語がドラマとして進んでいく。
オサちゃんも軍服がぱりっと似合って格好よかった。
でもね、私は観ながら不思議だなぁ、なんか変だなぁと思っていた。だって、オサちゃんにしてはまっとうなんだもの!正攻法でヒロインの父に、昔の仲間に、人生に対峙している。なんだかお尻がこそばゆい違和感があったのだ。いつヴィットリオは本性を表すんだろう、などと思いながら観ていた。
もちろん、ヴィットリオにそんな本性はあるわけもなく、お話も半ばを過ぎた辺りから「これはこういう物語なんだわ、美しい絵物語なんだわ」と知らずのうちに納得して見ていたような気がする。演じられたヴィットリオとアンリエッタのおとぎ話。正攻法な主人公は、当然のように彼のために用意された器に迎え入れられ、おとぎ話はハッピーエンドだった。
ま、こんなもんか。でも楽しかった美しかったし。もともと景子先生はオサちゃんのために書いた役じゃないんだろうし。でももう一回観たいな。なんて思っていた。
そしてしばらくして、師匠の花組新公の感想がアップされた。それを読んで愕然とした。そうだったんだ・・・そうだったんだ・・・ヴィットリオとアンリエッタは愛し合うことができるはずのお話だったんだ。知らなかったよ。そう思ってみていなかったよ。そうでなくてもいいと知らずのうちに納得していたよ。
オサ・ヴィットリオとふー・アンリエッタは愛し合っていた。でもその前に、頭のよさを生かして人生を上ろうとしている男と、家や自分自身の人生を大切にする女、という立場があってこその愛だったよ。そしてさらにその前に、安定期に入ったトップスターと、退団公演中の娘役トップだったよ。
それが悪いわけじゃない、それで私は納得し、満足して劇場を後にしたんだもの。でも、愛し合うこともできる二人の物語として書かれていたんだ。
師匠の文章は、こうやって自分で気づいてなかったことに気づかせてくれることがたくさん、ある。私は関西人だから同じ料金を払っても、こうやって何度も発見があって楽しませてもらえるとものすごーく得した気になる。ありがたいことだ。
数年前、偶然検索でひっかかって師匠の日記にめぐり合って、以来、毎日ほぼ欠かさずアクセスさせていただいている。時々過去の日記を読み返させていただくこともあったりする。これだけ書き続けることってどれだけ大変なことか。これからも一読者として心より応援させていただけたらと思っております。
ショーは楽しかったです。前の「アジアンサンライズ」も結構楽しんで観ていたので、懐かしかった。前のときはタモさんが真ん中にいたよなぁ。あのあっかるいタモさんのショーがオサバージョンになってどうなるかと思ったが、ちゃんとオサちゃん的シーンも入っていて似合うようになっていた。
衣装の使いまわしで気づいたのは、中詰めのふーちゃんの濃いピンクのワンピースは、「ESP」の中詰めで檀ちゃんが着ていたもの。あすかちゃんとらんとむくん(だっけ?)の結婚式のシーンでまとぶんたちが着ていた海軍士官のお衣装は、「Withナントカ」の南の島の合コンシーンで、ケロちゃんたちが着ていたものだと思う。あの生地の弱り具合からも多分、そう。中日まで着てたからねー。
しつこくこうやってまみ&ケロの時代の影ばかり追い掛け回している、へタレな私です。
え?オヅキ?何のこと?(でもどーして新公アンドレじゃないの!?幕降りるまで一所懸命見ていたら、視線、ちょっとだけくれたような気がします。いい子だ〜)
そして、反省した。
緑野こあら師匠の日記が・・・・何を言っているかわからない。いや、師匠の文章、わからないなんてことはありえない。ふつーの人間が日常生活を乏しい文章力で書き散らした日記とは訳が違う。読まれることを意識して書かれた文章。
私がわからないのは、中味、なのだ。
わからないのではない、味わえないのだ!月組公演についてあーんなことやこーんなことを書かれているのに、それがわからない。「うんうん」とうなずけない。「そうそう、そうだったのよ!」と握りこぶしもできない。
つまんない。
関西在住で、ほぼ全ての宝塚の舞台をご覧になって、日記できめ細かく素晴らしい感性と文章で、感想書いてくださっている方がいらっしゃるというのに、その日記を楽しめないなんて!きいーっ。悔しいっ!
だからちゃんと観劇しようと思った。
観劇してこそ初めて、師匠の文章を隅々まで味わえる。と、ご本人に真面目に伝えたら、呆れられた。「それが観劇の理由だなんて」と。でもやはり師匠の日記を読んでいる友人は「その気持ち、わかります」と笑って同意してくれた。
でもそういうもんじゃないかなあ?私は宝塚を観るようになったばかりの頃は一人で観て一人で帰っていた。ヒマだから車で山越えしてみたり。それはそれで楽しかった。でもネットで知り合った友人たちと観劇後におしゃべりするようになってから、もっと楽しくなった。
あそこはああいうことよね?え?そういう解釈もあるんだ。誰々ちゃん、良かったよね、あの演出はちょっとどうかな?etc.関西だとどの組もまんべんなく観ている人が多いから、話は尽きない。いくらでもおしゃべりできた。他の方の感想を聞いて発見することもあり、また次の観劇意欲がわいてきた。
師匠の文章はおしゃべりよりさらに新しい発見や感動をもたらしてくれた。なるほど、そういうことだったのか!なんかぼんやり感じていたことが、あざやかに描き出される文章。そんな見方もあったのか、思いつかなかったことも教えてもらえる。
でもそれらは、実際に舞台を観ていないとダメ。うなずきの角度が違うのだ。観てから師匠の文章を読むと、上下に90度以上、首を振れてしまう。
子供ができてからはゆっくりおしゃべりすることも難しくなってしまったから、師匠の文章は私には何にも代えがたいものなのだ。
ちゃんと観劇しよう。舞台も師匠の文章も味わい尽くすんだ。
で、頑張って花組を観にいった。いや、元々ちゃんと観るつもりではいた。パレルモは以前行ったことがあって、そこを舞台にした作品ということで楽しみだった。シチリアのあの何ともいえない寂寥感のある雰囲気が出てるかな?キリスト教とイスラム教の混じった場所。景子先生だし、きっとこだわりの作品なんだろうな。
いやはや、べったべたのラブロマンス。でも普通の人に「宝塚ってこうなんですよ?」と紹介できる作品だな、と思った。「炎」はちとまずいだろうし、「長崎」はやめとけだし、「マラケシュ」はヅカ的じゃないし。次は「ベルばら」だし。
ふーちゃんの退団作品。ドレスがとっても素敵だった。登場するときのドレスが一番好きかな。回りからひとり浮くほど(笑)きれいだった。他のドレスも上品でセンスがよくてさすが景子先生。どんな子でも娘役になったからには、こんなドレス次々と着てみたいだろうなぁ。
あすかちゃんは現代パートのヒロイン。すらりとした脚が美しく、とってもキレイ。一花ちゃんも可愛いし、彩音ちゃんもお嬢様。きほちゃん、歌も姿も可憐で美しい。もちろん男役も、ゆみこちゃん、まとぶん、らんとむ、そのか、さおたさん・・・ちゃんとみんな使いこなしている。さすが景子先生(まっつは物足りなかった)。悪い役がいないんだよね。それなのに、ちゃんと物語がドラマとして進んでいく。
オサちゃんも軍服がぱりっと似合って格好よかった。
でもね、私は観ながら不思議だなぁ、なんか変だなぁと思っていた。だって、オサちゃんにしてはまっとうなんだもの!正攻法でヒロインの父に、昔の仲間に、人生に対峙している。なんだかお尻がこそばゆい違和感があったのだ。いつヴィットリオは本性を表すんだろう、などと思いながら観ていた。
もちろん、ヴィットリオにそんな本性はあるわけもなく、お話も半ばを過ぎた辺りから「これはこういう物語なんだわ、美しい絵物語なんだわ」と知らずのうちに納得して見ていたような気がする。演じられたヴィットリオとアンリエッタのおとぎ話。正攻法な主人公は、当然のように彼のために用意された器に迎え入れられ、おとぎ話はハッピーエンドだった。
ま、こんなもんか。でも楽しかった美しかったし。もともと景子先生はオサちゃんのために書いた役じゃないんだろうし。でももう一回観たいな。なんて思っていた。
そしてしばらくして、師匠の花組新公の感想がアップされた。それを読んで愕然とした。そうだったんだ・・・そうだったんだ・・・ヴィットリオとアンリエッタは愛し合うことができるはずのお話だったんだ。知らなかったよ。そう思ってみていなかったよ。そうでなくてもいいと知らずのうちに納得していたよ。
オサ・ヴィットリオとふー・アンリエッタは愛し合っていた。でもその前に、頭のよさを生かして人生を上ろうとしている男と、家や自分自身の人生を大切にする女、という立場があってこその愛だったよ。そしてさらにその前に、安定期に入ったトップスターと、退団公演中の娘役トップだったよ。
それが悪いわけじゃない、それで私は納得し、満足して劇場を後にしたんだもの。でも、愛し合うこともできる二人の物語として書かれていたんだ。
師匠の文章は、こうやって自分で気づいてなかったことに気づかせてくれることがたくさん、ある。私は関西人だから同じ料金を払っても、こうやって何度も発見があって楽しませてもらえるとものすごーく得した気になる。ありがたいことだ。
数年前、偶然検索でひっかかって師匠の日記にめぐり合って、以来、毎日ほぼ欠かさずアクセスさせていただいている。時々過去の日記を読み返させていただくこともあったりする。これだけ書き続けることってどれだけ大変なことか。これからも一読者として心より応援させていただけたらと思っております。
ショーは楽しかったです。前の「アジアンサンライズ」も結構楽しんで観ていたので、懐かしかった。前のときはタモさんが真ん中にいたよなぁ。あのあっかるいタモさんのショーがオサバージョンになってどうなるかと思ったが、ちゃんとオサちゃん的シーンも入っていて似合うようになっていた。
衣装の使いまわしで気づいたのは、中詰めのふーちゃんの濃いピンクのワンピースは、「ESP」の中詰めで檀ちゃんが着ていたもの。あすかちゃんとらんとむくん(だっけ?)の結婚式のシーンでまとぶんたちが着ていた海軍士官のお衣装は、「Withナントカ」の南の島の合コンシーンで、ケロちゃんたちが着ていたものだと思う。あの生地の弱り具合からも多分、そう。中日まで着てたからねー。
しつこくこうやってまみ&ケロの時代の影ばかり追い掛け回している、へタレな私です。
え?オヅキ?何のこと?(でもどーして新公アンドレじゃないの!?幕降りるまで一所懸命見ていたら、視線、ちょっとだけくれたような気がします。いい子だ〜)
いい人と悪役が印象に残った雪バウ
2005年11月21日 宝塚雪バウ「DAYTIME HUSTLER」を観た。私も「神(=友人Kさん、ありがとー!)」からの恩恵に預かり、緑野こあら師匠のお隣、最前列センターに座らせていただいた。
前知識は、「DAYTIME HUSTLER」という意味深なタイトル、駅で見掛けた耽美色たっぷりのポスター、そして開演1分前に師匠がおっしゃってた「観た人たちはオヅキが印象に残ったと言ってますよ」とのひとこと。これだけだ。
きっとかしげちゃんが満を持して、ファンを倍増させるような作品に登板するんだわ。暗くて、耽美で、陶酔感があって、かしげちゃんの美貌が映えるそんな作品。そしてオヅキがインパクトを与えるの。
しかし。
そんな私の目の前(文字どおり)で展開されたお話は、学園青春真っ盛りドラマでした。
びっくりしたよー。あのポスターは詐欺だ。いや、いいんだけどさー。演出家先生、あれでよかったの?ポスターのイメージ。作品と合ってますか?
お話自体はとても面白く、飽きずに2時間、楽しませてもらった。小池先生、書けるじゃないの。「LUNA」とか「カステルミラージュ」とか「薔薇の封印」とか、そろそろアカンのとちゃう?と思わせられていたけど、これならイケる。面白い。
かしげちゃん、ジーンズ似合うなぁ。細っそい腰!ローライズのかすれたジーンズ生地に白いシャツ。肩周りの補正も完璧で、ちゃんと逆三角形(ただしほとんど二等辺三角形)になってる。いつもよりおでこも目立たないし。溜め息つきながら下から見上げておりました。
ええ、だから気が付かなかった、見えなかったんですよ、ジーンズの足元がハイヒールだなんて。幕間に師匠にうかがって、2幕目、思わず中腰になって確めてしまいましたよ。
ホスト(ハスラーってんですか?)になってから、いつ、もっとこう、裏のイメージが出て来るんだろう?とか思って観ていたが、結局、ローリーはいい先生だった。ずっとずっと。昔、不良だったとか、彼女にひどい言葉を投げ付けて死に至らしめたこととか、普通の人間にあってもおかしくない影の部分は全然出て来ず、ローリーは結局、いい人、だった。
かしげちゃん、いい人なんだね。つくづくそう思った。もうしょうがないな、そう思った。いい人なんだもん。悪い人の役、できないんだよね。無理しなくていいよ。
そしてその悪い人の役は壮くん。アンソニー。いいじゃないか、この役!すごく!高校時代にカップルでいたのに男の友人に情けをかけたばかりに彼女を取られる。「先に帰って」なんて言われたら辛いったらないじゃないか。長じて政治家になり、野心を追い求める。彼女を奪い死に追いやったはずの昔の友人とも握手ができる人。なのにドラッグに手を染め、女に二股をかけ、追いつめられ、とうとう殺人にまで及んでしまう。絶望の中の逃避行、最期の時。人間の弱さ強さがたっぷり盛り込まれた魅力的な人間だ。演じがいのある役だと思う。
私は断然、アンソニーという役の方に惹かれてしまった。
ちょい待ってよ。私はちゃんとごくごく真っ当に、主人公スキーだったはずだ。「ガッチャマン」でもジョーより健の方が好きだった(例えが古過ぎます)。なのになぜローリーがシルヴィアと消えて翌朝のベッドに枕が2つあってもときめかないで、トニーが気になってしまうんだ!?大人になったのか!?私!?
いやいや、宝塚において、2番手格の悪役というのは美味しい、女心をそそる役のはずだ。2番手の時にこういう役でぐっとファンを増やすのは定石だ。
物語は主人公に正しく正しく正しい方向へ進んでいるのに、どうしてワタシはあの黒い役に惹かれるの?2番手格のあのスターさんは誰?勝手に目があっちへ行ってしまう、心が持って行かれる!というものだと思う、宝塚の正しい悪役は。
残念ながら、私は壮くんに持って行かれなかった。壮くんだー、頑張ってるなーと思いながら観ていた。かしげちゃん、ファンを増やしたいならトニーみたいな悪役やった方がてっとり早いんじゃないかなー?なんて思いながら観ていた。
壮くんは熱演していた。でもなんだかこう、こころをえぐられなかった。なんでなんだろうなぁ。
で、私を、というか出て来る度に場をさらっていったのはオヅキだった!!いやあ、すごいインパクト!雪組らしい、わりとまったりとした舞台(全員がそれなりに上手いからね、見どころ一杯なので意識が舞台全体に分散しがち)だったのだが、オヅキが出て来るとぎゅっと彼に向かって意識が集中するのがわかった。私も「次いつ出て来るかしら」とわくわく状態。楽しませてもらいました。次の雪の新公、きっとアンドレやるよね!?すっごく観たい!!
・・・でも胸はもうちょっと押さえた方がいいと思います。あの顔なのに!あの芸風なのに!下から見たら胸がぽんぽん揺れてました・・・。
その他気になったのは、生徒たちのリーダー格の月組のエリちゃんに似たコ。師匠にうかがったら「ラギくんね。前の新公で水くんの役やったコですよ」と教えていただいた。かしげちゃん以上に濃く、オヅキに負けず濃く歌って踊ってました。
紫友みれいちゃんは、ゆうひくん似としぃちゃん似の2説ありましたが、今回しっかり見たら、しぃちゃん似だと私は思いました。けっこう大きな子ですね。
かしげちゃんを見る度に、「どーしてこう、悪役ができないんだ!!」と歯噛みしていたのだが、この作品をみて「いい人なんだね、悪い役できないんだね」と心から納得してしまった舞台だった。
前知識は、「DAYTIME HUSTLER」という意味深なタイトル、駅で見掛けた耽美色たっぷりのポスター、そして開演1分前に師匠がおっしゃってた「観た人たちはオヅキが印象に残ったと言ってますよ」とのひとこと。これだけだ。
きっとかしげちゃんが満を持して、ファンを倍増させるような作品に登板するんだわ。暗くて、耽美で、陶酔感があって、かしげちゃんの美貌が映えるそんな作品。そしてオヅキがインパクトを与えるの。
しかし。
そんな私の目の前(文字どおり)で展開されたお話は、学園青春真っ盛りドラマでした。
びっくりしたよー。あのポスターは詐欺だ。いや、いいんだけどさー。演出家先生、あれでよかったの?ポスターのイメージ。作品と合ってますか?
お話自体はとても面白く、飽きずに2時間、楽しませてもらった。小池先生、書けるじゃないの。「LUNA」とか「カステルミラージュ」とか「薔薇の封印」とか、そろそろアカンのとちゃう?と思わせられていたけど、これならイケる。面白い。
かしげちゃん、ジーンズ似合うなぁ。細っそい腰!ローライズのかすれたジーンズ生地に白いシャツ。肩周りの補正も完璧で、ちゃんと逆三角形(ただしほとんど二等辺三角形)になってる。いつもよりおでこも目立たないし。溜め息つきながら下から見上げておりました。
ええ、だから気が付かなかった、見えなかったんですよ、ジーンズの足元がハイヒールだなんて。幕間に師匠にうかがって、2幕目、思わず中腰になって確めてしまいましたよ。
ホスト(ハスラーってんですか?)になってから、いつ、もっとこう、裏のイメージが出て来るんだろう?とか思って観ていたが、結局、ローリーはいい先生だった。ずっとずっと。昔、不良だったとか、彼女にひどい言葉を投げ付けて死に至らしめたこととか、普通の人間にあってもおかしくない影の部分は全然出て来ず、ローリーは結局、いい人、だった。
かしげちゃん、いい人なんだね。つくづくそう思った。もうしょうがないな、そう思った。いい人なんだもん。悪い人の役、できないんだよね。無理しなくていいよ。
そしてその悪い人の役は壮くん。アンソニー。いいじゃないか、この役!すごく!高校時代にカップルでいたのに男の友人に情けをかけたばかりに彼女を取られる。「先に帰って」なんて言われたら辛いったらないじゃないか。長じて政治家になり、野心を追い求める。彼女を奪い死に追いやったはずの昔の友人とも握手ができる人。なのにドラッグに手を染め、女に二股をかけ、追いつめられ、とうとう殺人にまで及んでしまう。絶望の中の逃避行、最期の時。人間の弱さ強さがたっぷり盛り込まれた魅力的な人間だ。演じがいのある役だと思う。
私は断然、アンソニーという役の方に惹かれてしまった。
ちょい待ってよ。私はちゃんとごくごく真っ当に、主人公スキーだったはずだ。「ガッチャマン」でもジョーより健の方が好きだった(例えが古過ぎます)。なのになぜローリーがシルヴィアと消えて翌朝のベッドに枕が2つあってもときめかないで、トニーが気になってしまうんだ!?大人になったのか!?私!?
いやいや、宝塚において、2番手格の悪役というのは美味しい、女心をそそる役のはずだ。2番手の時にこういう役でぐっとファンを増やすのは定石だ。
物語は主人公に正しく正しく正しい方向へ進んでいるのに、どうしてワタシはあの黒い役に惹かれるの?2番手格のあのスターさんは誰?勝手に目があっちへ行ってしまう、心が持って行かれる!というものだと思う、宝塚の正しい悪役は。
残念ながら、私は壮くんに持って行かれなかった。壮くんだー、頑張ってるなーと思いながら観ていた。かしげちゃん、ファンを増やしたいならトニーみたいな悪役やった方がてっとり早いんじゃないかなー?なんて思いながら観ていた。
壮くんは熱演していた。でもなんだかこう、こころをえぐられなかった。なんでなんだろうなぁ。
で、私を、というか出て来る度に場をさらっていったのはオヅキだった!!いやあ、すごいインパクト!雪組らしい、わりとまったりとした舞台(全員がそれなりに上手いからね、見どころ一杯なので意識が舞台全体に分散しがち)だったのだが、オヅキが出て来るとぎゅっと彼に向かって意識が集中するのがわかった。私も「次いつ出て来るかしら」とわくわく状態。楽しませてもらいました。次の雪の新公、きっとアンドレやるよね!?すっごく観たい!!
・・・でも胸はもうちょっと押さえた方がいいと思います。あの顔なのに!あの芸風なのに!下から見たら胸がぽんぽん揺れてました・・・。
その他気になったのは、生徒たちのリーダー格の月組のエリちゃんに似たコ。師匠にうかがったら「ラギくんね。前の新公で水くんの役やったコですよ」と教えていただいた。かしげちゃん以上に濃く、オヅキに負けず濃く歌って踊ってました。
紫友みれいちゃんは、ゆうひくん似としぃちゃん似の2説ありましたが、今回しっかり見たら、しぃちゃん似だと私は思いました。けっこう大きな子ですね。
かしげちゃんを見る度に、「どーしてこう、悪役ができないんだ!!」と歯噛みしていたのだが、この作品をみて「いい人なんだね、悪い役できないんだね」と心から納得してしまった舞台だった。
私はたかちゃんは辞めないと思っていた。
「あんなヘナチョコショーが最後のショー作品なんて嫌だー」とわめき、「やっぱりそろそろだよね」などと軽口を叩きつつ、実は51%くらいの気持ちで“たかちゃんは辞めないのではないか”と思っていた。
劇場にも足を運び、実際にチケット取りをしたり、友人から回ってくるチケットのお話など、自分の肌で感じるチケット事情は、やはり宙組の動員力はすごい、だった。
商売などをしていると、扱う品目で売れ行きの差というものがあろう。売りの安定した定番商品で売上を稼ぎ、それ以外の商品にてこ入れして売上アップをめざす。時には投資先行で新規商品を立ち上げたりもするだろう。もちろん定番商品の原価低減努力もするだろう。
宙組で安定した利益を確保しているなら、歌劇団がその柱に据えているたかちゃんを辞めさせるのは、大変な勇気がいるというか、惜しいと思うはずだ。辞めるにしても戦略方針がしっかり固まってからでないと辞めさせられないんじゃないか、だからもしかしてまだ大丈夫じゃないか。そう思っていた。
まぁでも、ガイチさんが辞めるのも、たかちゃんの退団が決まったからなんだろうな、と今は思える。ベルばらで“当面の利益を確保”ってのも、主力商品=宙組の世代交代による一時的な(?)売上低下を見越してのことではないか。などなど、符合してくる事柄がいくつも浮かんでくる。次の宙組トップが誰かは知らないけど、それなりに話題作りをして盛り上げる戦術も決まっているんだろうな、と思う。
でも私はたかちゃんに辞めないで欲しかった。花ちゃんと二人、美しい夢の世界。タカラヅカを見た!と満足して帰途につける組。タカラヅカを初めて観る人にも安心して勧められる組。誰だって自分が好きな趣味を紹介するときは「よかったわ!」と言って欲しいものだもの。宙組なら安心、だったもの。
私がまみさんでどっぷり観劇生活に漬かり始めたときからのトップさんたち。その最後がたかちゃんだった。いよいよ、まみさんと同時期トップさんは全ていなくなってしまうんだな。
☆
さらに私は、花ちゃんは残ってくれると思っていた。まだまだ続けてくれると思っていた。たかちゃんが辞めるのはしょうがないとしても、花ちゃんは辞めないと信じていた。
だって12年トップやってるんだよ?しかも休演一回もなし!?宝塚の90年の歴史の1/9以上だよ?こんな娘役はもう後にも先にも出てこないだろう。次のトップがタニちゃんだろうがとうこちゃんだろうが、きちんと合わせてくれただろう。12年やっていても回りの誰よりも少女が、姫ができてしまうんだよ。
私はまみさんからのヅカファンだが、最初の観劇は「白夜伝説」だった。そこで出てきたミーミルちゃんがまだトップをやっている!?ということに驚愕したが、すぐにそれは感謝の気持ちに変わった。いてくれてありがとう。間に合ってよかった。こんな偉大な娘役を生で観ることができてよかった。永く続けてくれたからこそ、私みたいな者でも観ることができたんだ。
トゥーランドットの気品、クリスティーヌの愛らしさ、マリーアントワネットの真の女王ぶり・・・。生で観ることのできた全ての作品で裏切られることはなかった。
ビデオでしか観たことのない作品でも感激度は変わらない。雪組「エリザベート」の鏡の間のあの美しさ。素晴らしかった。「激情」のフラメンコのソロ。なんであんなに踊れるの?なんで普段は少女なのにあんなに女ができるの?
もし辞めるとしても、ミュージックサロンごときでお茶をにごさず、バウくらいはやってくれるよね?大劇場でだっていいじゃん。サヨナラショー1時間やってもまだ足りないよ。だからまだ辞めない。辞めない。そう信じていた。
なのに辞めちゃうんだ。まだできるはずなのに辞めちゃうんだ。
なんだか気が抜けたみたいになってしまって、発表後もあんまりネットをさまよう気分になれなかった。どんな生徒さんでもアンチがいて、辞めると発表になればそれを喜ぶ人がいる。まみさんのときだってケロちゃんのときだってそれはそうだった。別にそれを何とも思わなかった。自分が贔屓を失う哀しみに自己陶酔していてそれらは撥ねつけられたのに。檀ちゃんや樹里ちゃんといった割と好きな生徒さんの場合も、キライな人には分かってもらわなくて結構!と強気でいられたのに。
なのに、花ちゃんを失うことへの喪失感はそれらとは違っていて、ひたすら悲しい、心に穴が開いた感じ。花ちゃんが辞めることを喜ぶ記述を目にするのは耐えられない。
私は花ちゃんが相当好きだったんだなぁ。いや、好きというよりよりどころにしていたんだなぁ。私が宝塚に求めるもの、“美しい癒し”を花ちゃんに依存していたんだなぁ。これからどうすりゃいいんだ。正直、途方に暮れている。
☆
そして11月8日。花ちゃんが辞めると発表になった日の1年前は、汐美さんが大劇場で大階段を降りた日だった。入りから芝居、ショー、出、さよならパーティと全てを見届けることができた日。あの日から1年がたってしまったんだ。
ご本人関係で忘れられないシーンはたくさんあるけれど、とうこちゃんの絶唱はすごかった。ディアボロ(=悪魔)が大切なものを失うときはこんな風に嘆くんだ、と力づくで納得させられた。
あの日の映像は残ってないんだろうか。CSでも大劇楽は放映されないんだよね。もったいない。だからこそこちらでの楽は観ておいてよかった。
宙組の楽は観たいなぁ。うん。観たい。
「あんなヘナチョコショーが最後のショー作品なんて嫌だー」とわめき、「やっぱりそろそろだよね」などと軽口を叩きつつ、実は51%くらいの気持ちで“たかちゃんは辞めないのではないか”と思っていた。
劇場にも足を運び、実際にチケット取りをしたり、友人から回ってくるチケットのお話など、自分の肌で感じるチケット事情は、やはり宙組の動員力はすごい、だった。
商売などをしていると、扱う品目で売れ行きの差というものがあろう。売りの安定した定番商品で売上を稼ぎ、それ以外の商品にてこ入れして売上アップをめざす。時には投資先行で新規商品を立ち上げたりもするだろう。もちろん定番商品の原価低減努力もするだろう。
宙組で安定した利益を確保しているなら、歌劇団がその柱に据えているたかちゃんを辞めさせるのは、大変な勇気がいるというか、惜しいと思うはずだ。辞めるにしても戦略方針がしっかり固まってからでないと辞めさせられないんじゃないか、だからもしかしてまだ大丈夫じゃないか。そう思っていた。
まぁでも、ガイチさんが辞めるのも、たかちゃんの退団が決まったからなんだろうな、と今は思える。ベルばらで“当面の利益を確保”ってのも、主力商品=宙組の世代交代による一時的な(?)売上低下を見越してのことではないか。などなど、符合してくる事柄がいくつも浮かんでくる。次の宙組トップが誰かは知らないけど、それなりに話題作りをして盛り上げる戦術も決まっているんだろうな、と思う。
でも私はたかちゃんに辞めないで欲しかった。花ちゃんと二人、美しい夢の世界。タカラヅカを見た!と満足して帰途につける組。タカラヅカを初めて観る人にも安心して勧められる組。誰だって自分が好きな趣味を紹介するときは「よかったわ!」と言って欲しいものだもの。宙組なら安心、だったもの。
私がまみさんでどっぷり観劇生活に漬かり始めたときからのトップさんたち。その最後がたかちゃんだった。いよいよ、まみさんと同時期トップさんは全ていなくなってしまうんだな。
☆
さらに私は、花ちゃんは残ってくれると思っていた。まだまだ続けてくれると思っていた。たかちゃんが辞めるのはしょうがないとしても、花ちゃんは辞めないと信じていた。
だって12年トップやってるんだよ?しかも休演一回もなし!?宝塚の90年の歴史の1/9以上だよ?こんな娘役はもう後にも先にも出てこないだろう。次のトップがタニちゃんだろうがとうこちゃんだろうが、きちんと合わせてくれただろう。12年やっていても回りの誰よりも少女が、姫ができてしまうんだよ。
私はまみさんからのヅカファンだが、最初の観劇は「白夜伝説」だった。そこで出てきたミーミルちゃんがまだトップをやっている!?ということに驚愕したが、すぐにそれは感謝の気持ちに変わった。いてくれてありがとう。間に合ってよかった。こんな偉大な娘役を生で観ることができてよかった。永く続けてくれたからこそ、私みたいな者でも観ることができたんだ。
トゥーランドットの気品、クリスティーヌの愛らしさ、マリーアントワネットの真の女王ぶり・・・。生で観ることのできた全ての作品で裏切られることはなかった。
ビデオでしか観たことのない作品でも感激度は変わらない。雪組「エリザベート」の鏡の間のあの美しさ。素晴らしかった。「激情」のフラメンコのソロ。なんであんなに踊れるの?なんで普段は少女なのにあんなに女ができるの?
もし辞めるとしても、ミュージックサロンごときでお茶をにごさず、バウくらいはやってくれるよね?大劇場でだっていいじゃん。サヨナラショー1時間やってもまだ足りないよ。だからまだ辞めない。辞めない。そう信じていた。
なのに辞めちゃうんだ。まだできるはずなのに辞めちゃうんだ。
なんだか気が抜けたみたいになってしまって、発表後もあんまりネットをさまよう気分になれなかった。どんな生徒さんでもアンチがいて、辞めると発表になればそれを喜ぶ人がいる。まみさんのときだってケロちゃんのときだってそれはそうだった。別にそれを何とも思わなかった。自分が贔屓を失う哀しみに自己陶酔していてそれらは撥ねつけられたのに。檀ちゃんや樹里ちゃんといった割と好きな生徒さんの場合も、キライな人には分かってもらわなくて結構!と強気でいられたのに。
なのに、花ちゃんを失うことへの喪失感はそれらとは違っていて、ひたすら悲しい、心に穴が開いた感じ。花ちゃんが辞めることを喜ぶ記述を目にするのは耐えられない。
私は花ちゃんが相当好きだったんだなぁ。いや、好きというよりよりどころにしていたんだなぁ。私が宝塚に求めるもの、“美しい癒し”を花ちゃんに依存していたんだなぁ。これからどうすりゃいいんだ。正直、途方に暮れている。
☆
そして11月8日。花ちゃんが辞めると発表になった日の1年前は、汐美さんが大劇場で大階段を降りた日だった。入りから芝居、ショー、出、さよならパーティと全てを見届けることができた日。あの日から1年がたってしまったんだ。
ご本人関係で忘れられないシーンはたくさんあるけれど、とうこちゃんの絶唱はすごかった。ディアボロ(=悪魔)が大切なものを失うときはこんな風に嘆くんだ、と力づくで納得させられた。
あの日の映像は残ってないんだろうか。CSでも大劇楽は放映されないんだよね。もったいない。だからこそこちらでの楽は観ておいてよかった。
宙組の楽は観たいなぁ。うん。観たい。
汐美真帆さんのお誕生日。
緑野こあら師匠からお誘いいただいた時、めちゃ嬉しかったです。ありがとうございました。
あの「血と砂」の初日から4年。毎年なにがしかの思い出があるこの10月20日。今年はもしかして何もない、そんな日になるかなと日々慌ただしく過ごしていたのだけど。
師匠と梅田の喫茶店でお茶。誕生日といえばケーキでしょう、と。
カエルのぬいぐるみや、写真集を眺めながらヅカ話。相当に贅沢なこと。
私がいつも思うのは「汐美さんに幸せでいて欲しい」ということだけ。汐美さんを想う人もまた、幸せでいて欲しい。
10月20日という、365分の1のこの日を中心に、気持ちがつながるっていうのは、幸せ、なことだと思う。
ありがとう。いろんな人に、いろんな出来事に。
私も幸せです。
来年の10月20日もまた、お祝いできますように。
緑野こあら師匠からお誘いいただいた時、めちゃ嬉しかったです。ありがとうございました。
あの「血と砂」の初日から4年。毎年なにがしかの思い出があるこの10月20日。今年はもしかして何もない、そんな日になるかなと日々慌ただしく過ごしていたのだけど。
師匠と梅田の喫茶店でお茶。誕生日といえばケーキでしょう、と。
カエルのぬいぐるみや、写真集を眺めながらヅカ話。相当に贅沢なこと。
私がいつも思うのは「汐美さんに幸せでいて欲しい」ということだけ。汐美さんを想う人もまた、幸せでいて欲しい。
10月20日という、365分の1のこの日を中心に、気持ちがつながるっていうのは、幸せ、なことだと思う。
ありがとう。いろんな人に、いろんな出来事に。
私も幸せです。
来年の10月20日もまた、お祝いできますように。
サトリちゃん、別に引いてなんかいませんよ!それだけ「シバ」を自分のものにしているってことじゃないですか!!ぜひこれからもどんどん盛り上げてください!
で、緑野こあら師匠。
表がまっつで裏がそのかのどこが大人しいんですか?
kineさん。芸名がそれ、なんですね。うーむ。女装でしょうか?夢を叶えるのか?
☆
これだけでは何なので、ケロ話。
檀ちゃんMSで集まったとき、ずっと師匠に聞いてみたいと思っていたことをおうかがいした。
「まとぶんは剣をなめてましたか?」
唐突な私の質問に驚かれる師匠。
「王家の話です、中日王家!」
そう、師匠はケロバルドの剣なめにこだわってらして、その写真を探しておられた。花道での一瞬の出来事だからねぇ、なかなかそんな写真はなくてねぇ。
まとぶんが剣をなめてたかどうかが私は気になっていたのだけど、ネットでは全然わかんなくって。師匠ならご存知だと思って。私、中日行かなかったから(当然)。
師匠によると、なめてなかったそうです。
「でもあれって、ちゃんと台本にあるんですよ。“ウバルド、剣をなめながら”ってト書きあったもん。それにケロちゃん、お茶会の質問でウバルドは弟にしたいか兄にしたいか、みたいな質問に“剣をなめる弟なんていらない・・・”みたいなこと言ってましたよ!?え?自分の意志じゃないですよ!キムシンの演出ですよ!」
皆さん、脚本読まれないのね・・・。ちゃんとル・サンクに載ってるのに!ケロちゃんは脚本に忠実なのよっ!
じゃあなぜ、中日でまとぶんはなめなかったか。キムシンの演出が変わったからではないかと皆が言う。あの剣なめアクションはケロちゃんのための演出だったのか?王子らしからぬアクション。
さらに師匠はおっしゃる。
「まとぶんは王子だったもの。ケロは王子じゃないでしょ?妾腹だって言っても誰も異議となえないでしょ?」
くっ。失恋逆切れ男。しかも妹相手だよ。まぁ、とうこちゃんだからだろうなぁ。
だから、はい、師匠のおっしゃるように、飛雪をケロちゃんがやっていたら遠慮なく話曲げてしまってたでしょうから、出なくて正解だと思います。抑えろったってとうこちゃん相手だと抑えられないんですよ!
きっと!!
でもなー、どんなに話を捻じ曲げようと、とうこラブでも、脚本過剰解釈でも、今もそこにいて欲しかったよ。今頃髪の毛伸ばして、スカートはいてたら、まそれはいいとして、太ってたらどーしよう!?
間もなく10月20日、汐美真帆さんのお誕生日です。
で、緑野こあら師匠。
表がまっつで裏がそのかのどこが大人しいんですか?
kineさん。芸名がそれ、なんですね。うーむ。女装でしょうか?夢を叶えるのか?
☆
これだけでは何なので、ケロ話。
檀ちゃんMSで集まったとき、ずっと師匠に聞いてみたいと思っていたことをおうかがいした。
「まとぶんは剣をなめてましたか?」
唐突な私の質問に驚かれる師匠。
「王家の話です、中日王家!」
そう、師匠はケロバルドの剣なめにこだわってらして、その写真を探しておられた。花道での一瞬の出来事だからねぇ、なかなかそんな写真はなくてねぇ。
まとぶんが剣をなめてたかどうかが私は気になっていたのだけど、ネットでは全然わかんなくって。師匠ならご存知だと思って。私、中日行かなかったから(当然)。
師匠によると、なめてなかったそうです。
「でもあれって、ちゃんと台本にあるんですよ。“ウバルド、剣をなめながら”ってト書きあったもん。それにケロちゃん、お茶会の質問でウバルドは弟にしたいか兄にしたいか、みたいな質問に“剣をなめる弟なんていらない・・・”みたいなこと言ってましたよ!?え?自分の意志じゃないですよ!キムシンの演出ですよ!」
皆さん、脚本読まれないのね・・・。ちゃんとル・サンクに載ってるのに!ケロちゃんは脚本に忠実なのよっ!
じゃあなぜ、中日でまとぶんはなめなかったか。キムシンの演出が変わったからではないかと皆が言う。あの剣なめアクションはケロちゃんのための演出だったのか?王子らしからぬアクション。
さらに師匠はおっしゃる。
「まとぶんは王子だったもの。ケロは王子じゃないでしょ?妾腹だって言っても誰も異議となえないでしょ?」
くっ。失恋逆切れ男。しかも妹相手だよ。まぁ、とうこちゃんだからだろうなぁ。
だから、はい、師匠のおっしゃるように、飛雪をケロちゃんがやっていたら遠慮なく話曲げてしまってたでしょうから、出なくて正解だと思います。抑えろったってとうこちゃん相手だと抑えられないんですよ!
きっと!!
でもなー、どんなに話を捻じ曲げようと、とうこラブでも、脚本過剰解釈でも、今もそこにいて欲しかったよ。今頃髪の毛伸ばして、スカートはいてたら、まそれはいいとして、太ってたらどーしよう!?
間もなく10月20日、汐美真帆さんのお誕生日です。
「レイ」がサトリちゃんのオリジナルネーミングだったなんて。
プログラム、読んでないので全く疑いもしませんでしたよ!
びっくりー。
そして同時に、サトリちゃんへの全ツショーへの深い深い思い入れをひしひしと感じました。
そこまで愛してくれる人がいるショーで良かった!と大介先生に変わってお礼言いたいくらいです。
海の向こうまで突っ走って下さい!
プログラム、読んでないので全く疑いもしませんでしたよ!
びっくりー。
そして同時に、サトリちゃんへの全ツショーへの深い深い思い入れをひしひしと感じました。
そこまで愛してくれる人がいるショーで良かった!と大介先生に変わってお礼言いたいくらいです。
海の向こうまで突っ走って下さい!
げほげほ、薬(ヤク)切れが辛い
2005年10月5日 日常9月下旬に息子からもらった風邪は咳の風邪で、咳が止まらない。
もともと気管支が弱い私は、咳が出始めると最低1ヶ月は止まらない。息子を生んですぐの頃も風邪をひいていて、咳が3ヶ月も止まらなかった。授乳中だったので薬を飲めなかったから。お陰で新生児だった息子は、私の咳き込む音を聞いて「ママだ〜」と判別していたようだった。
私は具合が悪いととっとと病院に行って直す方なので、今回も既に2度も内科へ行った。薬を処方してもらい、それを飲んで寝ると確かに咳は止まり、ぐっすり眠れる。
ところが薬が切れる明け方になると激しく咳き込み、目が覚めてしまうのだ。一度咳き込みだすと止まらない。身体を横にしていると特に。しょうがないので、起き出してネットを見たりしている。
この薬は効くが、便秘になってしまうのが辛いところ。
はやく治らないかなー。どんな人も観劇の時に横でごほごほ咳き込まれるのほどイヤなことはないでしょうし。次の観劇予定は、うーん。月組どうしようかな?なんか腰が重いなぁ。
☆
長いこと書いてなかったけど、歯は今は小康状態。でも実は、この1ヶ月の間にあわや抜歯、という事態におちいっていた。
息子にご飯を食べさせながら、自分も慌てて食べていたのでスプーンを思いきり治療中の前歯で噛んでしまったのだ。翌日から歯茎から出血するは膿は出るわ痛いわ。
歯医者に駆け込んだら怒られた。えーん。気をつけてはいたんですが。抗生剤やら飲み続け、毎週治療に通い、やっと一息ついたところ。今度やったら絶対抜歯になってしまう。気をつけよう。
しかし、抗生剤飲み続けたため、その間はお腹を壊してしまいさんざんだった。
☆
今年はインフルエンザの予防接種はどうしようかなぁ。息子は予防接種をしていたのに昨年、見事に感染してしまった。私は予防接種のお陰かどうかわからないけど、うつらなかったから私はまたすると思う。
小児科医のブログなどを読んでいると、接種し、治療する側からの実感としても「効果は2〜3割程度?」ということらしい。接種したからといってインフルエンザ脳症にならない、ということも実はないらしい。うーんうーん。
去年あれだけ流行したから、今年は流行らないでいてくれるといいんだけど。といってもまた来年もあるし。あああ、もういつになれば安心して冬を迎えられるようになるんだろう。
今年は早めに室内を加湿することにしよう。
その前に、おたふく風邪の予防接種をしないと!任意接種だから1万円近いんだよな(泣)。
もともと気管支が弱い私は、咳が出始めると最低1ヶ月は止まらない。息子を生んですぐの頃も風邪をひいていて、咳が3ヶ月も止まらなかった。授乳中だったので薬を飲めなかったから。お陰で新生児だった息子は、私の咳き込む音を聞いて「ママだ〜」と判別していたようだった。
私は具合が悪いととっとと病院に行って直す方なので、今回も既に2度も内科へ行った。薬を処方してもらい、それを飲んで寝ると確かに咳は止まり、ぐっすり眠れる。
ところが薬が切れる明け方になると激しく咳き込み、目が覚めてしまうのだ。一度咳き込みだすと止まらない。身体を横にしていると特に。しょうがないので、起き出してネットを見たりしている。
この薬は効くが、便秘になってしまうのが辛いところ。
はやく治らないかなー。どんな人も観劇の時に横でごほごほ咳き込まれるのほどイヤなことはないでしょうし。次の観劇予定は、うーん。月組どうしようかな?なんか腰が重いなぁ。
☆
長いこと書いてなかったけど、歯は今は小康状態。でも実は、この1ヶ月の間にあわや抜歯、という事態におちいっていた。
息子にご飯を食べさせながら、自分も慌てて食べていたのでスプーンを思いきり治療中の前歯で噛んでしまったのだ。翌日から歯茎から出血するは膿は出るわ痛いわ。
歯医者に駆け込んだら怒られた。えーん。気をつけてはいたんですが。抗生剤やら飲み続け、毎週治療に通い、やっと一息ついたところ。今度やったら絶対抜歯になってしまう。気をつけよう。
しかし、抗生剤飲み続けたため、その間はお腹を壊してしまいさんざんだった。
☆
今年はインフルエンザの予防接種はどうしようかなぁ。息子は予防接種をしていたのに昨年、見事に感染してしまった。私は予防接種のお陰かどうかわからないけど、うつらなかったから私はまたすると思う。
小児科医のブログなどを読んでいると、接種し、治療する側からの実感としても「効果は2〜3割程度?」ということらしい。接種したからといってインフルエンザ脳症にならない、ということも実はないらしい。うーんうーん。
去年あれだけ流行したから、今年は流行らないでいてくれるといいんだけど。といってもまた来年もあるし。あああ、もういつになれば安心して冬を迎えられるようになるんだろう。
今年は早めに室内を加湿することにしよう。
その前に、おたふく風邪の予防接種をしないと!任意接種だから1万円近いんだよな(泣)。
黒を主役にする、とうこちゃんの力を「龍星」にみた
2005年10月1日 宝塚星組DC公演「龍星」初日観てきました。
数日前から私は歪んだ期待で一杯でした。児玉っちの脚本はどれだけぶっ壊れているだろう。そのぶっ壊れた脚本をとうこちゃんがどれだけまともに見せてくれるだろう。楽に向けてとうこちゃんがそれをどこまで力技で感動できる話に持って行くだろう。わくわく。
なんて。
それがなんと、マトモでした!!びっくりだよ。
もちろん、児玉っちは児玉っち。ちょっと前の少女漫画みたいな作品で、群雄割拠な大中国を舞台にしたと思えない底の浅い玉座をめぐる話にしちゃってるし、なんだかもう、セオリー通りっていうかあらかさまだし。
それが「面白い」と思える作品になっているのは、やはりとうこちゃんの力なんだと思う。とうこちゃんの力プラスキャスティングがはまっていること。
最初はとうこちゃんとれおんくんとのW主演か?みたいな感じでびっくり。それも普通の作品なら、れおんの役が主役のやる役。比重、ではなくつまりれおんが白い正統派の役で、とうこちゃんの役は2番手の黒い役。この黒い役の方が「龍星」では主役なのだ。無理に持ち味を逆にれおんくんに黒い役を、とうこちゃんに白い役を振らなかったのは正解。でもその分、黒い役をやるとうこちゃんに力がないとこの話は成立しない。れおんくんにもまた華と力があるから。
とうこちゃんの役はなかなかセリフが出て来ない。本物の「流星」とその身代わり、でもない実は3番目の存在のとうこちゃんの演じる人物。だからなんだかその存在が頼りない。密偵として意のままに動かされているようにしか、1幕の最後近くまで見えてしまう。
それがとうこちゃんが真実を知り、最後の歌になるところで全て引っくり返す。意志が目覚め、野望が伝わって来る。とうこちゃんの力技だ。
私が座っていたのが下手のやや後ろだったせいか、何度かとうこちゃんと視線が合った気がした。とうこちゃんが意志を持ってにらみを効かせた時の視線がまっすぐこちらに来て、どきっとした。そしてその思いが伝わってきたような気がした。とうこちゃんの名前にふさわしい瞳の強さだった。
2幕目になっても見せ場的にはなんだかれおんくんの方が美味しいような気がした。相手役がうめちゃんていうのも大きい。今回のうめちゃん、女だてらに兵士、しかも2刀流でカッコイイのなんの。活き活きしているしそれでいて可愛くてヒロイン。殺陣もたくさんある。うめちゃんはこうでなくちゃ!れおんくんとの並びもばっちりで、目にも美しいカップル。1幕目には剣を合わせていた相手と2幕目最初にはきっちり出来上がっているし(笑)。そんなのが寄り添っているかられおんくんの株も上がる。
とうこちゃんの相手役は南海まりちゃん。なんでこの子がなかなか新公ヒロイン回ってこないのか、と不満に思っていたから、今回のヒロイン抜てきは正直に嬉しい。しかし、華と生気に満ち溢れたうめちゃんの隣に並ぶとなんだか地味。とうこちゃんとの恋愛も人質とニセ皇帝、れおん&うめのように簡単な関係ではないからストレートには伝わりにくい。
話自体はそんなに複雑にドラマを積み上げていくものではなくて、かなりの比率でショー的な場面があるから(児玉っち、BMBみたいなショーを作ってみたらいいのに)、それを観ているだけで楽しいし、話を追いきれなくて困る、みたいなこともない。
2幕のクライマックスは、とうこちゃんとれおんくんの対決場面。でも2幕目始め当たりから空しさを感じさせ始めたとうこちゃん流星の末路はなんとなくわかってくる。そしてそれはとうこちゃんにふさわしい。
れおんくんの末路もまた、こうだろうな、というもの。地味だなぁと思っていたみなみちゃんもラストに来て、こうくるからこの子はこういう役づくりだったんだ、と納得。いじらしく可愛らしかった。
1幕目のラストと2幕目のラストは、とうこちゃんの同じセリフで締めくくられる。だが全く同じセリフなのに、その心情は全く違う。それがドンとくる。
2幕目の最後のあのとうこちゃんの痛々しさ。こちらまでこころがひりひりする。「凍てついた明日」のジェレミーの「死にに行かなくてもいいじゃないか!」に匹敵する(←言い過ぎ誉め過ぎかも)残された者の慟哭が込められた叫び。それを生で聞かせてもらった。
うめちゃんは最後にまた出て来るが、またそれもうめちゃんらしい。なんだかおっ母さんで(笑)。
ちょっと誉め過ぎたかもしれない。まだ初日なのでなるべくネタばれしないように書いたつもりだけど、ぜひ観に行っていただきたい。とうこちゃんの黒い魅力、そして生の傷付いた表情を観て欲しいから。あくまで脚本には期待しすぎずに、がポイントかも(笑)。私は1回きりの予定だったけど是非是非もっと観たいよー。
その他のキャストたちも頑張ってる。きんさんもいいし、みきちぐも面白い。あかしもなかなか美味しい役だけど、「いつも冷静なお前が」には笑ってしまった。「いつも熱いお前が」ならわかるが(笑)。衣装もかなり新調じゃないかな?いくつか長安のが紛れてるようだったけど、どれもなかなか綺麗。特に群舞のが美しくて楽しい。セットは大きな階段をメインにすえているだけで簡略化されたものなので、その分予算は衣装に使えたのかも。音楽もとてもよかった。とうこちゃんの歌唱力のせいもあるだろうけど、今回は歌詞がとてもわかりやすかった。いや、児玉っちの単純明快な歌詞のせいかも(笑)。
最後にお約束(?)のケロちゃん話。観る前はケロちゃんがこの作品に出てたらなーと具体的な願望は特にないままに思っていた。単に淋しかっただけだけど。でもこの作品に出ていたら、あのとうこちゃんは観られなかっただろうな、と思う。
だって、ケロちゃん「とうこ・らぶオーラ」を半径3mには出しまくってしまうし、それがあるととうこちゃんも精神的余裕が出てしまう。「巌流」と同じでキャリア的に周りから突出しているとうこちゃんだけど、そこに今回はたった一人で立つことで、最後のあの孤独の絶唱が際立つ。ケロちゃんがいたらこうはならなかっただろう。
ま、そんなこんなで、とうこちゃんってすごいな、強いな、哀しいほど強いな、強いから哀しいな、でもその強さが魅力だ、好きだよ、なんて思ってしまった。
数日前から私は歪んだ期待で一杯でした。児玉っちの脚本はどれだけぶっ壊れているだろう。そのぶっ壊れた脚本をとうこちゃんがどれだけまともに見せてくれるだろう。楽に向けてとうこちゃんがそれをどこまで力技で感動できる話に持って行くだろう。わくわく。
なんて。
それがなんと、マトモでした!!びっくりだよ。
もちろん、児玉っちは児玉っち。ちょっと前の少女漫画みたいな作品で、群雄割拠な大中国を舞台にしたと思えない底の浅い玉座をめぐる話にしちゃってるし、なんだかもう、セオリー通りっていうかあらかさまだし。
それが「面白い」と思える作品になっているのは、やはりとうこちゃんの力なんだと思う。とうこちゃんの力プラスキャスティングがはまっていること。
最初はとうこちゃんとれおんくんとのW主演か?みたいな感じでびっくり。それも普通の作品なら、れおんの役が主役のやる役。比重、ではなくつまりれおんが白い正統派の役で、とうこちゃんの役は2番手の黒い役。この黒い役の方が「龍星」では主役なのだ。無理に持ち味を逆にれおんくんに黒い役を、とうこちゃんに白い役を振らなかったのは正解。でもその分、黒い役をやるとうこちゃんに力がないとこの話は成立しない。れおんくんにもまた華と力があるから。
とうこちゃんの役はなかなかセリフが出て来ない。本物の「流星」とその身代わり、でもない実は3番目の存在のとうこちゃんの演じる人物。だからなんだかその存在が頼りない。密偵として意のままに動かされているようにしか、1幕の最後近くまで見えてしまう。
それがとうこちゃんが真実を知り、最後の歌になるところで全て引っくり返す。意志が目覚め、野望が伝わって来る。とうこちゃんの力技だ。
私が座っていたのが下手のやや後ろだったせいか、何度かとうこちゃんと視線が合った気がした。とうこちゃんが意志を持ってにらみを効かせた時の視線がまっすぐこちらに来て、どきっとした。そしてその思いが伝わってきたような気がした。とうこちゃんの名前にふさわしい瞳の強さだった。
2幕目になっても見せ場的にはなんだかれおんくんの方が美味しいような気がした。相手役がうめちゃんていうのも大きい。今回のうめちゃん、女だてらに兵士、しかも2刀流でカッコイイのなんの。活き活きしているしそれでいて可愛くてヒロイン。殺陣もたくさんある。うめちゃんはこうでなくちゃ!れおんくんとの並びもばっちりで、目にも美しいカップル。1幕目には剣を合わせていた相手と2幕目最初にはきっちり出来上がっているし(笑)。そんなのが寄り添っているかられおんくんの株も上がる。
とうこちゃんの相手役は南海まりちゃん。なんでこの子がなかなか新公ヒロイン回ってこないのか、と不満に思っていたから、今回のヒロイン抜てきは正直に嬉しい。しかし、華と生気に満ち溢れたうめちゃんの隣に並ぶとなんだか地味。とうこちゃんとの恋愛も人質とニセ皇帝、れおん&うめのように簡単な関係ではないからストレートには伝わりにくい。
話自体はそんなに複雑にドラマを積み上げていくものではなくて、かなりの比率でショー的な場面があるから(児玉っち、BMBみたいなショーを作ってみたらいいのに)、それを観ているだけで楽しいし、話を追いきれなくて困る、みたいなこともない。
2幕のクライマックスは、とうこちゃんとれおんくんの対決場面。でも2幕目始め当たりから空しさを感じさせ始めたとうこちゃん流星の末路はなんとなくわかってくる。そしてそれはとうこちゃんにふさわしい。
れおんくんの末路もまた、こうだろうな、というもの。地味だなぁと思っていたみなみちゃんもラストに来て、こうくるからこの子はこういう役づくりだったんだ、と納得。いじらしく可愛らしかった。
1幕目のラストと2幕目のラストは、とうこちゃんの同じセリフで締めくくられる。だが全く同じセリフなのに、その心情は全く違う。それがドンとくる。
2幕目の最後のあのとうこちゃんの痛々しさ。こちらまでこころがひりひりする。「凍てついた明日」のジェレミーの「死にに行かなくてもいいじゃないか!」に匹敵する(←言い過ぎ誉め過ぎかも)残された者の慟哭が込められた叫び。それを生で聞かせてもらった。
うめちゃんは最後にまた出て来るが、またそれもうめちゃんらしい。なんだかおっ母さんで(笑)。
ちょっと誉め過ぎたかもしれない。まだ初日なのでなるべくネタばれしないように書いたつもりだけど、ぜひ観に行っていただきたい。とうこちゃんの黒い魅力、そして生の傷付いた表情を観て欲しいから。あくまで脚本には期待しすぎずに、がポイントかも(笑)。私は1回きりの予定だったけど是非是非もっと観たいよー。
その他のキャストたちも頑張ってる。きんさんもいいし、みきちぐも面白い。あかしもなかなか美味しい役だけど、「いつも冷静なお前が」には笑ってしまった。「いつも熱いお前が」ならわかるが(笑)。衣装もかなり新調じゃないかな?いくつか長安のが紛れてるようだったけど、どれもなかなか綺麗。特に群舞のが美しくて楽しい。セットは大きな階段をメインにすえているだけで簡略化されたものなので、その分予算は衣装に使えたのかも。音楽もとてもよかった。とうこちゃんの歌唱力のせいもあるだろうけど、今回は歌詞がとてもわかりやすかった。いや、児玉っちの単純明快な歌詞のせいかも(笑)。
最後にお約束(?)のケロちゃん話。観る前はケロちゃんがこの作品に出てたらなーと具体的な願望は特にないままに思っていた。単に淋しかっただけだけど。でもこの作品に出ていたら、あのとうこちゃんは観られなかっただろうな、と思う。
だって、ケロちゃん「とうこ・らぶオーラ」を半径3mには出しまくってしまうし、それがあるととうこちゃんも精神的余裕が出てしまう。「巌流」と同じでキャリア的に周りから突出しているとうこちゃんだけど、そこに今回はたった一人で立つことで、最後のあの孤独の絶唱が際立つ。ケロちゃんがいたらこうはならなかっただろう。
ま、そんなこんなで、とうこちゃんってすごいな、強いな、哀しいほど強いな、強いから哀しいな、でもその強さが魅力だ、好きだよ、なんて思ってしまった。
これが「ベルばら」!?
2005年9月29日 宝塚星組全国ツアー公演「ベルばら/シバ」を観た。
感想。
私は来年の「ベルばら」大劇場公演を観る自信がなくなりました。
「ベルばら」ってこんなにひどい作品だったっけ!?歌劇団の戦術にまんまと乗せられ、「役代わりかぁ。一番観たいのはゆうひくんバージョンだなぁ。でもそれなら他のバージョンも観て比較しようかしら。お正月にコムちゃん持ってくるなんて、ほとんどイベントよね。イベントは参加が基本かも。なに、A席B席1席ならいくらでも取れるもーん」などと思っておりました。
自重しよう。「ベルばら」見続けるとなんだか、タカラヅカそのものが嫌になりそうだ。
私の「ベルばら」ファーストコンタクトは、マンガでした(外伝もしっかり読んだ!)。だからそのイメージが一番強い。オスカルは女だけど愛国心と生きる信念持った軍人で、アンドレはコドモにはちとわからん大人の魅力の持ち主で、フェルゼンは線の細い軟弱な優等生王子さまで、そしてあの話全体が、アントワネットの人間としての成長物語、ってな印象だった。だってアントワネットの最期はそれは素晴らしいんだよ。髪を切られ、断頭台に顔を伏せるその時の瞳の描かれ方が。
だからタカラヅカの「ベルばら」は、なんつーか歌舞伎っつーか、型っつーか、TCAっつーか、ドラマじゃないよなー、と思って前のときは眺めていた。
それでもまぁ、盛り上がるシーン(今宵一夜とかバスティーユとか)で盛り上がる理由もわかるし、一応、ストーリーらしきものもあるし。まぁ、ご贔屓が仮装して出てりゃそれもプラスして楽しんで観られないこともない、なぁ、って思っていたが。しかし。
星組の見慣れたメンバーで、思い入れもあるはずなのに、今回の「ベルばら」はどーにもこーにも。なんだか、わたるくんとしぃちゃんとすずみんととなみちゃんとその他星組メンバーが扮装してるのを観ているような感覚が最後まで抜けなかったよ。一応、キャストとは切り離して話に入り込めると思っていたのに、違ったのだろうか。自信がなくなってきた。
わたるくんは衣装とっかえひっかえ。背が高く円熟期に入ったと思われる堂々としたトップぶりで、衣装も着こなし、格好よかった。剣よりも学問が得意そうな線の細いスウェーデン貴族フェルゼン、というより剣が一番得意な騎馬連隊長(だっけ?)だろう?と思うほどのたくましさがあったかが(笑)。ラストの牢獄シーン、四の五の言わず、アントワネットを肩にかついで逃げれそう。存在感に並々ならぬパワーがあるから、メルシー伯への逆切れシーンも「いやあのその、私が悪うござんした」と思ってしまった(笑)。
となみちゃんはセリフ回しが???で。フェルゼンとの逢引シーン、手前勝手なことを並べていても、前の宙組のとき、私はここでなんだか説得されてしまったのだ。あれは私が花ちゃんマジックにかかってしまっていただけなのかな?となみちゃんのはなんだか大芝居で声が高く浮ついているような印象が残ってしまった。となみちゃんて芝居ヘタだったっけ?いやいや、長崎でちゃんとやってたよ。終演後、kineさんに「あれは花供養とセリフ回しが同じ。植田演出じゃないかと緑野さんと言ってます」といわれてなるほど。衣装に負けない華やかさはさすが。でもとなみちゃん、脚もとってもきれいなんだよねー。今回ドレスばっかりで見られなくて残念。次に期待します。
しぃちゃんは、とっても明るいアンドレ。アンドレといえば陰のある(特に失明というか大人になってからは)大人の男、という先入観を覆す明るさ。しぃちゃんの笑顔も天然だなぁ。なんて観ていたら、やっぱりしぃちゃんにしか見えなくなってしまって困った。
さらに困ったのがすずみん。すずみんは期待通り(すみません)登場シーンからマントをひるがえしてくれた(笑)。念を入れて作ったんだろうなぁという金髪のカツラもよく似合っていた。が!やっぱりオスカルの扮装をしているすずみんにしか見えなくなってしまって(泣)。
でもって、この2人が出てきてからむと完全にバカップルだし。いえ、脚本のせいですよ。
ストーリーやセリフに疑問は山ほどあるので覚えきれないが、一番私がびっくりしたのは、ジェローデルがスウェーデンのフェルゼンのところにきて「オスカルは死にました」と言ったときの(いや、死んだと告げられるのは、もうギャグにしか見えなくて)フェルゼンの反応。友人であり自分を恋い慕っていたはずの女が、いきなり反乱軍に入って死んだことにびっくりしないのか!?敵側に寝返ってたんだぞ!?自分や恋人のアントワネットに反旗を翻したんだぞ?さらにアントワネットを助けて欲しいってのがオスカルの遺志?もう何がなんだかさっぱりわからない。それを「可哀想」で片付けて終わりかい?とほほのほ。
とほほ気分にどっぷりつかったまま、幕間になってkineさんと合流。
「なんだかもうTCA観てるような気分になって(み)」
「TCAならもっと面白いシーンばかりをやるはずです(kine)」
「そ、そうですね(み)」
「華やかなエンディングのないベルばらってのも物足りないんですよ(み)」
「エンディングのついたベルばら一本モノと、90分で納めた後にショーがついたのとどっちがいいですか?(kine)」
「・・・こっちのほうがいいです(み)」
原作読んでない人には全然ストーリーわかんなかったでしょうね、などと話をしながら幕間を過ごす。ショーは面白いらしいことにとりあえずほっとする。シヴァパートはみんなで分担しているらしい。
ショーは大劇場で見たのとほぼ同じ。なるほど、イシちゃんの登場場面もとなみちゃんに振ったりうまくやっている。となみちゃんはこれがお披露目なのに、トップ娘役として全く遜色ない。
そしてしぃちゃん!とうこちゃんのパートに入って大活躍。タキシード、格好いいじゃないですか!
プロデューサーもちゃんとプロデューサー。とうこちゃんはとってもうさんくさい業界人っぽいニオイをぷんぷんさせていたのに、しぃちゃんは全然うさんくさくない。すごくまっとうな人に見える。
当然、レークへの仕打ちも、ストレートに女を取られたことへの怒り。オーキッドが屈折した複雑な思いを抱えていたのとは異なる。特に演出が変わったわけではないので、ひたすら本人の個性の発露なんだなぁ。すごいなぁ。
場面場面もそれぞれ楽しく切なく、歌も耳なじみがよく、目にも楽しい。檀ちゃんとの別れの場面は、ハンカチを小道具に使ったこれからよろしく、の場面に作り変えてあった。大介先生いい仕事してます。
階段が小さく、出てくる人数も少ない。これは全国ツアーなんだなぁ、梅田で全ツを見るというのは不思議な気分だ。しかし、お芝居では全ツ感はなかったが?と終演後、kineさんに言うと「お芝居は2人か3人しか舞台に出てないから当然ですよ」とのこと。そうかぁ。大人数が繰り出すバスティーユとかないもんね。
とまぁ、こんな感じ。息子を預けてまで観にいく価値があったかといわれると疑問だが、まぁショーは楽しかったのでよしとしよう。
しかし、来年の「ベルばら」どうしよう、もうホントに。
ところでこの「ベルばら」って「フェルゼンとアントワネット編」ですよね?プログラム買ってないからわからないんだけど、公式とかには「ベルサイユのばら」としか書いてなくて。まさかこれが○○編とかじゃない、宝塚の「ベルばら」のデフォルトとして世の中に出すものじゃないよね?
感想。
私は来年の「ベルばら」大劇場公演を観る自信がなくなりました。
「ベルばら」ってこんなにひどい作品だったっけ!?歌劇団の戦術にまんまと乗せられ、「役代わりかぁ。一番観たいのはゆうひくんバージョンだなぁ。でもそれなら他のバージョンも観て比較しようかしら。お正月にコムちゃん持ってくるなんて、ほとんどイベントよね。イベントは参加が基本かも。なに、A席B席1席ならいくらでも取れるもーん」などと思っておりました。
自重しよう。「ベルばら」見続けるとなんだか、タカラヅカそのものが嫌になりそうだ。
私の「ベルばら」ファーストコンタクトは、マンガでした(外伝もしっかり読んだ!)。だからそのイメージが一番強い。オスカルは女だけど愛国心と生きる信念持った軍人で、アンドレはコドモにはちとわからん大人の魅力の持ち主で、フェルゼンは線の細い軟弱な優等生王子さまで、そしてあの話全体が、アントワネットの人間としての成長物語、ってな印象だった。だってアントワネットの最期はそれは素晴らしいんだよ。髪を切られ、断頭台に顔を伏せるその時の瞳の描かれ方が。
だからタカラヅカの「ベルばら」は、なんつーか歌舞伎っつーか、型っつーか、TCAっつーか、ドラマじゃないよなー、と思って前のときは眺めていた。
それでもまぁ、盛り上がるシーン(今宵一夜とかバスティーユとか)で盛り上がる理由もわかるし、一応、ストーリーらしきものもあるし。まぁ、ご贔屓が仮装して出てりゃそれもプラスして楽しんで観られないこともない、なぁ、って思っていたが。しかし。
星組の見慣れたメンバーで、思い入れもあるはずなのに、今回の「ベルばら」はどーにもこーにも。なんだか、わたるくんとしぃちゃんとすずみんととなみちゃんとその他星組メンバーが扮装してるのを観ているような感覚が最後まで抜けなかったよ。一応、キャストとは切り離して話に入り込めると思っていたのに、違ったのだろうか。自信がなくなってきた。
わたるくんは衣装とっかえひっかえ。背が高く円熟期に入ったと思われる堂々としたトップぶりで、衣装も着こなし、格好よかった。剣よりも学問が得意そうな線の細いスウェーデン貴族フェルゼン、というより剣が一番得意な騎馬連隊長(だっけ?)だろう?と思うほどのたくましさがあったかが(笑)。ラストの牢獄シーン、四の五の言わず、アントワネットを肩にかついで逃げれそう。存在感に並々ならぬパワーがあるから、メルシー伯への逆切れシーンも「いやあのその、私が悪うござんした」と思ってしまった(笑)。
となみちゃんはセリフ回しが???で。フェルゼンとの逢引シーン、手前勝手なことを並べていても、前の宙組のとき、私はここでなんだか説得されてしまったのだ。あれは私が花ちゃんマジックにかかってしまっていただけなのかな?となみちゃんのはなんだか大芝居で声が高く浮ついているような印象が残ってしまった。となみちゃんて芝居ヘタだったっけ?いやいや、長崎でちゃんとやってたよ。終演後、kineさんに「あれは花供養とセリフ回しが同じ。植田演出じゃないかと緑野さんと言ってます」といわれてなるほど。衣装に負けない華やかさはさすが。でもとなみちゃん、脚もとってもきれいなんだよねー。今回ドレスばっかりで見られなくて残念。次に期待します。
しぃちゃんは、とっても明るいアンドレ。アンドレといえば陰のある(特に失明というか大人になってからは)大人の男、という先入観を覆す明るさ。しぃちゃんの笑顔も天然だなぁ。なんて観ていたら、やっぱりしぃちゃんにしか見えなくなってしまって困った。
さらに困ったのがすずみん。すずみんは期待通り(すみません)登場シーンからマントをひるがえしてくれた(笑)。念を入れて作ったんだろうなぁという金髪のカツラもよく似合っていた。が!やっぱりオスカルの扮装をしているすずみんにしか見えなくなってしまって(泣)。
でもって、この2人が出てきてからむと完全にバカップルだし。いえ、脚本のせいですよ。
ストーリーやセリフに疑問は山ほどあるので覚えきれないが、一番私がびっくりしたのは、ジェローデルがスウェーデンのフェルゼンのところにきて「オスカルは死にました」と言ったときの(いや、死んだと告げられるのは、もうギャグにしか見えなくて)フェルゼンの反応。友人であり自分を恋い慕っていたはずの女が、いきなり反乱軍に入って死んだことにびっくりしないのか!?敵側に寝返ってたんだぞ!?自分や恋人のアントワネットに反旗を翻したんだぞ?さらにアントワネットを助けて欲しいってのがオスカルの遺志?もう何がなんだかさっぱりわからない。それを「可哀想」で片付けて終わりかい?とほほのほ。
とほほ気分にどっぷりつかったまま、幕間になってkineさんと合流。
「なんだかもうTCA観てるような気分になって(み)」
「TCAならもっと面白いシーンばかりをやるはずです(kine)」
「そ、そうですね(み)」
「華やかなエンディングのないベルばらってのも物足りないんですよ(み)」
「エンディングのついたベルばら一本モノと、90分で納めた後にショーがついたのとどっちがいいですか?(kine)」
「・・・こっちのほうがいいです(み)」
原作読んでない人には全然ストーリーわかんなかったでしょうね、などと話をしながら幕間を過ごす。ショーは面白いらしいことにとりあえずほっとする。シヴァパートはみんなで分担しているらしい。
ショーは大劇場で見たのとほぼ同じ。なるほど、イシちゃんの登場場面もとなみちゃんに振ったりうまくやっている。となみちゃんはこれがお披露目なのに、トップ娘役として全く遜色ない。
そしてしぃちゃん!とうこちゃんのパートに入って大活躍。タキシード、格好いいじゃないですか!
プロデューサーもちゃんとプロデューサー。とうこちゃんはとってもうさんくさい業界人っぽいニオイをぷんぷんさせていたのに、しぃちゃんは全然うさんくさくない。すごくまっとうな人に見える。
当然、レークへの仕打ちも、ストレートに女を取られたことへの怒り。オーキッドが屈折した複雑な思いを抱えていたのとは異なる。特に演出が変わったわけではないので、ひたすら本人の個性の発露なんだなぁ。すごいなぁ。
場面場面もそれぞれ楽しく切なく、歌も耳なじみがよく、目にも楽しい。檀ちゃんとの別れの場面は、ハンカチを小道具に使ったこれからよろしく、の場面に作り変えてあった。大介先生いい仕事してます。
階段が小さく、出てくる人数も少ない。これは全国ツアーなんだなぁ、梅田で全ツを見るというのは不思議な気分だ。しかし、お芝居では全ツ感はなかったが?と終演後、kineさんに言うと「お芝居は2人か3人しか舞台に出てないから当然ですよ」とのこと。そうかぁ。大人数が繰り出すバスティーユとかないもんね。
とまぁ、こんな感じ。息子を預けてまで観にいく価値があったかといわれると疑問だが、まぁショーは楽しかったのでよしとしよう。
しかし、来年の「ベルばら」どうしよう、もうホントに。
ところでこの「ベルばら」って「フェルゼンとアントワネット編」ですよね?プログラム買ってないからわからないんだけど、公式とかには「ベルサイユのばら」としか書いてなくて。まさかこれが○○編とかじゃない、宝塚の「ベルばら」のデフォルトとして世の中に出すものじゃないよね?
わーん。せっかく観劇しているのに、全然感想書いていない。
書きたいことはいろいろあるのだけど、息子からもらった風邪が治らず、咳が止まらない。一日のんびりすれば治るのだろうけど。いつになったら「のんびり」できるようになるのだろう。
【オサコン】
・私はオサちゃんは特に好きでも嫌いでもないです。でも「王者の孤独」は大好物。常に勝ち続けなければならないものが背負った宿命、それに敢然と立ち向かう人、みたいなストーリーね。宿命に勝ち続けるためには、それだけの能力と努力が必要。オサちゃんはそれを落ち合わせた人だと思っていました。
・今回、まさにその努力の部分を見せてもらいました。スネアドラムやタップ、ダンス、オペラ歌唱。大劇で涼しい顔して真ん中にいる姿が常だったのに、もう額に汗が光る光る。回りを取り囲む生徒さんたちが若いこともあって、それに混じって踊りまくるオサちゃんの必死さがモロに見えました。とても人間っぽくて、好感が持てました。
・人間ぽくないトート様もまたよかった。客席から登場して、普通の舞台メイクで余裕でトート様になりきって歌ってました。表情がよかったなぁ。客席には本来の相手役(?)のゆみこちゃんも来ていて、どういう想いで見ていたんだろうなぁと思いました。
・梅芸は初めてでした。「これが演歌歌手の舞台をやっていたコマ劇場かぁ」とものめずらしく見回してました。座っていたのは3階最前列。立ち上がると転げ落ちそう。怖いよ〜。でもね、座ると結構手すりが遠いせいか舞台がやや欠けてしまう。楽だったせいか、慣れたヅカファンが多く、マナーよく座っている人ばかりだったけど、演歌歌手の舞台なんかだと背もたれから背中浮かせちゃう人多かったんじゃないかな?ちと見づらいです。そう思うとどんなに端に座っても舞台が欠けない大劇って配慮されてるんだなぁと。見にくい席にお付き合いいただき、ありがとうございました。師匠。
・オサちゃんは小学生の頃からオーケストラをやっていたそうだ。夢中になってあちこちで演奏していたらしい。クラリネットに夢中だったお嬢さんがなぜ、結局このような道に入ることになったのだろう。ファンの方ならご存知なのかな。
・終演時間が押す押す。アンコールもあったし、5時頃終演のはずが6時を過ぎていたような気がする。舞台自体、オサちゃんが疲れているのがなんとなく伝わってきた。あれだけ踊って歌ってしゃべってれば、5公演目ともなるとかなりしんどいことだろう。つくづく、トップスターというのは「使い減りしない人」でなければ務め上げるのは難しいんだなぁと思った。お疲れさまでした。まだ東京があるんだよね。頑張って。
【宙楽】
・正直、観劇する気がなかなか起きず、1週間前まで悩んでました。kineさんの日記を読んで理由がわかりました。お芝居もショーも暗いんですよね。なんか発散できない。だから腰が重かったんだ。私はお芝居がそれほど好きでもなかったし、加えてショーもなんだかなーという出来でいくきっかけにならなかった。それでも行こうと決めたのは、1時開演だったから(笑)。息子をチャイルドルームに預けるのに、お弁当を作らなくてもいいと気づいたからでした。
・そのチャイルドルーム。NHKの取材が来てました。「すくすく子育て」か何かの取材らしい。「子供さんが遊んでいる風景が写るかも。ご了承を」ということでしたが、息子は結局ほとんど昼寝していたらしい。映りませんな。取材スタッフさんが「皆さん、慣れておられますね。子供さんも泣かないんですね」と感心してましたが、取材に来る日が悪いよ。宙楽(&サヨナラショーつき)のチケット手配してくる人なんて、観劇慣れしてる親子ばっかりに決まってるじゃん。取材のテーマは、何だろう?「子供を預けて育児リフレッシュ」かな?
・芝居は2回目を観てよかったです。初回と大分印象が変わりました。特にルーナ伯爵かな。ガイチさんの感情表現が豊かになった気がする。特に最後の「弟だよ!」と告げられて愕然とするところとか。
・それにしてもたかちゃんは格好いいなぁ。うっとり。花ちゃんはきれいで可愛くて清楚でいいなぁ。これぞタカラヅカ、のトップコンビですな。
・ショーはやっぱりあんまりいい出来じゃないと思う。どっかで見た場面、ってのが多い。タイトル「ヴォヤージュ」は、旅って意味だよね?全然旅って感じじゃないんですけど?衣装も結構使いまわし?ハロウィンの緑色のワンピースはドルチェ・ヴィータのみなみちゃんたちが着ていた服だよね?ラッキースターの黄色い衣装もたんまりと。ピアノの場面のスパニッシュの衣装はESPのシューマッハのと同じだと思う。
・そのピアノの場面。終演後、「あれって、ドルチェ・ヴィータのサテリコンのぱく・いえ、影響されたっちゅーか、インスパイアされた場面ですよね?」と緑野こあら師匠に確認すると「いえ、ドリキンと同じだと思いますよ」とのお答えが。私、ドリキン観てないもんなぁ。でも、タニちゃん→わたるくん(船乗り)、るいちゃん→檀ちゃん(ドルチェ・ヴィータ)、ガイチさん→とうこちゃん(ディアボロ)、宙組イケメン長身軍団→コーザノストラ、みたいに置きかえれないかな?ガイチさんの周りには歌姫たちもいるしねぇ。でもなんか美しくない。翻弄されるのはタニちゃんもわたるくんも太陽系のスターさんなのになぁ。何が違うんだろう。いかんいかん、全てにドルチェ・ヴィータの世界を求めては。あれは特異な世界、別次元のお話だったんだ。そこへ私たちが迷い込んだだけ。結局私はあの世界に囚われているのかなぁ。
・ガイチさんはあちこちの場面で胸にお花をつけていた。穏やかな微笑みが胸に迫った。まだまだやりたかったんだろうなぁ。余裕さえあるもの。
・他の退団者も探した。ともちんバウでサチをやっていた女の子。可愛かったのになぁ。もったいない。一緒に退団する男役さんも同期だったんだね。サヨナラショーでデュエットダンス踊れたのは記念になったろうな。
・サヨナラショーはあっさりというか。ガイチさんの一人舞台のようだった。あんまり宙組の組子とからなまない。特にタカちゃんと花ちゃんは全くサヨナラショーには出なかった。ちょっと残念。タカちゃんとからんだ舞台なかったっけ?うーんうーん、全ツの風共?白昼?確かに掛け合いする場面はないような気も。でもちょっと位なんとかならなかったのか?演出はショーの先生だから三木先生かねぇ?ちょっとだけ嬉しかったのは「ジャズマニア」のシャレードがあったこと。ガイチさんが歌ったのはまみさんバージョンじゃなくて、リカちゃんバージョンだったはずだけど。タニちゃんるいちゃんが着ていた衣装もちゃんとシャレードの衣装だったな。こうして、私が最初にタカラヅカにはまったまみさんの時代のカケラがどんどん、過去のものになっていくんだなと思うと寂しかった。
・ご挨拶も涙涙、というわけではなくて、まだ東宝がありますので、という感じだった。ガイチさんを暖かく送り出そうとうするタカちゃんの雰囲気がよかった。組長も同期だからご挨拶も伝えようとするものがあったように思う。
まだまだ書き残したことあると思うんだけど、きちんと書こうとすると(頭の中では練っていたのだけど)時間がかかって忘れてしまいそうなので、とりあえず書きました。
書きたいことはいろいろあるのだけど、息子からもらった風邪が治らず、咳が止まらない。一日のんびりすれば治るのだろうけど。いつになったら「のんびり」できるようになるのだろう。
【オサコン】
・私はオサちゃんは特に好きでも嫌いでもないです。でも「王者の孤独」は大好物。常に勝ち続けなければならないものが背負った宿命、それに敢然と立ち向かう人、みたいなストーリーね。宿命に勝ち続けるためには、それだけの能力と努力が必要。オサちゃんはそれを落ち合わせた人だと思っていました。
・今回、まさにその努力の部分を見せてもらいました。スネアドラムやタップ、ダンス、オペラ歌唱。大劇で涼しい顔して真ん中にいる姿が常だったのに、もう額に汗が光る光る。回りを取り囲む生徒さんたちが若いこともあって、それに混じって踊りまくるオサちゃんの必死さがモロに見えました。とても人間っぽくて、好感が持てました。
・人間ぽくないトート様もまたよかった。客席から登場して、普通の舞台メイクで余裕でトート様になりきって歌ってました。表情がよかったなぁ。客席には本来の相手役(?)のゆみこちゃんも来ていて、どういう想いで見ていたんだろうなぁと思いました。
・梅芸は初めてでした。「これが演歌歌手の舞台をやっていたコマ劇場かぁ」とものめずらしく見回してました。座っていたのは3階最前列。立ち上がると転げ落ちそう。怖いよ〜。でもね、座ると結構手すりが遠いせいか舞台がやや欠けてしまう。楽だったせいか、慣れたヅカファンが多く、マナーよく座っている人ばかりだったけど、演歌歌手の舞台なんかだと背もたれから背中浮かせちゃう人多かったんじゃないかな?ちと見づらいです。そう思うとどんなに端に座っても舞台が欠けない大劇って配慮されてるんだなぁと。見にくい席にお付き合いいただき、ありがとうございました。師匠。
・オサちゃんは小学生の頃からオーケストラをやっていたそうだ。夢中になってあちこちで演奏していたらしい。クラリネットに夢中だったお嬢さんがなぜ、結局このような道に入ることになったのだろう。ファンの方ならご存知なのかな。
・終演時間が押す押す。アンコールもあったし、5時頃終演のはずが6時を過ぎていたような気がする。舞台自体、オサちゃんが疲れているのがなんとなく伝わってきた。あれだけ踊って歌ってしゃべってれば、5公演目ともなるとかなりしんどいことだろう。つくづく、トップスターというのは「使い減りしない人」でなければ務め上げるのは難しいんだなぁと思った。お疲れさまでした。まだ東京があるんだよね。頑張って。
【宙楽】
・正直、観劇する気がなかなか起きず、1週間前まで悩んでました。kineさんの日記を読んで理由がわかりました。お芝居もショーも暗いんですよね。なんか発散できない。だから腰が重かったんだ。私はお芝居がそれほど好きでもなかったし、加えてショーもなんだかなーという出来でいくきっかけにならなかった。それでも行こうと決めたのは、1時開演だったから(笑)。息子をチャイルドルームに預けるのに、お弁当を作らなくてもいいと気づいたからでした。
・そのチャイルドルーム。NHKの取材が来てました。「すくすく子育て」か何かの取材らしい。「子供さんが遊んでいる風景が写るかも。ご了承を」ということでしたが、息子は結局ほとんど昼寝していたらしい。映りませんな。取材スタッフさんが「皆さん、慣れておられますね。子供さんも泣かないんですね」と感心してましたが、取材に来る日が悪いよ。宙楽(&サヨナラショーつき)のチケット手配してくる人なんて、観劇慣れしてる親子ばっかりに決まってるじゃん。取材のテーマは、何だろう?「子供を預けて育児リフレッシュ」かな?
・芝居は2回目を観てよかったです。初回と大分印象が変わりました。特にルーナ伯爵かな。ガイチさんの感情表現が豊かになった気がする。特に最後の「弟だよ!」と告げられて愕然とするところとか。
・それにしてもたかちゃんは格好いいなぁ。うっとり。花ちゃんはきれいで可愛くて清楚でいいなぁ。これぞタカラヅカ、のトップコンビですな。
・ショーはやっぱりあんまりいい出来じゃないと思う。どっかで見た場面、ってのが多い。タイトル「ヴォヤージュ」は、旅って意味だよね?全然旅って感じじゃないんですけど?衣装も結構使いまわし?ハロウィンの緑色のワンピースはドルチェ・ヴィータのみなみちゃんたちが着ていた服だよね?ラッキースターの黄色い衣装もたんまりと。ピアノの場面のスパニッシュの衣装はESPのシューマッハのと同じだと思う。
・そのピアノの場面。終演後、「あれって、ドルチェ・ヴィータのサテリコンのぱく・いえ、影響されたっちゅーか、インスパイアされた場面ですよね?」と緑野こあら師匠に確認すると「いえ、ドリキンと同じだと思いますよ」とのお答えが。私、ドリキン観てないもんなぁ。でも、タニちゃん→わたるくん(船乗り)、るいちゃん→檀ちゃん(ドルチェ・ヴィータ)、ガイチさん→とうこちゃん(ディアボロ)、宙組イケメン長身軍団→コーザノストラ、みたいに置きかえれないかな?ガイチさんの周りには歌姫たちもいるしねぇ。でもなんか美しくない。翻弄されるのはタニちゃんもわたるくんも太陽系のスターさんなのになぁ。何が違うんだろう。いかんいかん、全てにドルチェ・ヴィータの世界を求めては。あれは特異な世界、別次元のお話だったんだ。そこへ私たちが迷い込んだだけ。結局私はあの世界に囚われているのかなぁ。
・ガイチさんはあちこちの場面で胸にお花をつけていた。穏やかな微笑みが胸に迫った。まだまだやりたかったんだろうなぁ。余裕さえあるもの。
・他の退団者も探した。ともちんバウでサチをやっていた女の子。可愛かったのになぁ。もったいない。一緒に退団する男役さんも同期だったんだね。サヨナラショーでデュエットダンス踊れたのは記念になったろうな。
・サヨナラショーはあっさりというか。ガイチさんの一人舞台のようだった。あんまり宙組の組子とからなまない。特にタカちゃんと花ちゃんは全くサヨナラショーには出なかった。ちょっと残念。タカちゃんとからんだ舞台なかったっけ?うーんうーん、全ツの風共?白昼?確かに掛け合いする場面はないような気も。でもちょっと位なんとかならなかったのか?演出はショーの先生だから三木先生かねぇ?ちょっとだけ嬉しかったのは「ジャズマニア」のシャレードがあったこと。ガイチさんが歌ったのはまみさんバージョンじゃなくて、リカちゃんバージョンだったはずだけど。タニちゃんるいちゃんが着ていた衣装もちゃんとシャレードの衣装だったな。こうして、私が最初にタカラヅカにはまったまみさんの時代のカケラがどんどん、過去のものになっていくんだなと思うと寂しかった。
・ご挨拶も涙涙、というわけではなくて、まだ東宝がありますので、という感じだった。ガイチさんを暖かく送り出そうとうするタカちゃんの雰囲気がよかった。組長も同期だからご挨拶も伝えようとするものがあったように思う。
まだまだ書き残したことあると思うんだけど、きちんと書こうとすると(頭の中では練っていたのだけど)時間がかかって忘れてしまいそうなので、とりあえず書きました。
子供に2時間以上テレビを見せてはならない。
んだそうで。
んなこといったって、毎日「おかあさんといっしょ」を見なければ始まらないうちの息子。食事が終わったら「いっしょ!」と言って、録画してある「おかあさんといっしょ」を見せろと要求する。「でぃーぶいでぃー」という。君はもうビデオ世代じゃないんだね・・・。
保育園に行ってるから、朝食後と夕食後、計1時間程度なんだけど、土日はさすがに2時間以上見てるなぁ。しくしく。
8月は「おかあさんといっしょ」も夏休みのようで、前の放送を再放送したりしていた。その中で息子が滅茶苦茶お気に入りだったのが「ファミリーコンサート」。おかあさんといっしょのお兄さん、お姉さんやキャラクターたちがステージを繰り広げるコンサートが収録されていて、それが放映されるのだ。一緒になって踊って歌って実に楽しそう。だけど体操のお兄さんが宙返りをするのを真似て、ソファの上から床へでんぐり返しで降りるのはやめて欲しい。
「ファミリーコンサート」の録画、10回以上観ている。ホントに、同じステージを何回も観て、楽しいのかしらねぇ。
この「ファミリーコンサート」、かなりのチケット難らしい。今はハガキで申し込むのかぴあに並ぶのか忘れたけど、以前(「血と砂」の頃だな)、ぴあに始発前から並んでいたとき、気合の入ったおかあさんたちが並びに来ていて、ファミリーコンサートのチケットを取っていた。その時は「なんだそりゃ?」と思ったが、これだけ息子が喜んで見ていれば、親としてもチケット取りに熱が入るのは今はわかる。そもそも開催回数が少ない。近畿地方だって年に1回回ってくればいいほうのようだ。
何がそんなに息子の心を捉えるのだろう、と思っていたが、そういえば息子はステージモノのテレビ番組が好きだ。「きよしとこの夜」とか「NHK歌謡コンサート」とか。いえ、NHKの番組ばっかりなのは天気予報を見たくて(保育園の送迎時の天気は大問題)つけている流れで映るだけなんですが。
やっぱりアレですか?胎教の影響ですか?
息子妊娠中、当然、私はタカラヅカの公演を観まくっていた。初めて胎動を感じたのは花エリザを観ているときだったし、超音波で性別が男の子と知ったのは、どこかの組の新人公演と抱き合わせで会社を休み検診に行ったときだった。「ヴィンターガルテン」を観ていたとき、どうしてもトイレに行きたくてかのちかちゃんが客席に入ってくる扉から出ようとしてお姉さんに押しとどめられたっけ。産前休暇に入って一番にしたことは「傭兵ピエール」観劇だったし。
息子がステージ好きでも、自業自得。くすんくすん。末はオギーか吉正か?ですか?それはちょっとどっちもイヤだなぁ。
緑野こあら師匠!日記面白すぎです!毎朝電車の中で携帯で読んでるのですが(全文読めない場合もありますが)、必死に笑いをこらえていて、周りの人に怪訝そうな顔、されてます。「正気じゃ口にできない」って、じゃあケロちゃんやゆうひくんも正気じゃなかったんでしょうか。そうだろうなぁ。
んだそうで。
んなこといったって、毎日「おかあさんといっしょ」を見なければ始まらないうちの息子。食事が終わったら「いっしょ!」と言って、録画してある「おかあさんといっしょ」を見せろと要求する。「でぃーぶいでぃー」という。君はもうビデオ世代じゃないんだね・・・。
保育園に行ってるから、朝食後と夕食後、計1時間程度なんだけど、土日はさすがに2時間以上見てるなぁ。しくしく。
8月は「おかあさんといっしょ」も夏休みのようで、前の放送を再放送したりしていた。その中で息子が滅茶苦茶お気に入りだったのが「ファミリーコンサート」。おかあさんといっしょのお兄さん、お姉さんやキャラクターたちがステージを繰り広げるコンサートが収録されていて、それが放映されるのだ。一緒になって踊って歌って実に楽しそう。だけど体操のお兄さんが宙返りをするのを真似て、ソファの上から床へでんぐり返しで降りるのはやめて欲しい。
「ファミリーコンサート」の録画、10回以上観ている。ホントに、同じステージを何回も観て、楽しいのかしらねぇ。
この「ファミリーコンサート」、かなりのチケット難らしい。今はハガキで申し込むのかぴあに並ぶのか忘れたけど、以前(「血と砂」の頃だな)、ぴあに始発前から並んでいたとき、気合の入ったおかあさんたちが並びに来ていて、ファミリーコンサートのチケットを取っていた。その時は「なんだそりゃ?」と思ったが、これだけ息子が喜んで見ていれば、親としてもチケット取りに熱が入るのは今はわかる。そもそも開催回数が少ない。近畿地方だって年に1回回ってくればいいほうのようだ。
何がそんなに息子の心を捉えるのだろう、と思っていたが、そういえば息子はステージモノのテレビ番組が好きだ。「きよしとこの夜」とか「NHK歌謡コンサート」とか。いえ、NHKの番組ばっかりなのは天気予報を見たくて(保育園の送迎時の天気は大問題)つけている流れで映るだけなんですが。
やっぱりアレですか?胎教の影響ですか?
息子妊娠中、当然、私はタカラヅカの公演を観まくっていた。初めて胎動を感じたのは花エリザを観ているときだったし、超音波で性別が男の子と知ったのは、どこかの組の新人公演と抱き合わせで会社を休み検診に行ったときだった。「ヴィンターガルテン」を観ていたとき、どうしてもトイレに行きたくてかのちかちゃんが客席に入ってくる扉から出ようとしてお姉さんに押しとどめられたっけ。産前休暇に入って一番にしたことは「傭兵ピエール」観劇だったし。
息子がステージ好きでも、自業自得。くすんくすん。末はオギーか吉正か?ですか?それはちょっとどっちもイヤだなぁ。
緑野こあら師匠!日記面白すぎです!毎朝電車の中で携帯で読んでるのですが(全文読めない場合もありますが)、必死に笑いをこらえていて、周りの人に怪訝そうな顔、されてます。「正気じゃ口にできない」って、じゃあケロちゃんやゆうひくんも正気じゃなかったんでしょうか。そうだろうなぁ。
去年の今日はこんなに暑い日だったっけ?
確か花組公演中だった。一日遅れのレビュー記念日だったかな?
覚えているのは、ひっきりなしにやりとりしたメール。白い手紙が来たことへの確認。連絡のつかない友人への電話。携帯への充電。
2005年のカレンダーのメンバーに入っていたから、油断していたんだったっけ。
今日、ふと妊娠が発覚した日のかきつけをみつけた。心配していたのは仕事のこと(産休が取れるかどうか)と、汐美さんの退団と重ならないだろうかということだった。
一人目のご贔屓だったまみさんの退団を見送って、汐美さんの退団までの間に、息子は生まれたんだけど。出産後1ヶ月程して観劇に復帰したよなぁ。
今思うと、汐美さんの退団をちゃんと見送れてよかったな、と思う。
まぁ、そんな感じ。
去年は今日から怒濤の日が始まったんだよな。ちゃんと見送れてよかった、うん。それだけは幸せだった。
これからももしご贔屓が退団することになる人がいたら(いずれみんなそうなるんだろうけど)、みんな悔いなく見送れますように。
で、汐美さんは今、どんな思いでいるのだろうなぁ。
☆
今日もまた星組で退団者が。なんとなく、名前似てるなぁ。
確か花組公演中だった。一日遅れのレビュー記念日だったかな?
覚えているのは、ひっきりなしにやりとりしたメール。白い手紙が来たことへの確認。連絡のつかない友人への電話。携帯への充電。
2005年のカレンダーのメンバーに入っていたから、油断していたんだったっけ。
今日、ふと妊娠が発覚した日のかきつけをみつけた。心配していたのは仕事のこと(産休が取れるかどうか)と、汐美さんの退団と重ならないだろうかということだった。
一人目のご贔屓だったまみさんの退団を見送って、汐美さんの退団までの間に、息子は生まれたんだけど。出産後1ヶ月程して観劇に復帰したよなぁ。
今思うと、汐美さんの退団をちゃんと見送れてよかったな、と思う。
まぁ、そんな感じ。
去年は今日から怒濤の日が始まったんだよな。ちゃんと見送れてよかった、うん。それだけは幸せだった。
これからももしご贔屓が退団することになる人がいたら(いずれみんなそうなるんだろうけど)、みんな悔いなく見送れますように。
で、汐美さんは今、どんな思いでいるのだろうなぁ。
☆
今日もまた星組で退団者が。なんとなく、名前似てるなぁ。
ああキムシン、な「炎にくちづけを」
2005年8月31日 宝塚さて「炎にくちづけを」の感想。私は原作のオペラを全然知らないので、一体どんな話かも知らずに劇場へ行った(緑野こあら師匠からラブシーンの話だけは聞いていったけど)。
私はキムシンは好きか嫌いか、といわれると嫌い。私は宝塚で現実を忘れてのほほーんと楽しみたいんだよー。美しいものを見、夢物語に酔って、ご贔屓にうっとりする。これが私の宝塚の楽しみ方。だからキムシンに国家がテロが拉致がといわれても困るんだ。いや、考えないわけではないけど、わざわざ宝塚でやらなくてもいいと思うんだ。そういうテーマでやってる舞台は他にもあるんだから。
(のほほんと楽しみたいが、「愛のソナタ」は嫌だー(絶叫))
まぁ、でもそういう気持ちのとんがった若い演出家を野放し、もとい好きにやらせてるっていうのも歌劇団の懐の広さかなぁとも思う。守りに入ると発展はないから。
で、今回は排他主義、っすかね。キムシンの目の付け所は。モチーフは宗教っつか中世キリスト教。
観ながら考えていたのは、生徒さんの中に、クリスチャンはいなかったのなかあ?ということ。特に兵士役さんたちの中にね。ジプシーたちが処刑されるところとか、マンリーコが火刑にされるところ。花道まで居並ぶ兵士たちは薄笑いを浮かべている。演出だろうね。これはあくまで中世の話であり、キリスト教はモチーフ、実際はこうじゃない、とわかっていても、ここで観客のひとりとしては、マンリーコ(やレオノーラ)を、笑みさえ浮かべながら今まさに死に追いやろうとする排他主義者たちを憎み、カタルシスを待ち望むというところに自分の感情が昇華していかなければ、この話は面白くないと思うのだ。
私はね、辛かった。本当のキリスト教はそんなんじゃない。そんな思いにとらわれてしまった。それは多分、私が中途半端だけどキリスト教に親しんでいる人間だから。演じている人たちは薄笑いを浮かべるのは辛くなかったかな?ま、大丈夫か、演じるプロだもんね。私はキムシンの皮肉をマトモにくらってしまったのかもしれない。
今回は「あくまでモチーフなんだよ」の表現レベル、つまり寓話化が物足りなかったと思う。舞台が古い中国や古代エジプト、神話の時代の日本なら生々しいテーマでも、「寓話です」という下駄を履いて舞台を観るから、苦笑する程度で済んだのだけど。
キリスト教にしろジプシーにしろ、今まさに、この時代で接することのできる人たち。でもその真相を知ってるような知らないような存在をモチーフにするのはちょっと無理があったのではないか。
いかにこの時代のキリスト教が愚かなことをしていたか、これは寓話なんですよ、という念押しをする1場面でも入れてくれればもっと気持ちよく見られたのになぁ、と思う。
マンリーコが牢屋にひったてられるシーンもそう。いつ捕まったんだ?なんで?とかストーリー的にもはしょり気味。アズチューナの「復讐を果たしました」のセリフも周囲の叫びに飲まれてよく聞こえなかったりするし。それにアズチューナの本心はどこにあったのだろう?これも簡単にはわからない。
キムシンの作る場面の隙間を、自分の感性と知識で埋め合わせ、舞台の進行と一体になりながら渾然と観劇できる人に、この舞台は向いていると思う。
逆に言えばタカラヅカを見に来るある大きな層、植田芝居を心地よく感じる人たちの層には、不親切きわまりない作品だと思った。自分で理解し、自分の感情を観察せねばならないんだもの。
もうひとつ、私がカタルシスを感じられなかったのは、ガイチさんの役の問題もあったかなぁ。私にはルーナ伯爵が何を考えてる人か全然わからなかった。イコール魅力もわからなかった。ガイチさんはとてもよかったよ。歌も上手いしメイクもばっちり。立ち居振る舞いもよかった。
でも、キャラクターとして、時代の常識に従った人ではあっても、例えば弟を必死で捜し求めている場面とか、肉親の情でもって動く場面とかがあれば、最後の悲劇はもっと効果的だったと思う。あなたがあれだけ捜し求めている人をあなたは自分で殺してしまったのだ、と思える。ここもキムシン、不親切。
というわけで、キムシンらしい作品だった。でも私は「スサノオ」よりはマシ。「スサノオ」は作品としてどーにもしんどかった。あれは水くん、魅力的だったなぁ。キムシン作品、やっぱり私が観るときはエネルギーが要るな、と思った。
もちろん、頑張って観にいった大きな理由は、たかちゃん花ちゃん。大好き。現実感がなくて美しくて、どちらもがトップとしての力技をもった人たち。「これぞタカラヅカ」だと思うもの。
今回も、その力は充分。花ちゃんのドレス姿は美しくて美しくて。修道院の場面で皆が「その若さ、その美しさで修道院に入るとは惜しい」みたいな歌を歌うのだけど、まさにその通り、という立ち姿。黒い服がかえって痛々しさを強調し、集団の中からくっきりと浮かび上がる。
たかちゃんも王子さまなのだなぁ。吟遊詩人が美しすぎる。しかも歌い上げるときの力強さ。この人はトップなんだ、と納得させられる(いや、2番手がたにちゃんだったってのもあるかもしれないけど)。
巨大若手たちはみんなジプシー。タニちゃんがやっと兄貴分に見えるよー(ここまで長かった)。ついつい目が行ってしまうのがともちん。私、濃いの好きだなぁ。いりすくんも。
しかしまぁ、相変わらずキムシンは主要キャラクターを数人分考えたら後は考えるのを辞めてしまうのね。「その他大勢」でおしまい。2回もキムシンに当たった宙組、次はオギーか景子先生に当ててあげてほしいよ。
作品的にはリピートは辛い。楽は観たいがこの作品を何度も観たいかといわれると、うーん。ショーがよければいいんだが、ショーはショーで・・・だもんなぁ。さてどうしようかな。
私はキムシンは好きか嫌いか、といわれると嫌い。私は宝塚で現実を忘れてのほほーんと楽しみたいんだよー。美しいものを見、夢物語に酔って、ご贔屓にうっとりする。これが私の宝塚の楽しみ方。だからキムシンに国家がテロが拉致がといわれても困るんだ。いや、考えないわけではないけど、わざわざ宝塚でやらなくてもいいと思うんだ。そういうテーマでやってる舞台は他にもあるんだから。
(のほほんと楽しみたいが、「愛のソナタ」は嫌だー(絶叫))
まぁ、でもそういう気持ちのとんがった若い演出家を野放し、もとい好きにやらせてるっていうのも歌劇団の懐の広さかなぁとも思う。守りに入ると発展はないから。
で、今回は排他主義、っすかね。キムシンの目の付け所は。モチーフは宗教っつか中世キリスト教。
観ながら考えていたのは、生徒さんの中に、クリスチャンはいなかったのなかあ?ということ。特に兵士役さんたちの中にね。ジプシーたちが処刑されるところとか、マンリーコが火刑にされるところ。花道まで居並ぶ兵士たちは薄笑いを浮かべている。演出だろうね。これはあくまで中世の話であり、キリスト教はモチーフ、実際はこうじゃない、とわかっていても、ここで観客のひとりとしては、マンリーコ(やレオノーラ)を、笑みさえ浮かべながら今まさに死に追いやろうとする排他主義者たちを憎み、カタルシスを待ち望むというところに自分の感情が昇華していかなければ、この話は面白くないと思うのだ。
私はね、辛かった。本当のキリスト教はそんなんじゃない。そんな思いにとらわれてしまった。それは多分、私が中途半端だけどキリスト教に親しんでいる人間だから。演じている人たちは薄笑いを浮かべるのは辛くなかったかな?ま、大丈夫か、演じるプロだもんね。私はキムシンの皮肉をマトモにくらってしまったのかもしれない。
今回は「あくまでモチーフなんだよ」の表現レベル、つまり寓話化が物足りなかったと思う。舞台が古い中国や古代エジプト、神話の時代の日本なら生々しいテーマでも、「寓話です」という下駄を履いて舞台を観るから、苦笑する程度で済んだのだけど。
キリスト教にしろジプシーにしろ、今まさに、この時代で接することのできる人たち。でもその真相を知ってるような知らないような存在をモチーフにするのはちょっと無理があったのではないか。
いかにこの時代のキリスト教が愚かなことをしていたか、これは寓話なんですよ、という念押しをする1場面でも入れてくれればもっと気持ちよく見られたのになぁ、と思う。
マンリーコが牢屋にひったてられるシーンもそう。いつ捕まったんだ?なんで?とかストーリー的にもはしょり気味。アズチューナの「復讐を果たしました」のセリフも周囲の叫びに飲まれてよく聞こえなかったりするし。それにアズチューナの本心はどこにあったのだろう?これも簡単にはわからない。
キムシンの作る場面の隙間を、自分の感性と知識で埋め合わせ、舞台の進行と一体になりながら渾然と観劇できる人に、この舞台は向いていると思う。
逆に言えばタカラヅカを見に来るある大きな層、植田芝居を心地よく感じる人たちの層には、不親切きわまりない作品だと思った。自分で理解し、自分の感情を観察せねばならないんだもの。
もうひとつ、私がカタルシスを感じられなかったのは、ガイチさんの役の問題もあったかなぁ。私にはルーナ伯爵が何を考えてる人か全然わからなかった。イコール魅力もわからなかった。ガイチさんはとてもよかったよ。歌も上手いしメイクもばっちり。立ち居振る舞いもよかった。
でも、キャラクターとして、時代の常識に従った人ではあっても、例えば弟を必死で捜し求めている場面とか、肉親の情でもって動く場面とかがあれば、最後の悲劇はもっと効果的だったと思う。あなたがあれだけ捜し求めている人をあなたは自分で殺してしまったのだ、と思える。ここもキムシン、不親切。
というわけで、キムシンらしい作品だった。でも私は「スサノオ」よりはマシ。「スサノオ」は作品としてどーにもしんどかった。あれは水くん、魅力的だったなぁ。キムシン作品、やっぱり私が観るときはエネルギーが要るな、と思った。
もちろん、頑張って観にいった大きな理由は、たかちゃん花ちゃん。大好き。現実感がなくて美しくて、どちらもがトップとしての力技をもった人たち。「これぞタカラヅカ」だと思うもの。
今回も、その力は充分。花ちゃんのドレス姿は美しくて美しくて。修道院の場面で皆が「その若さ、その美しさで修道院に入るとは惜しい」みたいな歌を歌うのだけど、まさにその通り、という立ち姿。黒い服がかえって痛々しさを強調し、集団の中からくっきりと浮かび上がる。
たかちゃんも王子さまなのだなぁ。吟遊詩人が美しすぎる。しかも歌い上げるときの力強さ。この人はトップなんだ、と納得させられる(いや、2番手がたにちゃんだったってのもあるかもしれないけど)。
巨大若手たちはみんなジプシー。タニちゃんがやっと兄貴分に見えるよー(ここまで長かった)。ついつい目が行ってしまうのがともちん。私、濃いの好きだなぁ。いりすくんも。
しかしまぁ、相変わらずキムシンは主要キャラクターを数人分考えたら後は考えるのを辞めてしまうのね。「その他大勢」でおしまい。2回もキムシンに当たった宙組、次はオギーか景子先生に当ててあげてほしいよ。
作品的にはリピートは辛い。楽は観たいがこの作品を何度も観たいかといわれると、うーん。ショーがよければいいんだが、ショーはショーで・・・だもんなぁ。さてどうしようかな。
保育園で水疱瘡が流行り始めたので、宙組「炎にくちづけを」を観にいってきました。
え?どう関係があるかって?大有りですよ、私には。
保育園で水疱瘡が流行る→息子にもうつる→(潜伏期間は約2週間)→会社休まないといけない→水疱瘡は医者から登園許可が出るまで保育園にいけない伝染病、完治まで約1週間→息子のために会社休んだ後で私用の休みは取りにくい、チャイルドルームに水疱瘡明けの子も預けづらい→宙組公演期間はあと3週間。今行っておかないと見逃すかも?
ま、こんな感じです。実に2ヶ月ぶり。檀ちゃんの大劇ラストデーを見届けて「これが最後の観劇になっても悔いない」なーんて書いてしまったけど、この夏、危うくその通りになるところだった(苦笑)。
それに。
先日のラインナップ発表で判明した、次の宙組公演。大作だかなんだか知らないけど、恐ろしいタイトルがついている。こ、これはいよいよたかちゃん花ちゃん退団!?ならなんとしても今回の公演も観ておかなければ!
私はキムシンはあんまり好きじゃない。「鳳凰伝」は好きだけど。「王家」も好きだけど。「愛のソナタ@最初のご贔屓の退団公演」の恨みはそれではチャラにならんらしい。「スサノオ」もなぁ、観てて胃が痛くなったし。
でもたかちゃん、花ちゃん好きなの。その一心で大劇場に駆けつけた。なんつーか、やっぱりキムシン、でしたわ。キムシンは4以上の数を数えられん人。今回も「1.2.3.いっぱい」で役は終わりだった。
ショーもなぁ。これがタカハナのラストショーとしたら耐えられん出来。しくしく。
感想はおいおい書いていきます。
☆
緑野こあら師匠の日記、完全復活!わあい!書かれるスピードに読むスピードがついていかない。師匠の日記は噛み締めるようにして味わうべき。でないと重要なことを見逃す。ええ、掛け算ばっかりじゃないですよ!?師匠の目の付け所のすごさは!
8月14日付の日記を読んでうなってしまった。すごい。あのセリフひとつ付け加えるだけで、「あの」長崎がごごごっとオギー方向へ動いていった!確かにあれはオギーだよ。すごい。師匠、尊敬してます!
んじゃあ、キムシン方向に動かすにはどんなセリフがいいだろう?「伊佐次、死んだのか?なら心は、心だけは自由だぜ!」かな?それとも「人間、死んじまえば、罪人も役人も唐人もみんな同じかもしんねぇなぁ」かな?いやいや。私は師匠ほどの文才、洞察力がないからぴたっとくるセリフが思い浮かばない。
師匠の行動力(&体力)にも驚嘆するが、あれだけのことを考え続けてる頭の中ってのもすごいもんだと尊敬しています。
☆
久々にムラに行くと、店頭に貼ってあるポスターもがらっと変わっていた。その中に妙なポスター発見。なんだかイシちゃんがイシちゃんがイシちゃんがイシちゃんがイシちゃんがたくさんいる。ファンの人が切り張りした手作りかしら?と帰宅のために急ぐ足を止めて見てしまった。
こ、これはDSのポスターじゃないかあ。ああ、びっくりした。
そういや芸能生活20年だかなんだかだったよなぁ。今回のDSはそれを振り返るっていうコンセプトなのかしら?
ホテル阪急インターナショナルのサイトで見られると思います。師匠ならこれ、全部作品名と役名、お分かりなのでしょうか。
え?どう関係があるかって?大有りですよ、私には。
保育園で水疱瘡が流行る→息子にもうつる→(潜伏期間は約2週間)→会社休まないといけない→水疱瘡は医者から登園許可が出るまで保育園にいけない伝染病、完治まで約1週間→息子のために会社休んだ後で私用の休みは取りにくい、チャイルドルームに水疱瘡明けの子も預けづらい→宙組公演期間はあと3週間。今行っておかないと見逃すかも?
ま、こんな感じです。実に2ヶ月ぶり。檀ちゃんの大劇ラストデーを見届けて「これが最後の観劇になっても悔いない」なーんて書いてしまったけど、この夏、危うくその通りになるところだった(苦笑)。
それに。
先日のラインナップ発表で判明した、次の宙組公演。大作だかなんだか知らないけど、恐ろしいタイトルがついている。こ、これはいよいよたかちゃん花ちゃん退団!?ならなんとしても今回の公演も観ておかなければ!
私はキムシンはあんまり好きじゃない。「鳳凰伝」は好きだけど。「王家」も好きだけど。「愛のソナタ@最初のご贔屓の退団公演」の恨みはそれではチャラにならんらしい。「スサノオ」もなぁ、観てて胃が痛くなったし。
でもたかちゃん、花ちゃん好きなの。その一心で大劇場に駆けつけた。なんつーか、やっぱりキムシン、でしたわ。キムシンは4以上の数を数えられん人。今回も「1.2.3.いっぱい」で役は終わりだった。
ショーもなぁ。これがタカハナのラストショーとしたら耐えられん出来。しくしく。
感想はおいおい書いていきます。
☆
緑野こあら師匠の日記、完全復活!わあい!書かれるスピードに読むスピードがついていかない。師匠の日記は噛み締めるようにして味わうべき。でないと重要なことを見逃す。ええ、掛け算ばっかりじゃないですよ!?師匠の目の付け所のすごさは!
8月14日付の日記を読んでうなってしまった。すごい。あのセリフひとつ付け加えるだけで、「あの」長崎がごごごっとオギー方向へ動いていった!確かにあれはオギーだよ。すごい。師匠、尊敬してます!
んじゃあ、キムシン方向に動かすにはどんなセリフがいいだろう?「伊佐次、死んだのか?なら心は、心だけは自由だぜ!」かな?それとも「人間、死んじまえば、罪人も役人も唐人もみんな同じかもしんねぇなぁ」かな?いやいや。私は師匠ほどの文才、洞察力がないからぴたっとくるセリフが思い浮かばない。
師匠の行動力(&体力)にも驚嘆するが、あれだけのことを考え続けてる頭の中ってのもすごいもんだと尊敬しています。
☆
久々にムラに行くと、店頭に貼ってあるポスターもがらっと変わっていた。その中に妙なポスター発見。なんだかイシちゃんがイシちゃんがイシちゃんがイシちゃんがイシちゃんがたくさんいる。ファンの人が切り張りした手作りかしら?と帰宅のために急ぐ足を止めて見てしまった。
こ、これはDSのポスターじゃないかあ。ああ、びっくりした。
そういや芸能生活20年だかなんだかだったよなぁ。今回のDSはそれを振り返るっていうコンセプトなのかしら?
ホテル阪急インターナショナルのサイトで見られると思います。師匠ならこれ、全部作品名と役名、お分かりなのでしょうか。
育児中って、お金がたまる、なぁ。
外食しない、飲まない、自分の洋服買わない(買っても息子に汚される)、本買わない(本屋に行くとつい時間を忘れてうろついてしまうので、行かないよう心掛けているし、読む時間もない。電車の中は携帯メールタイム)、旅行しない(連れ歩いて熱出されると後が大変)、習い事しない、雑貨買わない、映画観ない・・・。
そして、観劇しない。これが大きいなぁ。特にご贔屓卒業後は、東宝や博多座、中日にも行かなくなったから旅費もかからない。大劇も卒業公演中は息子をチャイルドルームに放り込んで観ていたけど、その元気もこの夏はなし。
私の今の一番の贅沢は、ランチかなぁ。わびしいもんだ。他にお金を使うのは息子の洋服代か。バンバン大きくなるんだよ。保育園に預けるから数も要るし。安い服を選び歩く時間がないから、ついその辺のショップで買ってしまうのだけど、大人モノと変わらない値段するよ。ズボンだけで10枚近くも要るから、3000円のを買うと3万円!?すぐ小さくなるのにー。最近は芦屋のリサイクルショップまで車で行ってまとめ買いする。結構よいものがリサイクルにまわっているのはさすが芦屋。いいんだ、どうせ保育園用だし。
もちろん、経済状態が自転車操業であることは変わりなく、これまでは猛スピードで走らないとコケてしまいそうな位だったのが、のらりくらりと走ってもまぁ、大丈夫かぁ、程度になっただけですが。
携帯代は昔と変わらずかかります。ご贔屓卒業時程ではないけれど。
そして「美容院行かない」。
いつ行くんだいつ?って感じでカラーがプリンになっても放置。前髪がうっとおしくても放置。いよいよ限界か?と思い始めた先月末頃、阪神間で夜11時までやっている美容室を発見し、やっと先日、会社帰りに行ってきた。あーさっぱりした。
私の髪は、黒い・硬い・多いの三重苦。うっすら天然パーマもかかっていてのばすとうねる。パーマは非常に当たりにくく、大抵二度がけしないと当たらない。水分を含みやすく乾きにくい。
若い頃からいろんな髪型を試したものだ。刈り上げに近いショートカットもやってみたし、腰より長いロングストレートもやったことがある。それぞれパーマも当ててみた。どれもこれも一長一短。最近は諦めて適当にすいてもらってくくれる位にしている。
美容室もなかなか気に入ったところがみつからず、渡り歩いている。あるチェーン店が気に入って行っていたのだが、担当者が辞めるは洗髪台で床用モップと並んで髪を洗われたのがショックで行くのをやめてしまった。
会社の近くでカットが上手な人がいて、そこに通っていたら独立されて遠くに店を構えられてしまった。
もうこうなりゃ、毎回変えてやろう。ジプシーもオツなものよ、と開き直って飛び込んだところで、とても相性のいい美容師さんと出会えた。若い女性なんだけど、おしゃべりは少なめ、カットもカラーもそつなくやってくれる。店長指名の人が多いので、まぁ、いつ行ってもその人がやってくれる。沖縄出身なので沖縄話もしてくれるし、猫好きで猫話もOK。ずっとお世話になろうと思っていたのに、私が妊娠し(つわりであの美容室のニオイが耐えられず、妊娠中は行かなかった)、出産してから行ったら、辞めていた。その人も結婚し、出産されたそうで。がっくし。
再び、ジプシーの日々が始まったのだが、何せ息子をどこかに預けて行かねばならないので、つい後回しになってしまって。
今回見つけたところは、とにかく「夜やってくれる」ということだけで、料金も腕も店構えも気にせず、店のサイトだけをみて行った。
行ってちょっとたじろいだ。スタッフが受付の女の子以外はぜーんぶ、小麦色に肌を焼いた茶髪のおにーちゃんばっかりだったんだもん。夜だというのに店はかなり繁盛していた。
そういえばサイトには、心斎橋の店から独立した気鋭の美容師、みたいなことが書いてあったよなぁ。阪神間のこの場所でまず1号店を構えてイメージを固め、大阪、東京と発展させようという計画らしい。
美容院ジプシーをする時は、店構えをうかがってからそっと入ることが多かったから、こんな心斎橋ちっく(関西ではトップクラスの美容室が集まるのは心斎橋だそうだ)な店とは思わなかった。
ちょっとびびりながらも、子育て中で半年ぶりだの髪は三重苦だのと述べ立てる。2番手の(笑)にーちゃんが担当になってくれて、こんなイメージで云々と説明してくれる。いや、もうなんでもいいんです、軽くしていただければ。
シャンプー、ウエットカット、ブロー、ドライカット、カラー、シャンプー、ブロー・・・。7時に予約していたのだが、終わったのは10時半を過ぎていた。最後の一人が私だった。
狭い店なんだけど、コーナーの分け方とか使用機材とか、なんていうかスタッフの身のこなしとか。私が心斎橋を知らないだけかもしれないけど、とんがってるな、という印象。いい意味で。これから東京進出をもくろんでいるだけあるなぁ、と思った。1店だけ店を構えることを目的としている人たちじゃない勢いを感じた。
このままの勢いと、ていねいさを持続してくれればいいなぁ。できればずっと夜中の営業を続けて欲しいな。そうしたら私は選択肢、ないし、しばらくジプシーは止めにしてここに来ますが。
でも、最後のオマケにいかにも阪神間のオンナノコみたいな巻きを入れるのは止めて欲しかったっす(笑)。どうせ息子と風呂はいったら全部取れます。
☆
「太陽の塔」。次のツアーは秋かなぁ、と思っていたら、「夏のツアーが大変ご好評だったので、すぐ次の設定をもうけました」だそうです。9月の下旬に早速あります。
興味ある方は、名鉄観光のHPへGO!
50名ってのは最小催行人数で、定員は300名だそうです。300人!4日間で1000人は行ってるなぁ。そりゃ旅行代理店、美味しいわ。
外食しない、飲まない、自分の洋服買わない(買っても息子に汚される)、本買わない(本屋に行くとつい時間を忘れてうろついてしまうので、行かないよう心掛けているし、読む時間もない。電車の中は携帯メールタイム)、旅行しない(連れ歩いて熱出されると後が大変)、習い事しない、雑貨買わない、映画観ない・・・。
そして、観劇しない。これが大きいなぁ。特にご贔屓卒業後は、東宝や博多座、中日にも行かなくなったから旅費もかからない。大劇も卒業公演中は息子をチャイルドルームに放り込んで観ていたけど、その元気もこの夏はなし。
私の今の一番の贅沢は、ランチかなぁ。わびしいもんだ。他にお金を使うのは息子の洋服代か。バンバン大きくなるんだよ。保育園に預けるから数も要るし。安い服を選び歩く時間がないから、ついその辺のショップで買ってしまうのだけど、大人モノと変わらない値段するよ。ズボンだけで10枚近くも要るから、3000円のを買うと3万円!?すぐ小さくなるのにー。最近は芦屋のリサイクルショップまで車で行ってまとめ買いする。結構よいものがリサイクルにまわっているのはさすが芦屋。いいんだ、どうせ保育園用だし。
もちろん、経済状態が自転車操業であることは変わりなく、これまでは猛スピードで走らないとコケてしまいそうな位だったのが、のらりくらりと走ってもまぁ、大丈夫かぁ、程度になっただけですが。
携帯代は昔と変わらずかかります。ご贔屓卒業時程ではないけれど。
そして「美容院行かない」。
いつ行くんだいつ?って感じでカラーがプリンになっても放置。前髪がうっとおしくても放置。いよいよ限界か?と思い始めた先月末頃、阪神間で夜11時までやっている美容室を発見し、やっと先日、会社帰りに行ってきた。あーさっぱりした。
私の髪は、黒い・硬い・多いの三重苦。うっすら天然パーマもかかっていてのばすとうねる。パーマは非常に当たりにくく、大抵二度がけしないと当たらない。水分を含みやすく乾きにくい。
若い頃からいろんな髪型を試したものだ。刈り上げに近いショートカットもやってみたし、腰より長いロングストレートもやったことがある。それぞれパーマも当ててみた。どれもこれも一長一短。最近は諦めて適当にすいてもらってくくれる位にしている。
美容室もなかなか気に入ったところがみつからず、渡り歩いている。あるチェーン店が気に入って行っていたのだが、担当者が辞めるは洗髪台で床用モップと並んで髪を洗われたのがショックで行くのをやめてしまった。
会社の近くでカットが上手な人がいて、そこに通っていたら独立されて遠くに店を構えられてしまった。
もうこうなりゃ、毎回変えてやろう。ジプシーもオツなものよ、と開き直って飛び込んだところで、とても相性のいい美容師さんと出会えた。若い女性なんだけど、おしゃべりは少なめ、カットもカラーもそつなくやってくれる。店長指名の人が多いので、まぁ、いつ行ってもその人がやってくれる。沖縄出身なので沖縄話もしてくれるし、猫好きで猫話もOK。ずっとお世話になろうと思っていたのに、私が妊娠し(つわりであの美容室のニオイが耐えられず、妊娠中は行かなかった)、出産してから行ったら、辞めていた。その人も結婚し、出産されたそうで。がっくし。
再び、ジプシーの日々が始まったのだが、何せ息子をどこかに預けて行かねばならないので、つい後回しになってしまって。
今回見つけたところは、とにかく「夜やってくれる」ということだけで、料金も腕も店構えも気にせず、店のサイトだけをみて行った。
行ってちょっとたじろいだ。スタッフが受付の女の子以外はぜーんぶ、小麦色に肌を焼いた茶髪のおにーちゃんばっかりだったんだもん。夜だというのに店はかなり繁盛していた。
そういえばサイトには、心斎橋の店から独立した気鋭の美容師、みたいなことが書いてあったよなぁ。阪神間のこの場所でまず1号店を構えてイメージを固め、大阪、東京と発展させようという計画らしい。
美容院ジプシーをする時は、店構えをうかがってからそっと入ることが多かったから、こんな心斎橋ちっく(関西ではトップクラスの美容室が集まるのは心斎橋だそうだ)な店とは思わなかった。
ちょっとびびりながらも、子育て中で半年ぶりだの髪は三重苦だのと述べ立てる。2番手の(笑)にーちゃんが担当になってくれて、こんなイメージで云々と説明してくれる。いや、もうなんでもいいんです、軽くしていただければ。
シャンプー、ウエットカット、ブロー、ドライカット、カラー、シャンプー、ブロー・・・。7時に予約していたのだが、終わったのは10時半を過ぎていた。最後の一人が私だった。
狭い店なんだけど、コーナーの分け方とか使用機材とか、なんていうかスタッフの身のこなしとか。私が心斎橋を知らないだけかもしれないけど、とんがってるな、という印象。いい意味で。これから東京進出をもくろんでいるだけあるなぁ、と思った。1店だけ店を構えることを目的としている人たちじゃない勢いを感じた。
このままの勢いと、ていねいさを持続してくれればいいなぁ。できればずっと夜中の営業を続けて欲しいな。そうしたら私は選択肢、ないし、しばらくジプシーは止めにしてここに来ますが。
でも、最後のオマケにいかにも阪神間のオンナノコみたいな巻きを入れるのは止めて欲しかったっす(笑)。どうせ息子と風呂はいったら全部取れます。
☆
「太陽の塔」。次のツアーは秋かなぁ、と思っていたら、「夏のツアーが大変ご好評だったので、すぐ次の設定をもうけました」だそうです。9月の下旬に早速あります。
興味ある方は、名鉄観光のHPへGO!
50名ってのは最小催行人数で、定員は300名だそうです。300人!4日間で1000人は行ってるなぁ。そりゃ旅行代理店、美味しいわ。
ノスタルジーあってこその「太陽の塔」
2005年8月17日 日常申し込んだとき、間もなく定員一杯です、といわれた。定員は50名、そうか40何番目かなんだなぁ、人気あるなぁ。などと思っていたら。汗をふきふき集合場所のホテルのロビーに行くと、どうみても50人をはるかに超えた人が集まっていた。
真夏なのに、生後数ヶ月の赤ちゃんを連れた夫婦、バイキングか公園で遊ぶという口実で誘い出されたのか小学生もいる家族連れなどなど。受付の際、旅行代理店の人に「人数多いですね」と話しかけてみると「おかげさまでたくさん申し込んでいただいてます」と。まるでお堅い研究発表会の資料のような紙の封筒に、バイキングの引換券や万博公園への入場チケット、地図、スタンプラリーの小冊子などが入れられていた。
私たちは12時から「太陽の塔」見学、14時20分からバイキングの組だったが、先にバイキングを食べる組もあったようだ。
炎天下、真っ白に輝く「太陽の塔」。万博公園にお詳しい師匠に連れていってもらいながら、近づいてくる太陽の塔を見上げる。今見てもちっとも古くない。35年前の造形とは思えない。
太陽の塔の裏側、お祭り広場といわれている場所の手前に階段があり、そこから下へ降りる。太陽の塔の横っ腹に扉がついているわけではなく、いったん地下(本来の地上?)にもぐってから中へ入っていくのだ。
通路はまるで作業用の通路。コンクリートむき出し、天井高も180cmほどしかない。その通路に当時のテーマ館(太陽の塔はテーマ館の一部だったそうだ)の展示の様子がパネル写真で掲げられていた。当然、冷房はなく、係員の人がうちわを配ってくれる。「ご返却くださいね」ということだ。
首には「太陽の塔」見学の証明カード入りの札を下げる。色がいろいろあるようで、私たちが入場を待っている間、出てくる人たちは別の色のカードをかけていた。
いよいよ太陽の塔内部へ。極彩色の「生命の樹」。見上げるとうねるように上へ上へと昇っている。床には原始生命の模型。よく見ると、生命の樹にも恐竜や爬虫類などの模型が飾られている。壁は一面赤。三角形の突起物が赤く塗られている。まるで内蔵のよう。なんだろう、このとんがり具合、前衛性は。確かにホコリくさく、薄暗く、古びている。なのに古臭くない。これが35年前の造形なんだろうか。一緒に入った約50人ほどの人たちも感嘆の声を上げながら上を、壁を見上げていた。
係員の人なのか、ボランティアの人なのか、女性が簡単に説明をしてくれる。「太陽の塔」や生命の樹のことを。当然、万博当時のままではなく、当時この太陽の塔に入ってくるために開けられていた通路はふさがれており、上へ上へと昇っていくエスカレーターも姿はあるものの、稼動していないという。展示されている模型も、当時の1/10程度しか残っていないそうだ。当時の迫力はいったいどんなだったんだろう。
私たちが立っている床面にも、覆いつくすように原生生物の模型があったそうだ。それが当時は光り、音を出していたのだろう。内臓と思った壁の赤い模様は、炎を表しているそうだ。生命の息吹が上へと燃え上がっていくイメージなのだろう。
内部の片隅にはテーマ館の詳細な模型も。「太陽の塔」を覆う大屋根から地下展示までリアルに造りこまれている。
「おい、これ見ろよ」と小学生くらいの息子に促すお父さん。私たちと同世代かちょっと上くらい。皆、軽い興奮状態で上を見たり模型を見たり。小学生たちは退屈そう。それはそうだろう。これくらいの模型なら今はもっとリアルで迫力あるものがあちこちにある。何に釣られたかわからないけど、親が行くというのでついてきたものの、暑くてほこりっぽいこの空間に、なんで親がそれほど喜んでいるのか、彼らにはわからないだろう。
この空間に興奮できる幸せ。
それはかすかでも、「EXPO’70」のことを記憶の端にひっかけている人だけの特権だ。
扇風機が回転する横に、大型(そこそこ)のテレビが置かれてあり、当時のテーマ館の様子を映し出した10分程度の番組が始まった。やはり食い入るように見ているのは大人たち。
私自身、こうやって万博の映像を見るのは初めてに近い。こんなのだったんだな。日本が成長を信じていた幸せな時代の風景。でもこのテーマ館の投げかける問いは決して豊かな未来ばかりじゃなかった。ある意味「痛い」テーマ性を持ったものだ。
この「痛み」があるからこそ、35年たっても、このクソ暑いさなかに、お金を出して、群れをなして人々が押しかけるのだろう。
映像が終わり、しばらく中を見ていたが、さらに次のグループが来るということで退出を促される。出口が一箇所しかないこの場所は、消防法でたくさんの人数を一度には入れられないのだろう。
満足げにその場所を後にする人たち。私も満足していた。期待以上だった。痛みと記憶の共有、再現ができた。
出口で「太陽の塔」の“肌”に直接触ってみたり、師匠に透明通路のあった場所を教えていただいたり、写真を撮ったりしてぼつぼつホテルへ戻る。暑くて暑くてどこへも行く気になれず、ロビーで涼む。時間がきてバイキング。食べながら師匠とおしゃべり。見回してみると同年代層以外にもいろいろな人が来ていたことに気づく。どう見ても万博の頃は生まれてなかったんじゃないかと思う若い女性だけのグループ、お一人で参加の高齢の女性。皆、求めていたものはあの中にありましたか?
係員に追い出されるまで長居して、ホテルを後にする。その後、日が翳った(かもしれない)と万博公園を散策したがまだまだ暑かった。もっと歩きたかったが体力も限界。師匠、気候がよくなったらまた行きましょうね!
もしもあなたが、万博の記憶もわずかでも持っていて、オギーが好きなら(笑)ぜひ、「太陽の塔」の中に入ってみてください。あの空間を感じることができる人だけが、自分もまた、生命のひとかけらであり、生きているのだ、ということを懐かしさとともに体に取り込むことができると思います。
真夏なのに、生後数ヶ月の赤ちゃんを連れた夫婦、バイキングか公園で遊ぶという口実で誘い出されたのか小学生もいる家族連れなどなど。受付の際、旅行代理店の人に「人数多いですね」と話しかけてみると「おかげさまでたくさん申し込んでいただいてます」と。まるでお堅い研究発表会の資料のような紙の封筒に、バイキングの引換券や万博公園への入場チケット、地図、スタンプラリーの小冊子などが入れられていた。
私たちは12時から「太陽の塔」見学、14時20分からバイキングの組だったが、先にバイキングを食べる組もあったようだ。
炎天下、真っ白に輝く「太陽の塔」。万博公園にお詳しい師匠に連れていってもらいながら、近づいてくる太陽の塔を見上げる。今見てもちっとも古くない。35年前の造形とは思えない。
太陽の塔の裏側、お祭り広場といわれている場所の手前に階段があり、そこから下へ降りる。太陽の塔の横っ腹に扉がついているわけではなく、いったん地下(本来の地上?)にもぐってから中へ入っていくのだ。
通路はまるで作業用の通路。コンクリートむき出し、天井高も180cmほどしかない。その通路に当時のテーマ館(太陽の塔はテーマ館の一部だったそうだ)の展示の様子がパネル写真で掲げられていた。当然、冷房はなく、係員の人がうちわを配ってくれる。「ご返却くださいね」ということだ。
首には「太陽の塔」見学の証明カード入りの札を下げる。色がいろいろあるようで、私たちが入場を待っている間、出てくる人たちは別の色のカードをかけていた。
いよいよ太陽の塔内部へ。極彩色の「生命の樹」。見上げるとうねるように上へ上へと昇っている。床には原始生命の模型。よく見ると、生命の樹にも恐竜や爬虫類などの模型が飾られている。壁は一面赤。三角形の突起物が赤く塗られている。まるで内蔵のよう。なんだろう、このとんがり具合、前衛性は。確かにホコリくさく、薄暗く、古びている。なのに古臭くない。これが35年前の造形なんだろうか。一緒に入った約50人ほどの人たちも感嘆の声を上げながら上を、壁を見上げていた。
係員の人なのか、ボランティアの人なのか、女性が簡単に説明をしてくれる。「太陽の塔」や生命の樹のことを。当然、万博当時のままではなく、当時この太陽の塔に入ってくるために開けられていた通路はふさがれており、上へ上へと昇っていくエスカレーターも姿はあるものの、稼動していないという。展示されている模型も、当時の1/10程度しか残っていないそうだ。当時の迫力はいったいどんなだったんだろう。
私たちが立っている床面にも、覆いつくすように原生生物の模型があったそうだ。それが当時は光り、音を出していたのだろう。内臓と思った壁の赤い模様は、炎を表しているそうだ。生命の息吹が上へと燃え上がっていくイメージなのだろう。
内部の片隅にはテーマ館の詳細な模型も。「太陽の塔」を覆う大屋根から地下展示までリアルに造りこまれている。
「おい、これ見ろよ」と小学生くらいの息子に促すお父さん。私たちと同世代かちょっと上くらい。皆、軽い興奮状態で上を見たり模型を見たり。小学生たちは退屈そう。それはそうだろう。これくらいの模型なら今はもっとリアルで迫力あるものがあちこちにある。何に釣られたかわからないけど、親が行くというのでついてきたものの、暑くてほこりっぽいこの空間に、なんで親がそれほど喜んでいるのか、彼らにはわからないだろう。
この空間に興奮できる幸せ。
それはかすかでも、「EXPO’70」のことを記憶の端にひっかけている人だけの特権だ。
扇風機が回転する横に、大型(そこそこ)のテレビが置かれてあり、当時のテーマ館の様子を映し出した10分程度の番組が始まった。やはり食い入るように見ているのは大人たち。
私自身、こうやって万博の映像を見るのは初めてに近い。こんなのだったんだな。日本が成長を信じていた幸せな時代の風景。でもこのテーマ館の投げかける問いは決して豊かな未来ばかりじゃなかった。ある意味「痛い」テーマ性を持ったものだ。
この「痛み」があるからこそ、35年たっても、このクソ暑いさなかに、お金を出して、群れをなして人々が押しかけるのだろう。
映像が終わり、しばらく中を見ていたが、さらに次のグループが来るということで退出を促される。出口が一箇所しかないこの場所は、消防法でたくさんの人数を一度には入れられないのだろう。
満足げにその場所を後にする人たち。私も満足していた。期待以上だった。痛みと記憶の共有、再現ができた。
出口で「太陽の塔」の“肌”に直接触ってみたり、師匠に透明通路のあった場所を教えていただいたり、写真を撮ったりしてぼつぼつホテルへ戻る。暑くて暑くてどこへも行く気になれず、ロビーで涼む。時間がきてバイキング。食べながら師匠とおしゃべり。見回してみると同年代層以外にもいろいろな人が来ていたことに気づく。どう見ても万博の頃は生まれてなかったんじゃないかと思う若い女性だけのグループ、お一人で参加の高齢の女性。皆、求めていたものはあの中にありましたか?
係員に追い出されるまで長居して、ホテルを後にする。その後、日が翳った(かもしれない)と万博公園を散策したがまだまだ暑かった。もっと歩きたかったが体力も限界。師匠、気候がよくなったらまた行きましょうね!
もしもあなたが、万博の記憶もわずかでも持っていて、オギーが好きなら(笑)ぜひ、「太陽の塔」の中に入ってみてください。あの空間を感じることができる人だけが、自分もまた、生命のひとかけらであり、生きているのだ、ということを懐かしさとともに体に取り込むことができると思います。
「太陽の塔」の中に入れる、と知ったのは緑野こあら師匠の日記で、だった。
「太陽の塔」の中に入れるなんて、思いもしなかった。そもそも、中がどうなっているかなど考えたこともなかった。へぇ、あの中に入れるんだ。何があるんだろう?私は万博の(万博といえば、大阪万博です!)時はまだ幼くて、かろうじて“行った”ことは覚えているものの、その記憶ははなはだしく断片的で、どこに何があったかなどは全く覚えていない。
家で万博の絵本を見たり、シンボルマーク型の貯金箱で遊んだことのほうが印象に強いくらいだ。
その後、何かの記事で「国立民族学博物館」は、万博当時「太陽の塔」の地下に展示されていた民族資料を基に展示がされている、という記述をみつけ、興味を持った。
「国立民族学博物館」は、近畿圏の中学生の例にもれず、遠足で訪れた。同級生たちは、大雨でメインイベントだったエキスポランドに入れずがっかりしていたが、私は博物館が大変気に入った。
当時は最新の機器だった「ビデオテーク」。近未来を思わせるブースで、世界の人々の生活を映したビデオを自由に選択し、待っていれば目の前の画面に映し出される。そのシステムにも、世界の人々の多様性にも目を見張った。
展示にも圧倒された。その頃、博物館というと、どこかで掘り出された土器などがうやうやしくガラスケースに並べられていて、掘り出された場所と推定年代が書かれたプレートが置かれているだけ。なにやらおどろおどろしい雰囲気で、見せてあげるからありがたく見なさい、見る側から勉強しなさい、というものばかり。つまんない場所だった。
ところが民族学博物館の展示は入り口から違っていた。どこかの国で使われているという大きな手回しオルガンがあり、展示ブースへ行くと南の島で使われているのだろう木彫りの舟がどんっと置かれていた。展示されているものの量も半端じゃない。それが目の前の手に届きそうなところで見られる。解説も、それらがどう使われているものなのか、リアルに書かれていたように思う。
世界の人々が今も普通に使われているものが、展示価値があると誰かが決めて、展示した。後年知ったことだが、展示はほとんどがレプリカなのだ。それでもその展示方法、つまり編集方法によって、中学生ですら「世界にはいろいろな人がいるのだ。いろいろな暮らしをしているのだ」ということが肌に迫って理解させられた。
その時は時間切れで、全ての展示を見ることができず、私はまたどうやってか(親か親戚に連れて行ってもらったかな?)民族学博物館へ行った。大学生になっても何度も行った。兄弟博物館の千葉・佐倉の「国立歴史民俗博物館」へもひとり、出かけていった。民族学博物館の時間軸が「横」なら歴史民俗博物館は「縦」。日本の古墳時代からの普通の人々の暮らしがそこにはまた、迫力ある展示と解説で再現されていた。
民族学博物館の展示の基礎となったものがそこにあった。それが私が「太陽の塔」の内部を見てみたいと思ったきっかけだった。
師匠がご覧になりたいとおっしゃってたなぁと思いつつ、ネットをさまよっていたとき、旅行代理店から申し込めば、内部を見られるということを知った。1シーズンに数日が設定されているようで、春は間に合わなかった。夏の開催を知り、師匠をお誘いし8月の日曜日に申し込んだ。ランチバイキング付で4300円なら安いと思った。自分でハガキで申し込んだりする手間もないし。
しかし。
あんなに暑い日になるとは思わなかったよー(涙)。申し込んだときはまだ暑くなかったんだ。
「太陽の塔」の中に入れるなんて、思いもしなかった。そもそも、中がどうなっているかなど考えたこともなかった。へぇ、あの中に入れるんだ。何があるんだろう?私は万博の(万博といえば、大阪万博です!)時はまだ幼くて、かろうじて“行った”ことは覚えているものの、その記憶ははなはだしく断片的で、どこに何があったかなどは全く覚えていない。
家で万博の絵本を見たり、シンボルマーク型の貯金箱で遊んだことのほうが印象に強いくらいだ。
その後、何かの記事で「国立民族学博物館」は、万博当時「太陽の塔」の地下に展示されていた民族資料を基に展示がされている、という記述をみつけ、興味を持った。
「国立民族学博物館」は、近畿圏の中学生の例にもれず、遠足で訪れた。同級生たちは、大雨でメインイベントだったエキスポランドに入れずがっかりしていたが、私は博物館が大変気に入った。
当時は最新の機器だった「ビデオテーク」。近未来を思わせるブースで、世界の人々の生活を映したビデオを自由に選択し、待っていれば目の前の画面に映し出される。そのシステムにも、世界の人々の多様性にも目を見張った。
展示にも圧倒された。その頃、博物館というと、どこかで掘り出された土器などがうやうやしくガラスケースに並べられていて、掘り出された場所と推定年代が書かれたプレートが置かれているだけ。なにやらおどろおどろしい雰囲気で、見せてあげるからありがたく見なさい、見る側から勉強しなさい、というものばかり。つまんない場所だった。
ところが民族学博物館の展示は入り口から違っていた。どこかの国で使われているという大きな手回しオルガンがあり、展示ブースへ行くと南の島で使われているのだろう木彫りの舟がどんっと置かれていた。展示されているものの量も半端じゃない。それが目の前の手に届きそうなところで見られる。解説も、それらがどう使われているものなのか、リアルに書かれていたように思う。
世界の人々が今も普通に使われているものが、展示価値があると誰かが決めて、展示した。後年知ったことだが、展示はほとんどがレプリカなのだ。それでもその展示方法、つまり編集方法によって、中学生ですら「世界にはいろいろな人がいるのだ。いろいろな暮らしをしているのだ」ということが肌に迫って理解させられた。
その時は時間切れで、全ての展示を見ることができず、私はまたどうやってか(親か親戚に連れて行ってもらったかな?)民族学博物館へ行った。大学生になっても何度も行った。兄弟博物館の千葉・佐倉の「国立歴史民俗博物館」へもひとり、出かけていった。民族学博物館の時間軸が「横」なら歴史民俗博物館は「縦」。日本の古墳時代からの普通の人々の暮らしがそこにはまた、迫力ある展示と解説で再現されていた。
民族学博物館の展示の基礎となったものがそこにあった。それが私が「太陽の塔」の内部を見てみたいと思ったきっかけだった。
師匠がご覧になりたいとおっしゃってたなぁと思いつつ、ネットをさまよっていたとき、旅行代理店から申し込めば、内部を見られるということを知った。1シーズンに数日が設定されているようで、春は間に合わなかった。夏の開催を知り、師匠をお誘いし8月の日曜日に申し込んだ。ランチバイキング付で4300円なら安いと思った。自分でハガキで申し込んだりする手間もないし。
しかし。
あんなに暑い日になるとは思わなかったよー(涙)。申し込んだときはまだ暑くなかったんだ。
ほとんど日記を書けなかった7月から8月上旬にかけて。
ええ、ほとんど会社にいましたよ。忙しくて忙しくて。でもこの位の忙しさならもちろん、入社以来何度かあったけど、出産以降では初めて。
今までなら家に帰れば寝るだけでよかったのが家事育児があり、出社ギリギリまで寝ていればよかったのが朝6時半に起きて息子の世話をして保育園に連れていかねばならないってことで、状況が全然違う。しんどいよー。
特に朝の数時間は貴重だったと思い知る。
それに、諸事情で実家の母に息子を頼めなくなってしまった。精神衛生上ものすごーく辛かった。朝起きるて熱はないか、いつ保育園から「返品コール」が携帯にかかってくるかとずっと構えてなければならないというのは本当にしんどかった。
いつ呼び出されても何とかなるよう、常に前倒し&私でなくても事情がわかるよう資料を用意しておくというのは、必要以上に時間と手間がかかる。そんなことしている余裕、全然ないのに。
今までいかに母に世話になっていたかが身にしみた。電話一本で呼び出される母には申し訳ないことをしていた。
それだけ切羽詰まってたってことで。私がもし1日でも、半日でも会社に行けなくなったら他の誰かが倒れる、というところまできていたからなぁ。
なんとか山場を越えたものの、数日、体力が元に戻らなかった。トシだなぁ。その後、風邪もひいちゃったし。
いずれにせよ、年齢的にも家庭の状況的にも、子供がいないときとは全然違うんだから、何とか方策を考えないと。
そんなこんなでお盆休みに入ろうか、という前日、起きたら右目の視野が狭くなっていた。びっくりー。
忙しい頃からいつものアレルギー性結膜炎を発症していたのだが、病院に行くヒマもなく、放置していたため、目は真っ赤、目やにだらけ。かゆくてたまらずかくから目頭が痛いし。コンタクトをやめれば少しはマシになるのはわかっていても、裸眼では自分の伸ばした手の先すら見えないど近眼の私が、眼鏡で仕事ができるわけもなく。
慌てて目を洗っても見えが悪い。ちょっとドキッとする。数年前、父が網膜剥離をやった。うちの会社も会社の規模からするとどう考えても多いだろう、という人数が網膜剥離になっている。目を酷使しすぎなんだろう。6月頃に受けた会社の健康診断でも、なんだか視力が落ちていた。最近、飛蚊もやたら多く飛ぶようになってきたし(飛蚊というのは、視野の中を動き回る黒い点のことです)。
仕事も一息ついているので、仕事前に眼科へ。いつものコンタクトレンズを合わせてもらう眼科の先生はどーみても儲け過ぎの食い過ぎでぶくぶく太り、手が震えている。ちゃんと診てもらえるか心配だったため、別の眼科へ。
きちんとレンズの調子や視力も見てもらえた。目は結膜炎だが、父が網膜剥離をやっているってのと、私の近眼が強度であるということから、一度、眼底検査をやっておいた方がいいといわれ、お願いする。
瞳孔を開く目薬を入れて待つこと15分。目の中をカメラで撮影。フラッシュで目の底を撮った。残像がかなりきつい。その後、診察。丁寧にみてもらって「異常なし。ただし1年に1度は眼底検査をした方がいい」と言われる。
網膜剥離は早く発見すればするほど、軽い治療で済む。ほとんど治るから怖い病気ではない。でも完全に網膜がはがれてからだと入院がやっかいだから(完全絶対安静。身動きひとつできなくなる)。父は加齢のこともあって、治ったものの運転中、道路の標識が読めないほど悪いらしい。もうこれ以上良くならないようなのだが、それでも車の運転を続けてる。怖いよ〜。
ほっとして会社に電話を入れると、緊急の打ち合わせがあるようですぐ得意先へ、と指示される。慌てて10分で昼食のおにぎりを摂っていると、今度は奥歯が痛い。
げー。
そういや、これも忙しい時期から何か痛いなぁと思っていたんだ。特に疲れ果てて寝た翌朝。前歯は順調で、次の診察は9月でいいと言われていたから、その時一緒に診てもらおうと思っていたのだが。
お盆の最中に痛みだしたら嫌だよ。詰めモノが割れていたりしたら、何も食べられない。
とりあえずおにぎりを飲み込み、得意先に駆け付けようとして愕然。瞳孔が開きっぱなしになっているらしく、外に出ると日差しがまぶしくて目を開けていられない。すごい。瞳孔を開く薬の威力。1年で一番暑い時期に検査やるんじゃなかった。それに次からは夕方の診察にしてもらおう。
涙を流しながら室内へ駆け込み、なんとか打ち合わせを済ませる。帰る頃には瞳孔を閉じる薬も効いて来たのか、大分マシになっていた。
会社で打ち合わせや仕事を済ませると、よい時間に。ふと思い付いて、いきつけの歯科に電話するとまだ診てもらえるという。
慌てて駆け付ける。主治医に「前歯じゃないんですよ」というと「なんやー」と笑われる。
奥歯の痛みを説明すると「あーあー、つるつるてかてかや。ものすごい噛んでるやろ」「7月はストレスがいろいろあって」と言い訳。
詰め物や歯を微妙に削ってもらい、噛み合わせの調整をしてもらう。ほんのちょっと削っただけなのに、痛みがすっと取れた。「微妙なもんやねんけどな」。部分レントゲンも撮る。写真を見ながら説明してもらうと、やはり圧力が掛かり過ぎて歯を包む筋肉が炎症を起こしているそうだ。
噛み合わせを調整し、炎症止めの飲み薬をもらう。来週またもう一度診てもらうことにして退散。
1日で医者をハシゴしてしまった。とにかく異常を感じたら行けるうちに病院行っておかないと。息子がいつ何時何をやるかわからないからね。
どちらも身体を酷使したゆえの結果。放置しても大丈夫かもしれないけど、不安や不快感を抱えたままになるから、片を付けてしまってよかった。
ホントに身体は大切にしないと、息子が成人するまでもたないよー。
☆
こんな病気話ばっかりじゃなくて、「太陽の塔」の話も書きたいです。すっごく良かった。
さららんは退団しちゃうし、まだ宙組観てないし。あーうー。
ええ、ほとんど会社にいましたよ。忙しくて忙しくて。でもこの位の忙しさならもちろん、入社以来何度かあったけど、出産以降では初めて。
今までなら家に帰れば寝るだけでよかったのが家事育児があり、出社ギリギリまで寝ていればよかったのが朝6時半に起きて息子の世話をして保育園に連れていかねばならないってことで、状況が全然違う。しんどいよー。
特に朝の数時間は貴重だったと思い知る。
それに、諸事情で実家の母に息子を頼めなくなってしまった。精神衛生上ものすごーく辛かった。朝起きるて熱はないか、いつ保育園から「返品コール」が携帯にかかってくるかとずっと構えてなければならないというのは本当にしんどかった。
いつ呼び出されても何とかなるよう、常に前倒し&私でなくても事情がわかるよう資料を用意しておくというのは、必要以上に時間と手間がかかる。そんなことしている余裕、全然ないのに。
今までいかに母に世話になっていたかが身にしみた。電話一本で呼び出される母には申し訳ないことをしていた。
それだけ切羽詰まってたってことで。私がもし1日でも、半日でも会社に行けなくなったら他の誰かが倒れる、というところまできていたからなぁ。
なんとか山場を越えたものの、数日、体力が元に戻らなかった。トシだなぁ。その後、風邪もひいちゃったし。
いずれにせよ、年齢的にも家庭の状況的にも、子供がいないときとは全然違うんだから、何とか方策を考えないと。
そんなこんなでお盆休みに入ろうか、という前日、起きたら右目の視野が狭くなっていた。びっくりー。
忙しい頃からいつものアレルギー性結膜炎を発症していたのだが、病院に行くヒマもなく、放置していたため、目は真っ赤、目やにだらけ。かゆくてたまらずかくから目頭が痛いし。コンタクトをやめれば少しはマシになるのはわかっていても、裸眼では自分の伸ばした手の先すら見えないど近眼の私が、眼鏡で仕事ができるわけもなく。
慌てて目を洗っても見えが悪い。ちょっとドキッとする。数年前、父が網膜剥離をやった。うちの会社も会社の規模からするとどう考えても多いだろう、という人数が網膜剥離になっている。目を酷使しすぎなんだろう。6月頃に受けた会社の健康診断でも、なんだか視力が落ちていた。最近、飛蚊もやたら多く飛ぶようになってきたし(飛蚊というのは、視野の中を動き回る黒い点のことです)。
仕事も一息ついているので、仕事前に眼科へ。いつものコンタクトレンズを合わせてもらう眼科の先生はどーみても儲け過ぎの食い過ぎでぶくぶく太り、手が震えている。ちゃんと診てもらえるか心配だったため、別の眼科へ。
きちんとレンズの調子や視力も見てもらえた。目は結膜炎だが、父が網膜剥離をやっているってのと、私の近眼が強度であるということから、一度、眼底検査をやっておいた方がいいといわれ、お願いする。
瞳孔を開く目薬を入れて待つこと15分。目の中をカメラで撮影。フラッシュで目の底を撮った。残像がかなりきつい。その後、診察。丁寧にみてもらって「異常なし。ただし1年に1度は眼底検査をした方がいい」と言われる。
網膜剥離は早く発見すればするほど、軽い治療で済む。ほとんど治るから怖い病気ではない。でも完全に網膜がはがれてからだと入院がやっかいだから(完全絶対安静。身動きひとつできなくなる)。父は加齢のこともあって、治ったものの運転中、道路の標識が読めないほど悪いらしい。もうこれ以上良くならないようなのだが、それでも車の運転を続けてる。怖いよ〜。
ほっとして会社に電話を入れると、緊急の打ち合わせがあるようですぐ得意先へ、と指示される。慌てて10分で昼食のおにぎりを摂っていると、今度は奥歯が痛い。
げー。
そういや、これも忙しい時期から何か痛いなぁと思っていたんだ。特に疲れ果てて寝た翌朝。前歯は順調で、次の診察は9月でいいと言われていたから、その時一緒に診てもらおうと思っていたのだが。
お盆の最中に痛みだしたら嫌だよ。詰めモノが割れていたりしたら、何も食べられない。
とりあえずおにぎりを飲み込み、得意先に駆け付けようとして愕然。瞳孔が開きっぱなしになっているらしく、外に出ると日差しがまぶしくて目を開けていられない。すごい。瞳孔を開く薬の威力。1年で一番暑い時期に検査やるんじゃなかった。それに次からは夕方の診察にしてもらおう。
涙を流しながら室内へ駆け込み、なんとか打ち合わせを済ませる。帰る頃には瞳孔を閉じる薬も効いて来たのか、大分マシになっていた。
会社で打ち合わせや仕事を済ませると、よい時間に。ふと思い付いて、いきつけの歯科に電話するとまだ診てもらえるという。
慌てて駆け付ける。主治医に「前歯じゃないんですよ」というと「なんやー」と笑われる。
奥歯の痛みを説明すると「あーあー、つるつるてかてかや。ものすごい噛んでるやろ」「7月はストレスがいろいろあって」と言い訳。
詰め物や歯を微妙に削ってもらい、噛み合わせの調整をしてもらう。ほんのちょっと削っただけなのに、痛みがすっと取れた。「微妙なもんやねんけどな」。部分レントゲンも撮る。写真を見ながら説明してもらうと、やはり圧力が掛かり過ぎて歯を包む筋肉が炎症を起こしているそうだ。
噛み合わせを調整し、炎症止めの飲み薬をもらう。来週またもう一度診てもらうことにして退散。
1日で医者をハシゴしてしまった。とにかく異常を感じたら行けるうちに病院行っておかないと。息子がいつ何時何をやるかわからないからね。
どちらも身体を酷使したゆえの結果。放置しても大丈夫かもしれないけど、不安や不快感を抱えたままになるから、片を付けてしまってよかった。
ホントに身体は大切にしないと、息子が成人するまでもたないよー。
☆
こんな病気話ばっかりじゃなくて、「太陽の塔」の話も書きたいです。すっごく良かった。
さららんは退団しちゃうし、まだ宙組観てないし。あーうー。
1年前の今日が、博多座星組公演の初日だった。
あの人が退団を決意した日。
私たちはそれを知らず、初日を迎えた日。役柄とか出番とか立ち位置とかを、いつものようにハラハラしながら気にしていたはず。
あの人はどんな思いでこの日を迎えたんだろうなぁ。でも実はこの日よりも決意する数日前の葛藤の方がしんどかっただろうなぁ。
私は博多座は1公演しか観ていない。仕事も忙しかったし、息子を預けて出かけるにはそれが限界だった。スカステで間もなく放送されるんだなぁ。
私たちは退団の決意を知らずに舞台を観ていたけど、あの人はその私たちを舞台の上から観ていたのだ。入り出にやってくるファンの姿も見ていたのだ。複雑だっただろうなぁ。
もし1年前の今日、いや昨日に戻って、あの人に直接話ができるとしたら、私は何を言うだろう?このところ、そんなことを考えていたけれど、よく、わからない。
ただわかるのは、今でも私は寂しくてたまらない、ということだけ。
☆
でもでもっ!オギー博多座の初日、師匠、いいなぁ!!!私も行きたい!!オギーの新作!?だもん!!
あの人が退団を決意した日。
私たちはそれを知らず、初日を迎えた日。役柄とか出番とか立ち位置とかを、いつものようにハラハラしながら気にしていたはず。
あの人はどんな思いでこの日を迎えたんだろうなぁ。でも実はこの日よりも決意する数日前の葛藤の方がしんどかっただろうなぁ。
私は博多座は1公演しか観ていない。仕事も忙しかったし、息子を預けて出かけるにはそれが限界だった。スカステで間もなく放送されるんだなぁ。
私たちは退団の決意を知らずに舞台を観ていたけど、あの人はその私たちを舞台の上から観ていたのだ。入り出にやってくるファンの姿も見ていたのだ。複雑だっただろうなぁ。
もし1年前の今日、いや昨日に戻って、あの人に直接話ができるとしたら、私は何を言うだろう?このところ、そんなことを考えていたけれど、よく、わからない。
ただわかるのは、今でも私は寂しくてたまらない、ということだけ。
☆
でもでもっ!オギー博多座の初日、師匠、いいなぁ!!!私も行きたい!!オギーの新作!?だもん!!