やっぱり夏ですから。
息子を水遊びさせてやりたいなぁと思うわけですよ。夜更かしして花火なども見せてやりたいなぁと思うわけですよ。
そうやって遊ばせ過ぎた土曜日の翌日。朝からきっちり発熱する息子。
午前中は38℃台で、いつも通り跳ねていた息子も、39℃を越えるとぐったり。ぐずってぐずって抱っこの虫になってしまった。まぁ、これが普通。この前の肺炎の時の方がおかしかった。39℃を越えても跳ねてたんだもの。安心といえばこっちの方が安心。
でも抱っこしてイオン飲料を飲ませた途端、ぶおーっと噴水のように戻してしまって、親子ともどもGEROまみれ。ぐすんぐすん。
熱も39.7℃まで上がってしまって、さすがに病院に連れ込もうかと思ったけど、戻して楽になったのか寝てしまうし、その後、氷(アイスボックスってヤツ?味付きの氷)をパクパク食べて、また寝ている間にたっぷり汗かいたら夜には39℃まで下がり、夕食もわずかながら食べて。
夜はイオン飲料を飲みながらもぐっすり寝てくれたので、医者行きは翌朝に。その翌朝も36.9℃までいきなり下がっており、元気に朝ご飯。病院に行ってもご機嫌で他の人に愛想をふりまくり、待ち合い室のアイドル状態。
病院はいつもの開業医。「前はマイコプラズマ肺炎でした」と報告すると「そうでしたか」と。一応、この先生もマイコプラズマに効く抗生剤を出してくれたのだそうだけど「苦くない方がいいと思って」と薬をセレクトしたらしい。それが裏目に出てしまったのね。うちのコは薬、大丈夫です。
肺炎のぶり返しも心配ないということで、水薬だけ。お薬大好き息子は上機嫌で薬をもらって帰った。
はぁ。疲れちゃったんだね。母が未熟でしたよ。ちゃんと水遊びの後、着替えさせておけば。花火の行き帰り、大人しくさせておけば。
会社休まずに済んだのになぁ。仕事、凶悪な程忙しいってのに。
自業自得です。
息子を水遊びさせてやりたいなぁと思うわけですよ。夜更かしして花火なども見せてやりたいなぁと思うわけですよ。
そうやって遊ばせ過ぎた土曜日の翌日。朝からきっちり発熱する息子。
午前中は38℃台で、いつも通り跳ねていた息子も、39℃を越えるとぐったり。ぐずってぐずって抱っこの虫になってしまった。まぁ、これが普通。この前の肺炎の時の方がおかしかった。39℃を越えても跳ねてたんだもの。安心といえばこっちの方が安心。
でも抱っこしてイオン飲料を飲ませた途端、ぶおーっと噴水のように戻してしまって、親子ともどもGEROまみれ。ぐすんぐすん。
熱も39.7℃まで上がってしまって、さすがに病院に連れ込もうかと思ったけど、戻して楽になったのか寝てしまうし、その後、氷(アイスボックスってヤツ?味付きの氷)をパクパク食べて、また寝ている間にたっぷり汗かいたら夜には39℃まで下がり、夕食もわずかながら食べて。
夜はイオン飲料を飲みながらもぐっすり寝てくれたので、医者行きは翌朝に。その翌朝も36.9℃までいきなり下がっており、元気に朝ご飯。病院に行ってもご機嫌で他の人に愛想をふりまくり、待ち合い室のアイドル状態。
病院はいつもの開業医。「前はマイコプラズマ肺炎でした」と報告すると「そうでしたか」と。一応、この先生もマイコプラズマに効く抗生剤を出してくれたのだそうだけど「苦くない方がいいと思って」と薬をセレクトしたらしい。それが裏目に出てしまったのね。うちのコは薬、大丈夫です。
肺炎のぶり返しも心配ないということで、水薬だけ。お薬大好き息子は上機嫌で薬をもらって帰った。
はぁ。疲れちゃったんだね。母が未熟でしたよ。ちゃんと水遊びの後、着替えさせておけば。花火の行き帰り、大人しくさせておけば。
会社休まずに済んだのになぁ。仕事、凶悪な程忙しいってのに。
自業自得です。
ふーちゃんて一体何だったんだ。
この情報を聞いて、最初に思ったことはこれだった。私はてっきりオサちゃんと添い遂げると思っていたのに。オサちゃんの退団を待たず、先に卒業するという。タニちゃんとかと同期らしいから、まだ学年的にもいけるんだろうに。
まぁ、でも、なぁ。わからんでもない、というのが正直なところ。
私はマラケシュの感想でも書いたけど、ふーちゃんがトップ娘役として出演した作品というのは、ほとんど観ていない。「マラケシュ」を観て「これって誰がトップ娘役なんだろう?」と首を傾げた。でも信頼できる人たちが「これまでの作品の中では、ふーちゃんはマシ」と口を揃えているのを聞くと、今までの作品も・・・だったのか、と思ってしまった。
オサちゃんのお嫁さん、というと私が連想するのはリカちゃんのことだ。
オサちゃんもリカちゃんも、トップ男役としてふさわしいと周囲から充分認められた上での就任だった。そして、お嫁さんも本命と思われていた人(リカちゃんは檀ちゃんorみえちゃん、オサちゃんはあすかちゃん)に対する抵抗もすさまじく、ファンの力がその就任を阻止する何分の一かの力になったのでは?、という点も同じ。そして、やってきた本当のお嫁さんに対する不満のすさまじさも。もともとの持ち味もナルシスト的スタンスが似合うというところが似ていると思う。
そこからは道が分かれ、リカちゃんは本人の不調もあったし(大海賊、ガイズ大劇ではほとんど声が出てなかった)どう見てもえみくらちゃんとは合わなかった。お互いに気の毒なことだ。まぁ、檀ちゃんでも合わんかっただろうなぁ、とは思う。そしてリカちゃんはえみくらちゃんを残し退団した。リカちゃんの週刊朝日だったかの林真理子氏との対談を読んだが、退団してからの方が本人のやりたいことがやれているし、性格にも合っているようだ。
オサちゃんは今度で3人目のお嫁さんを迎えるという。オサちゃんはトップに就任してからも安定した力を発揮しているし、宝塚トップ男役に似合う人で本人も満足そうだからいいんじゃないか。長期政権でも構わない。新しいお嫁さんと存分にやりあって欲しい。
で、ふーちゃん。
「何だったんだ」と思うのは、「トップ娘役として何だったんだ」ということ、だ。
トップ娘役が退団するときはサヨナラショーがある。その時、トップ時代を中心に作品を振り返ることになる。ふーちゃんの場合、その時に”これがふづき美世です”とくっきりと主張できるものがあるのだろうか?と疑問に思ってしまったのだ。まぁ、全部観てない私が言うんでいい加減なモンですが。
トップ、と名がつく人に必須の力は、華であり存在感だろう。それよりももっと必要なものは、いつだったか緑野こあら師匠も書いておられたが「力技」だ。どーしよーもない作品、人物を自分の力でもって何とかしてしまうだけの舞台ぢから、だ。その人だからこそ見せてもらえたオーラであり、パワーだ。
えみくらちゃん、あれだけリカちゃんと合わない合わないと言われ、若かったにも関わらず力技をもった人だったと思う。10代の少女、を作り込まずに自然に見せることができた。“これが映美くららです”という主張があった。つくづく相手役が違っていたらもっとプラスアルファの評価をもらえた人だったろうと思う。私の好みではないにしても。
ふーちゃんの場合、“これがふづき美世です”を一番感じさせてくれたのは「エイジオブイノセンス」だった。品と憂いを秘めた未亡人。あの姿をトップ娘役にふさわしいとした劇団の判断も無理からぬことだと思う。だが、残念ながらその後、トップ娘役でそれが、ない。何が原因で上手く行かなかったのだろう。劇場のスケールだろうか。作品との相性だろうか。
未亡人役者として「マラケシュ」のオリガは理想のキャラクターではないか、とあらすじを読んだ時は思った。なのに残酷な当て書き演出家・オギーはそういう存在とちょっとずれたところに持って行ってしまった。
花組のトップ娘役は実はオサちゃんだったのか?などとまで言われ始めたら、ふーちゃんは退団することになってしまった。
無理からぬことよ、と思いながら、ふーちゃんにはもうひと頑張りできないか?と思ってしまう。まだあと2作品ある。博多座マラケシュ(きっと別作品だもん)とエイジを書いてくれた景子先生の退団公演だ。
ふーちゃん、頑張れ。ここで何かを残さないと女がすたる。トップ娘役になりたくてなりたくてたまらなかったのに去って行った大勢の有望娘役さんたちに意地を見せて欲しい。“ふづき美世といえばこれ!”をぜひともモノにして欲しい。
でなければもったいない。ふーちゃん自身も、トップ娘役をやっていた時間も。頑張れ、ふーちゃん。
この情報を聞いて、最初に思ったことはこれだった。私はてっきりオサちゃんと添い遂げると思っていたのに。オサちゃんの退団を待たず、先に卒業するという。タニちゃんとかと同期らしいから、まだ学年的にもいけるんだろうに。
まぁ、でも、なぁ。わからんでもない、というのが正直なところ。
私はマラケシュの感想でも書いたけど、ふーちゃんがトップ娘役として出演した作品というのは、ほとんど観ていない。「マラケシュ」を観て「これって誰がトップ娘役なんだろう?」と首を傾げた。でも信頼できる人たちが「これまでの作品の中では、ふーちゃんはマシ」と口を揃えているのを聞くと、今までの作品も・・・だったのか、と思ってしまった。
オサちゃんのお嫁さん、というと私が連想するのはリカちゃんのことだ。
オサちゃんもリカちゃんも、トップ男役としてふさわしいと周囲から充分認められた上での就任だった。そして、お嫁さんも本命と思われていた人(リカちゃんは檀ちゃんorみえちゃん、オサちゃんはあすかちゃん)に対する抵抗もすさまじく、ファンの力がその就任を阻止する何分の一かの力になったのでは?、という点も同じ。そして、やってきた本当のお嫁さんに対する不満のすさまじさも。もともとの持ち味もナルシスト的スタンスが似合うというところが似ていると思う。
そこからは道が分かれ、リカちゃんは本人の不調もあったし(大海賊、ガイズ大劇ではほとんど声が出てなかった)どう見てもえみくらちゃんとは合わなかった。お互いに気の毒なことだ。まぁ、檀ちゃんでも合わんかっただろうなぁ、とは思う。そしてリカちゃんはえみくらちゃんを残し退団した。リカちゃんの週刊朝日だったかの林真理子氏との対談を読んだが、退団してからの方が本人のやりたいことがやれているし、性格にも合っているようだ。
オサちゃんは今度で3人目のお嫁さんを迎えるという。オサちゃんはトップに就任してからも安定した力を発揮しているし、宝塚トップ男役に似合う人で本人も満足そうだからいいんじゃないか。長期政権でも構わない。新しいお嫁さんと存分にやりあって欲しい。
で、ふーちゃん。
「何だったんだ」と思うのは、「トップ娘役として何だったんだ」ということ、だ。
トップ娘役が退団するときはサヨナラショーがある。その時、トップ時代を中心に作品を振り返ることになる。ふーちゃんの場合、その時に”これがふづき美世です”とくっきりと主張できるものがあるのだろうか?と疑問に思ってしまったのだ。まぁ、全部観てない私が言うんでいい加減なモンですが。
トップ、と名がつく人に必須の力は、華であり存在感だろう。それよりももっと必要なものは、いつだったか緑野こあら師匠も書いておられたが「力技」だ。どーしよーもない作品、人物を自分の力でもって何とかしてしまうだけの舞台ぢから、だ。その人だからこそ見せてもらえたオーラであり、パワーだ。
えみくらちゃん、あれだけリカちゃんと合わない合わないと言われ、若かったにも関わらず力技をもった人だったと思う。10代の少女、を作り込まずに自然に見せることができた。“これが映美くららです”という主張があった。つくづく相手役が違っていたらもっとプラスアルファの評価をもらえた人だったろうと思う。私の好みではないにしても。
ふーちゃんの場合、“これがふづき美世です”を一番感じさせてくれたのは「エイジオブイノセンス」だった。品と憂いを秘めた未亡人。あの姿をトップ娘役にふさわしいとした劇団の判断も無理からぬことだと思う。だが、残念ながらその後、トップ娘役でそれが、ない。何が原因で上手く行かなかったのだろう。劇場のスケールだろうか。作品との相性だろうか。
未亡人役者として「マラケシュ」のオリガは理想のキャラクターではないか、とあらすじを読んだ時は思った。なのに残酷な当て書き演出家・オギーはそういう存在とちょっとずれたところに持って行ってしまった。
花組のトップ娘役は実はオサちゃんだったのか?などとまで言われ始めたら、ふーちゃんは退団することになってしまった。
無理からぬことよ、と思いながら、ふーちゃんにはもうひと頑張りできないか?と思ってしまう。まだあと2作品ある。博多座マラケシュ(きっと別作品だもん)とエイジを書いてくれた景子先生の退団公演だ。
ふーちゃん、頑張れ。ここで何かを残さないと女がすたる。トップ娘役になりたくてなりたくてたまらなかったのに去って行った大勢の有望娘役さんたちに意地を見せて欲しい。“ふづき美世といえばこれ!”をぜひともモノにして欲しい。
でなければもったいない。ふーちゃん自身も、トップ娘役をやっていた時間も。頑張れ、ふーちゃん。
最近は、全く劇場に足を運んでおりません。大劇場もバウも梅芸も。
まずこの暑さが原因。思い返してみれば、宝塚を見始めた5年前(4年か?もうどっちでもいいや)、「LUNA/BMB」で「おもしろーい」と味をしめ、その次の「あさきゆめみし」も続けて観劇したにも関わらず、その後気候が夏に向かうに従って「このクソ暑いのにあんな遠くまで(そんなに遠くないです)いけない〜」とヘタレて、「凱旋門」「望郷」を観ませんでした。
加えて、今は息子連れ。とても体力気力がありません。仕事も忙しく、毎日がんがん働いて残業して帰って家事までしてたら、週末でかける気になんてなりませんて。
それでもご贔屓がいてくれれば、劇場に足を運んだのでしょうが。実際、その後、まみファンと自覚してからは真夏でも真冬でもいそいそ劇場に行ってたんですから。やはりご贔屓の力というのはすごいもんだと思います。
☆
日記を書かない(書けない)もう一つの理由は、「寝ちまってる」からです。
肺炎騒ぎ以降、息子に添い寝して寝かせつけて、そのまま朝まで、というパターンが多い。夜中に発熱でぐずって起きる分、早く寝るしか体力を保持する方法がなかったから。
これまではコンタクトレンズもしたまま、メイクもしたままだったりしたので、「まずい!」と飛び起きるきっかけになっていたのですが、息子を寝かせつける前にコンタクトを外し、メイクもおとしてしまうようになったら歯止めがきかず、朝までぐーぐー、です。息子は私が先に寝てしまったら、諦めて寝ているようです。お風呂は朝起きてからシャワーで済ませるし。どうせ夜中に汗だくになる息子にシャワー浴びさせないといけないし。
☆
知り合いの保育士さんに「2歳になって大変なんです」と愚痴を言うと「3歳になるともっと大変ですよ」とにっこり。「やりたいことに身体がついて行くようになりますから」って。
きゃー。私はモノにはさほど執着しないタイプなので、汐美退団関連ビデオも床に積んだまま。よく考えると真琴関連も同じように積んだままになってるような気がする。
「危ないですねぇ。あっと言う間にテープひっぱりだされますよ」って。「触って欲しくないものは上へ上へ」。
モノには執着しないタイプだけど、観たいものが観られなくなるのはイヤなの!!
というわけで、アスクルの個人向けサイトでよさげなDVDケース見つけたので、通販で買ってCDやDVDから収納していこうと思っていた矢先に息子が肺炎で。相変わらずグッズが床に置かれたままになっています。
どーしよー。もー、暑くて整理する気にもなれなくなってきた。
こうやって夏は過ぎていくのかも。私は夏生まれなので夏は大好きだったんだけど、都会の夏はちょっと暑すぎる気がします。
ところで他の方々はどうやってグッズを整理しておられるのでしょう。無限に(近い勢いで)増えていく宝塚関連グッズを。
☆
ああ、でも皆さんとおしゃべりしたいな。思いっきりしゃべりあかしたい。いろんなことを。お盆に皆さん集まられるようなのでうらやましいです。
まずこの暑さが原因。思い返してみれば、宝塚を見始めた5年前(4年か?もうどっちでもいいや)、「LUNA/BMB」で「おもしろーい」と味をしめ、その次の「あさきゆめみし」も続けて観劇したにも関わらず、その後気候が夏に向かうに従って「このクソ暑いのにあんな遠くまで(そんなに遠くないです)いけない〜」とヘタレて、「凱旋門」「望郷」を観ませんでした。
加えて、今は息子連れ。とても体力気力がありません。仕事も忙しく、毎日がんがん働いて残業して帰って家事までしてたら、週末でかける気になんてなりませんて。
それでもご贔屓がいてくれれば、劇場に足を運んだのでしょうが。実際、その後、まみファンと自覚してからは真夏でも真冬でもいそいそ劇場に行ってたんですから。やはりご贔屓の力というのはすごいもんだと思います。
☆
日記を書かない(書けない)もう一つの理由は、「寝ちまってる」からです。
肺炎騒ぎ以降、息子に添い寝して寝かせつけて、そのまま朝まで、というパターンが多い。夜中に発熱でぐずって起きる分、早く寝るしか体力を保持する方法がなかったから。
これまではコンタクトレンズもしたまま、メイクもしたままだったりしたので、「まずい!」と飛び起きるきっかけになっていたのですが、息子を寝かせつける前にコンタクトを外し、メイクもおとしてしまうようになったら歯止めがきかず、朝までぐーぐー、です。息子は私が先に寝てしまったら、諦めて寝ているようです。お風呂は朝起きてからシャワーで済ませるし。どうせ夜中に汗だくになる息子にシャワー浴びさせないといけないし。
☆
知り合いの保育士さんに「2歳になって大変なんです」と愚痴を言うと「3歳になるともっと大変ですよ」とにっこり。「やりたいことに身体がついて行くようになりますから」って。
きゃー。私はモノにはさほど執着しないタイプなので、汐美退団関連ビデオも床に積んだまま。よく考えると真琴関連も同じように積んだままになってるような気がする。
「危ないですねぇ。あっと言う間にテープひっぱりだされますよ」って。「触って欲しくないものは上へ上へ」。
モノには執着しないタイプだけど、観たいものが観られなくなるのはイヤなの!!
というわけで、アスクルの個人向けサイトでよさげなDVDケース見つけたので、通販で買ってCDやDVDから収納していこうと思っていた矢先に息子が肺炎で。相変わらずグッズが床に置かれたままになっています。
どーしよー。もー、暑くて整理する気にもなれなくなってきた。
こうやって夏は過ぎていくのかも。私は夏生まれなので夏は大好きだったんだけど、都会の夏はちょっと暑すぎる気がします。
ところで他の方々はどうやってグッズを整理しておられるのでしょう。無限に(近い勢いで)増えていく宝塚関連グッズを。
☆
ああ、でも皆さんとおしゃべりしたいな。思いっきりしゃべりあかしたい。いろんなことを。お盆に皆さん集まられるようなのでうらやましいです。
幼なじみで心中はやっぱりアカンやろ
2005年7月9日 宝塚「長崎しぐれ坂」は結局2回しか観なかった。東宝も行く予定はないので大劇楽で見おさめ。
1回目に観たときから、人によっては気づかなかったという「卯之助、袖の下から小船を指す」というしぐさも私は気づいていたし、そもそも植田先生の作品だから、観る側が納得しようがどうだろうが、むなしい作品よ、とストーリーには諦めがついていた。
楽を観たときも、「はー、へー、ほー」ってなモンで、あまり感情を入れず見ていた。だってもうこれしか観ないのに、自分の中で納得っちゅーか昇華させる時間もないし、私は檀ちゃんの見送りのほうにエネルギー使いたかったし。
でも、kineさんのわたるくんお茶会のご報告を読んでひっかかっていたことがあった。あのラストシーン、イシ&わたるの愛の小船(@緑野こあら師匠)だが、その後、卯之助は死ぬ・・・らしい。あのまま船でイシちゃんと流されて沈んでいくっつーこってすな。
えええーーーっ!?
わたるくんがお茶会でそのような発言をしたらしく、私はkineさんに確かめてしまったよ。わたるくんの独自解釈なのか、植田先生の意図なのかはよくわかなんいけど。
ちょっと待ってよ。
わたるくんがとりあえず船に飛び乗って岸から船を離したのは、これ以上銃弾を浴びないため、追っ手を避けるため、伊佐を介抱するためでしょ?結果、伊佐が死んでしまったのはまぁ、撃ったしぃちゃんの腕がよかったっつーわけで。
なんで卯之助まで一緒に死ななきゃなんないのよ。場所は長崎の湾。奥深くに入り組んだ細い入り江(だったはず)。江戸まであの小船で行けなんて言わないよ。湾を出るだけでも大変だよ。夜の闇にまぎれてどこかの岸に流れ着き、そっと船を下りて伊佐の亡骸を埋め、髪の毛のひと房でも切り取って、それを懐に江戸へ。「お前さんがあれほど行きたがってた江戸だぜ」なんていいながら、縁の地にそっと撒いてやる、自分は一生その思い出と傷を背負っていきていく・・・ってのが男の美学ってもんじゃないのー!?そしてさらに年月は流れ、囲われ者から立場を変えたおしまとどこかで邂逅し、あの時のことを振り返る、そして自分たちの生きてきた道のむなしさを思う。こうじゃないのー!?こっちのほうがはるかに私は余韻に浸れる。
なのに、心中。なんで、心中。
一緒に死ねば観客は最後に力づくで納得させられる、と思うんでしょーか。
私はこのラストの結果で、スルーしようと思っていたストーリーへの疑問が一気に噴出してしまったよ。
宝塚でヘンな話はいっぱいあるけど、やっぱりなぁ。ラスト、幼馴染しかも男同士で船の中で心中する話ってのはかなりヘンな部類に入ると思う。深い溜息をついてしまうよ。
そんなことを考えていたら、星東宝、初日を迎えていたんですね。はぁ。檀ちゃん、いよいよ最後だ。
しかし。
「兄弟心中@血と砂」は許せてしまうってのが、あの、その、それがファンの甘さっちゅうか、酔ってるところなんでしょうか。こそこそ。
1回目に観たときから、人によっては気づかなかったという「卯之助、袖の下から小船を指す」というしぐさも私は気づいていたし、そもそも植田先生の作品だから、観る側が納得しようがどうだろうが、むなしい作品よ、とストーリーには諦めがついていた。
楽を観たときも、「はー、へー、ほー」ってなモンで、あまり感情を入れず見ていた。だってもうこれしか観ないのに、自分の中で納得っちゅーか昇華させる時間もないし、私は檀ちゃんの見送りのほうにエネルギー使いたかったし。
でも、kineさんのわたるくんお茶会のご報告を読んでひっかかっていたことがあった。あのラストシーン、イシ&わたるの愛の小船(@緑野こあら師匠)だが、その後、卯之助は死ぬ・・・らしい。あのまま船でイシちゃんと流されて沈んでいくっつーこってすな。
えええーーーっ!?
わたるくんがお茶会でそのような発言をしたらしく、私はkineさんに確かめてしまったよ。わたるくんの独自解釈なのか、植田先生の意図なのかはよくわかなんいけど。
ちょっと待ってよ。
わたるくんがとりあえず船に飛び乗って岸から船を離したのは、これ以上銃弾を浴びないため、追っ手を避けるため、伊佐を介抱するためでしょ?結果、伊佐が死んでしまったのはまぁ、撃ったしぃちゃんの腕がよかったっつーわけで。
なんで卯之助まで一緒に死ななきゃなんないのよ。場所は長崎の湾。奥深くに入り組んだ細い入り江(だったはず)。江戸まであの小船で行けなんて言わないよ。湾を出るだけでも大変だよ。夜の闇にまぎれてどこかの岸に流れ着き、そっと船を下りて伊佐の亡骸を埋め、髪の毛のひと房でも切り取って、それを懐に江戸へ。「お前さんがあれほど行きたがってた江戸だぜ」なんていいながら、縁の地にそっと撒いてやる、自分は一生その思い出と傷を背負っていきていく・・・ってのが男の美学ってもんじゃないのー!?そしてさらに年月は流れ、囲われ者から立場を変えたおしまとどこかで邂逅し、あの時のことを振り返る、そして自分たちの生きてきた道のむなしさを思う。こうじゃないのー!?こっちのほうがはるかに私は余韻に浸れる。
なのに、心中。なんで、心中。
一緒に死ねば観客は最後に力づくで納得させられる、と思うんでしょーか。
私はこのラストの結果で、スルーしようと思っていたストーリーへの疑問が一気に噴出してしまったよ。
宝塚でヘンな話はいっぱいあるけど、やっぱりなぁ。ラスト、幼馴染しかも男同士で船の中で心中する話ってのはかなりヘンな部類に入ると思う。深い溜息をついてしまうよ。
そんなことを考えていたら、星東宝、初日を迎えていたんですね。はぁ。檀ちゃん、いよいよ最後だ。
しかし。
「兄弟心中@血と砂」は許せてしまうってのが、あの、その、それがファンの甘さっちゅうか、酔ってるところなんでしょうか。こそこそ。
マイコプラズマ肺炎 その2
2005年7月9日 育児さらに翌日も、熱はすっかり下がっていっており、次に病院に行くとしても月曜日でいいかな、ということになった。
土日は2日とも終日雨で、外出もほとんどできないまま家でのんびり。息子は外へ行きたいようだったが、家にいるのも好きな子なので、お外お外とぐずることもなく、大人しく本を読んだりDVDを観たり。息子に見せるために「でこぼこフレンズ」や「アンパンマン」のソフトを何本か買ったが、自分でも見たかったため、「となりとトトロ」のソフトも買った。あれってもう10数年前の作品なんだねぇ。今見てもまったく遜色ないからすごい。
月曜日に再度病院へ。喉が少し赤い程度でまったく問題ない、保育園も行ってよし、ただし水遊びは3日ほど控えて、薬はもう少し継続して飲んでください、ということになり、これで一応、今回の病気は完治かな、ということになった。
保育園仲間のお母さんや同僚に聞くと、子供が肺炎で入院というのは結構あるらしい。いろいろ調べるとマイコプラズマは肺炎の中でも軽いものらしく、予後も心配ない、という。事実、息子はすっかり元気で保育園に通っており、お友達が水遊びしているのがうらやましくてたまらないようだ。
マイコプラズマはそのヘンにいる菌(実際はウイルスとの中間なものらしい)で、身体が弱った時に感染するらしい。それと指に菌がついていると、鼻をほじる指で鼻の粘膜に菌が一直線、で感染する場合もあるとか。息子、最近鼻ほじってるもんなぁ。がっくし。
夜、息子がすやすやと寝ているのを見るとほっとする。意味もなく額に手を当てひんやりしているのを確かめたりする。あの時は本当に熱かった。
息子の肺炎騒ぎがおさまって、気がつくと6月26日を過ぎていた。あの日から半年。いつの間にか過ごしていた。そうか、もう夏だな。汐美さん、どうしてるんだろうな、とやっとゆっくり半年前のことを思えるようになった。
土日は2日とも終日雨で、外出もほとんどできないまま家でのんびり。息子は外へ行きたいようだったが、家にいるのも好きな子なので、お外お外とぐずることもなく、大人しく本を読んだりDVDを観たり。息子に見せるために「でこぼこフレンズ」や「アンパンマン」のソフトを何本か買ったが、自分でも見たかったため、「となりとトトロ」のソフトも買った。あれってもう10数年前の作品なんだねぇ。今見てもまったく遜色ないからすごい。
月曜日に再度病院へ。喉が少し赤い程度でまったく問題ない、保育園も行ってよし、ただし水遊びは3日ほど控えて、薬はもう少し継続して飲んでください、ということになり、これで一応、今回の病気は完治かな、ということになった。
保育園仲間のお母さんや同僚に聞くと、子供が肺炎で入院というのは結構あるらしい。いろいろ調べるとマイコプラズマは肺炎の中でも軽いものらしく、予後も心配ない、という。事実、息子はすっかり元気で保育園に通っており、お友達が水遊びしているのがうらやましくてたまらないようだ。
マイコプラズマはそのヘンにいる菌(実際はウイルスとの中間なものらしい)で、身体が弱った時に感染するらしい。それと指に菌がついていると、鼻をほじる指で鼻の粘膜に菌が一直線、で感染する場合もあるとか。息子、最近鼻ほじってるもんなぁ。がっくし。
夜、息子がすやすやと寝ているのを見るとほっとする。意味もなく額に手を当てひんやりしているのを確かめたりする。あの時は本当に熱かった。
息子の肺炎騒ぎがおさまって、気がつくと6月26日を過ぎていた。あの日から半年。いつの間にか過ごしていた。そうか、もう夏だな。汐美さん、どうしてるんだろうな、とやっとゆっくり半年前のことを思えるようになった。
マイコプラズマ肺炎 その1
2005年7月9日 育児檀ちゃんサヨナラディの日記を書き上げてほっとしていた翌朝のこと、息子が発熱した。朝っぱらから38.5度もあり、ありゃりゃ、という感じ。あと一週間早ければ、檀ちゃんのお見送りができなかったよ、と安堵しつつ、いつもお世話になっている開業医に連れて行く。
インフルエンザ流行時とは違って、落ち着いている小児科。すぐ診てもらえた。夏風邪に加えて、2日前に受けた予防接種(3種混合の追種)の副反応がプラスされ高い熱が出ているのでしょう、という診断。熱さましと喉のお薬をいただく。
土日ずっと高い熱が続く。いつもの発熱と違っていたのは、39℃を超えても息子は元気だったこと。普通、39℃を超えると機嫌がすこぶる悪くなり、ごろごろ横になっていることが多い。そうなると座薬を使ってやらなければ寝ることもできない。
だが今回は食欲はあまりなかったけど、いつもどおり録画しておいた「おかさんといっしょ」を見たり、粘土遊びをしたりとご機嫌はよかった。ベビー用イオン飲料はごくごく飲んでいたので、水分補給も心配なかったし。夜中も途中、起きて「お水」とイオン飲料をせがむ程度で、よく寝ていた。
もうひとつおかしかったのは、あまり汗をかかなかったこと。その数日前から6月というのに真夏のような気候が続いていて、夜、パジャマが絞れるほど汗をかいていた。それをかかなくなっていた。熱が高いせいかな、でも熱があるならなおさら、汗をかいて熱を冷まそうとするのではないかな、と気にはなっていた。
月曜日になっても熱は下がらず。再び朝から小児科に連れて行く。「まだ熱が下がりませんか」と喉を診てもらうがあまり腫れていないという。「レントゲンを撮りましょう」。肺炎を疑っているらしい。だが写真の肺はキレイ。「熱が下がらないので、マイコプラズマに感染していることが考えられます」「マイコプラズマに効く抗生剤を出します」といわれた。
本当にマイコプラズマであるかどうかは、痰を培養してみなければわからないが、こんな小さな子では痰を取るだけでも大変、培養に出して結果が返ってくる数日の間に、薬が効いて直ってくるでしょう、ということだった。
息子は相変わらず元気。先生にも上機嫌でバイバイし、「39℃もありますか?」といわれる。
月曜日の昼間は少し熱は下がったのだけど、夕方から夜はまたがーっと熱が上がってしまう。特に夜中の2時3時にぐずって私に擦り寄ってくる体は火の玉のように熱い。額も首筋も、脚も手も。その前の12時頃にたっぷり汗をかいて熱が下がったかな、と思うのにその後またあがってしまうのだ
食事は朝昼はほとんど摂らず。アイスクリームをおやつに食べ、夜は私の膝で私の食事をつまみ食い、といったところ。暑い時期なので、汗は一応かいているようで、洗えない頭ががどんどん臭くなっていく。身体だけはさっとシャワーしていた。お水=ベビーイオン飲料はがんがん飲むので、空になったペットボトルがたまっていく。
火曜日も同じような調子。昼間は37℃台で食欲はないものの、ご機嫌で遊んで水分とっている。ところが夜中にまたあがる。いくらなんでもいつもの発熱と違う。おかしい、と思うようになった。マイコプラズマに効くはずの抗生剤を飲んでいるのに熱が下がらない。何か重篤な病気が隠れているのではないかと気になりだした。不安でたまらなくなる。
実は気になっていたことがあった。昨年秋頃に発熱し救急に連れていったところ、炎症反応を見るための血液検査をした。その際、炎症反応を示すのとは別のある血液の数値が異常に高かったのだ。通常の10倍以上、だった(白血球ではありません)。その時は熱が下がってから再度血液検査をしたが、やはり数値は高いまま。そんな子もいる、特に心配はない、半年位たってからまた検査を、といわれていた。
今年になっても元気だったし、血液検査のために行くのも必要あるかなぁ、と放置していた。だからそれも気になっていた。それが原因かしら、と。
水曜日の朝になっても熱は下がらなかったので、総合病院に連れて行くことにする。その血液検査をした病院、息子が生まれた病院だ。そこなら血液検査も1時間程度でやってもらえる。菌の培養もすぐのはずだ。
結構長い間待って、やっと診てもらえた。経過を説明する。喉をみてもらうとまっ赤っからしい。しばらく肺の音を聞いていた先生、レントゲンと血液検査、喉の菌の培養、と手際よく指示される。「被爆の心配は大丈夫です」と2日前にレントゲンしたばかりであることを踏まえて先に言ってくださる。喉の粘膜はその場で採取。処置室で採血し、レントゲン室へ行ってレントゲン撮影。
血液検査の結果が出るまで1時間。昼食をとり、再度診察室へ。「結論から言うと肺炎です」。
肺のレントゲンにはしっかり白い影が。「肺から音がしました。2日前のレントゲンでは大丈夫だったようですから、それから症状が進んだのでしょう」。血液検査の数値も示される。「炎症反応も強く出ています。白血球は上がってません。あまり反応しないこともあります」。通常は菌やウイルスが入ると白血球値は上がるものだが、上がっていないそうだ。菌・ウイルスの検出。「マイコプラズマが検出されています。それに加えて、最近流行っているのですが、アデノウイルスも。どのタイミングでアデノが入ったかわかりませんが、2重感染になって高熱が出ているようです」。喉にきているのはアデノらしい。
半年間気になっていた血液の値は「すっかり正常です。何も心配ありません」とのこと。心から安堵する。
肺炎とはいっても、まだ軽く入院の必要はないこと。薬を切り替えてマイコプラズマに効く抗生剤にするということ、これで熱が下がらなければ2日後の金曜日また来てください、下がれば月曜日に様子を見せてください、すっかり元気になってしまえば月曜日も来る必要はありません、ということになった。
「熱が下がるというのはどういう状態でしょうか。今は昼は下がるのに夜あがるんです」ときくと、「それが肺炎の典型的な症状なんですよ。夜もあがらなくなるようになるということが、熱が下がるということです」とのこと。
息子は機嫌よく先生にバイバイ。実はこの先生、とても人気のある先生なのだ。だから受診までとても待たされた。その理由もわかった気がする。説明はわかりやすいし、自信をもって話してくれる。次にどういう対処をすればいいか具体的目処をもって説明してくれる。
会計をし、薬をもらって帰宅。すぐに一服、薬を飲んだ息子は機嫌よくビデオを見たり遊んだりしていた。夜、熱は上がらず、息子はすやすや。私もここ数日の夜中の発熱でくたくただったのだが、息子も充分眠れてなかったのだなぁと思う。
翌朝、熱を測るとなんとか37℃台に落ち着いてくれた。このところほぼ毎日38度を軽くオーバーしていたからほっとする。昼間もほとんど同じか36℃台だったので、もう大丈夫と思う。薬が劇的に効いてびっくり。調べてみるとマイコプラズマには抗生剤がよく効くが、菌によっては耐性がついているものもあるようだ。
最初の開業医でもらった抗生剤は効かないタイプだったんだな。開業医さんが悪いわけではなく、総合病院と診断のやり方や地域での役割が違うのだから特に気にしてない。また次発熱したら開業医さんに連れて行くつもりだ。
インフルエンザ流行時とは違って、落ち着いている小児科。すぐ診てもらえた。夏風邪に加えて、2日前に受けた予防接種(3種混合の追種)の副反応がプラスされ高い熱が出ているのでしょう、という診断。熱さましと喉のお薬をいただく。
土日ずっと高い熱が続く。いつもの発熱と違っていたのは、39℃を超えても息子は元気だったこと。普通、39℃を超えると機嫌がすこぶる悪くなり、ごろごろ横になっていることが多い。そうなると座薬を使ってやらなければ寝ることもできない。
だが今回は食欲はあまりなかったけど、いつもどおり録画しておいた「おかさんといっしょ」を見たり、粘土遊びをしたりとご機嫌はよかった。ベビー用イオン飲料はごくごく飲んでいたので、水分補給も心配なかったし。夜中も途中、起きて「お水」とイオン飲料をせがむ程度で、よく寝ていた。
もうひとつおかしかったのは、あまり汗をかかなかったこと。その数日前から6月というのに真夏のような気候が続いていて、夜、パジャマが絞れるほど汗をかいていた。それをかかなくなっていた。熱が高いせいかな、でも熱があるならなおさら、汗をかいて熱を冷まそうとするのではないかな、と気にはなっていた。
月曜日になっても熱は下がらず。再び朝から小児科に連れて行く。「まだ熱が下がりませんか」と喉を診てもらうがあまり腫れていないという。「レントゲンを撮りましょう」。肺炎を疑っているらしい。だが写真の肺はキレイ。「熱が下がらないので、マイコプラズマに感染していることが考えられます」「マイコプラズマに効く抗生剤を出します」といわれた。
本当にマイコプラズマであるかどうかは、痰を培養してみなければわからないが、こんな小さな子では痰を取るだけでも大変、培養に出して結果が返ってくる数日の間に、薬が効いて直ってくるでしょう、ということだった。
息子は相変わらず元気。先生にも上機嫌でバイバイし、「39℃もありますか?」といわれる。
月曜日の昼間は少し熱は下がったのだけど、夕方から夜はまたがーっと熱が上がってしまう。特に夜中の2時3時にぐずって私に擦り寄ってくる体は火の玉のように熱い。額も首筋も、脚も手も。その前の12時頃にたっぷり汗をかいて熱が下がったかな、と思うのにその後またあがってしまうのだ
食事は朝昼はほとんど摂らず。アイスクリームをおやつに食べ、夜は私の膝で私の食事をつまみ食い、といったところ。暑い時期なので、汗は一応かいているようで、洗えない頭ががどんどん臭くなっていく。身体だけはさっとシャワーしていた。お水=ベビーイオン飲料はがんがん飲むので、空になったペットボトルがたまっていく。
火曜日も同じような調子。昼間は37℃台で食欲はないものの、ご機嫌で遊んで水分とっている。ところが夜中にまたあがる。いくらなんでもいつもの発熱と違う。おかしい、と思うようになった。マイコプラズマに効くはずの抗生剤を飲んでいるのに熱が下がらない。何か重篤な病気が隠れているのではないかと気になりだした。不安でたまらなくなる。
実は気になっていたことがあった。昨年秋頃に発熱し救急に連れていったところ、炎症反応を見るための血液検査をした。その際、炎症反応を示すのとは別のある血液の数値が異常に高かったのだ。通常の10倍以上、だった(白血球ではありません)。その時は熱が下がってから再度血液検査をしたが、やはり数値は高いまま。そんな子もいる、特に心配はない、半年位たってからまた検査を、といわれていた。
今年になっても元気だったし、血液検査のために行くのも必要あるかなぁ、と放置していた。だからそれも気になっていた。それが原因かしら、と。
水曜日の朝になっても熱は下がらなかったので、総合病院に連れて行くことにする。その血液検査をした病院、息子が生まれた病院だ。そこなら血液検査も1時間程度でやってもらえる。菌の培養もすぐのはずだ。
結構長い間待って、やっと診てもらえた。経過を説明する。喉をみてもらうとまっ赤っからしい。しばらく肺の音を聞いていた先生、レントゲンと血液検査、喉の菌の培養、と手際よく指示される。「被爆の心配は大丈夫です」と2日前にレントゲンしたばかりであることを踏まえて先に言ってくださる。喉の粘膜はその場で採取。処置室で採血し、レントゲン室へ行ってレントゲン撮影。
血液検査の結果が出るまで1時間。昼食をとり、再度診察室へ。「結論から言うと肺炎です」。
肺のレントゲンにはしっかり白い影が。「肺から音がしました。2日前のレントゲンでは大丈夫だったようですから、それから症状が進んだのでしょう」。血液検査の数値も示される。「炎症反応も強く出ています。白血球は上がってません。あまり反応しないこともあります」。通常は菌やウイルスが入ると白血球値は上がるものだが、上がっていないそうだ。菌・ウイルスの検出。「マイコプラズマが検出されています。それに加えて、最近流行っているのですが、アデノウイルスも。どのタイミングでアデノが入ったかわかりませんが、2重感染になって高熱が出ているようです」。喉にきているのはアデノらしい。
半年間気になっていた血液の値は「すっかり正常です。何も心配ありません」とのこと。心から安堵する。
肺炎とはいっても、まだ軽く入院の必要はないこと。薬を切り替えてマイコプラズマに効く抗生剤にするということ、これで熱が下がらなければ2日後の金曜日また来てください、下がれば月曜日に様子を見せてください、すっかり元気になってしまえば月曜日も来る必要はありません、ということになった。
「熱が下がるというのはどういう状態でしょうか。今は昼は下がるのに夜あがるんです」ときくと、「それが肺炎の典型的な症状なんですよ。夜もあがらなくなるようになるということが、熱が下がるということです」とのこと。
息子は機嫌よく先生にバイバイ。実はこの先生、とても人気のある先生なのだ。だから受診までとても待たされた。その理由もわかった気がする。説明はわかりやすいし、自信をもって話してくれる。次にどういう対処をすればいいか具体的目処をもって説明してくれる。
会計をし、薬をもらって帰宅。すぐに一服、薬を飲んだ息子は機嫌よくビデオを見たり遊んだりしていた。夜、熱は上がらず、息子はすやすや。私もここ数日の夜中の発熱でくたくただったのだが、息子も充分眠れてなかったのだなぁと思う。
翌朝、熱を測るとなんとか37℃台に落ち着いてくれた。このところほぼ毎日38度を軽くオーバーしていたからほっとする。昼間もほとんど同じか36℃台だったので、もう大丈夫と思う。薬が劇的に効いてびっくり。調べてみるとマイコプラズマには抗生剤がよく効くが、菌によっては耐性がついているものもあるようだ。
最初の開業医でもらった抗生剤は効かないタイプだったんだな。開業医さんが悪いわけではなく、総合病院と診断のやり方や地域での役割が違うのだから特に気にしてない。また次発熱したら開業医さんに連れて行くつもりだ。
マイコプラズマ肺炎、だった
2005年7月8日 日常息子の高熱。
いやはや。1週間ずれてたら檀ちゃんのお見送りに行けませんでしたよ。入院はせずとも済んだのですが、10日ほど保育園行けなかった。でも仕事は忙しく、休んでついててやることもかなわず。
治ってもまた仕事が多忙で、家帰るのが日付け変わる前って、母親としてどうよ、って感じで。日記も書けないしさー、もー。
リフレッシュに観劇したいよなー。さららんのバウとか。無理っぽいけど。せめて週末はつきあってやらんとな。病み上がりの子供っつーのはわがまま度がパワーアップしてるんで、ついていけるかしら・・・。
いやはや。1週間ずれてたら檀ちゃんのお見送りに行けませんでしたよ。入院はせずとも済んだのですが、10日ほど保育園行けなかった。でも仕事は忙しく、休んでついててやることもかなわず。
治ってもまた仕事が多忙で、家帰るのが日付け変わる前って、母親としてどうよ、って感じで。日記も書けないしさー、もー。
リフレッシュに観劇したいよなー。さららんのバウとか。無理っぽいけど。せめて週末はつきあってやらんとな。病み上がりの子供っつーのはわがまま度がパワーアップしてるんで、ついていけるかしら・・・。
さようなら檀ちゃん その3
2005年6月25日 宝塚私が娘役さんのサヨナラショーを観るのは2度目。花エリザの楽でみどりちゃんのサヨナラショーを観たときにも思ったが、サヨナラショーのときの娘役さんが最高にオトコマエ度が上がっていると思う。みどりちゃんもまた、自分の歴史を辿るように歌い継ぎ、舞台の中央で輝いていた。銀橋を渡りながら客席に薔薇を投げた。オトコマエだった。星奈優里ちゃんのも観たけど、あれはノルさんと一緒だったからまた違うなぁ。
もうこれで最後、やりたいことやる、最後の私を見ておいて欲しいというふっきれた決意がはっきりと見えるように思うのだ。同じ宝塚にいるのに、男役と娘役では扱われ方が全く異なる。舞台を目指す人であるというのは基本的に同じだと思うのに。男役を引き立てることが最大命題、それはそれでいいけど、真ん中でありたいと舞台人なら思って当然。その最初で最後のチャンスなんじゃないか。
組長(最後までずっと女装。細い!)からお手紙が読まれ、愛称を呼ばれて階段を降りて来る退団者たち。またも思い出す。「はーーーーい」とその雰囲気に合わない(いや、合っていたか?)長い返事の後、緑の袴で降りてきたあの人のことを。
皆、挨拶の最後は「ありがとうございました」で締める。それぞれが、それぞれ自分らしい挨拶だったと思う。檀ちゃんは東宝まで頑張る、ということを言っていた。またそれで、あの人のことを思い出してしまった。
わたるくんのご挨拶も、また次、東宝公演で頑張るということを言っていた。最後にイシちゃんのご挨拶。GSの時、師匠が「最近のイシちゃんはご挨拶で歌うんですよ」と言われ「ほぅ、和歌を詠むんですね」と感心していたら「歌うんです!本当に!」と言われ「???」となっていた。だから「でーんでんむーしむし♪」とイシちゃんが歌い始めた時「これですかー!?」と隣の師匠に向かってずっこけてしまった。いや、珍しい(!?)モン見せてもらいましたわ。これが噂のイシちゃんのご挨拶かー。
幕が降りるが、何回か幕が開く。やはりこういう時は、トップさんが2人いるというのはやりにくそうだ。なんとなく譲り合いみたいな雰囲気になっちゃうから、締めになりにくい。が、最後に上がったとき、檀ちゃんが地声で「ありがとうございました!」と締めたのだ。すげー。確か花楽の時、樹里ちゃんはオサちゃんに挨拶を勧められたものの、マイクがなかったのでオサちゃんの顔のマイクを借りたりしていた。そういう躊躇をまったく見せず、檀ちゃんはその場を仕切った。
今の宝塚が誇る2大「漢」、わたるくんとイシちゃん、その二人よりもっとオトコマエな檀ちゃんだった。あっぱれ、だった。
のんびりと客席を出て、出のパレードの方へ向かう。外はかなり暑かった。kineさんがいい位置を確保してくだったので、便乗してその横に立つ。そしてふと思い出す。こうやって待っていた暑い夏の日のことを。5年前のあの日。時期もほぼ同じ。梅雨も明けきらない蒸し暑い日。まみさんのさよならは変則で、大劇場がラストだった。まさにこんな気候の中を待っていた。汐美さんの時はあまり気候に苦しめられた記憶がない。まみさんは東宝は凍死寸前、大劇は脱水寸前で記憶に刻まれている。同じような気候の中で、奥さんだった檀ちゃんも卒業するのだな、とふと思った。
人数が多いせいか、割と早めに下級生から順に出て来る。皆、晴れやかな笑顔。来られなかったおかっちファンの友人のために、携帯カメラで撮るが難しい。
駐車場の中に次の車がスタンバイしていたのだけど、後ろの方に見えているオープンカーがただならぬ雰囲気。運転手は何か赤い制服を着ていないか?その車が正面に回される。観客から歓声が上がる。白のロールスロイス。花一杯に飾り付けてある。
檀ちゃんが出て来る。階段降りの時にアップにしていた髪を後ろに降ろし、袴と同じ濃い緑のリボンをつけていた。会の人たちが声をかける。その中に「オトコマエの檀ちゃん」というのがあった。ファンもまたオトコマエであることを魅力と感じていたんだなぁ。
花いっぱい、運転手付きのロールスロイスに負けない存在感で、檀ちゃんは手を振って去って行った。外で見ていた友人によると、花の道辺りでまみさん似のしぐさで投げキスまでしていったそうだ。オットコマエ!檀ちゃん!
檀ちゃんが出たら、ダッシュで帰ろうと思っていたがすぐにわたるくんが出て来てくれたので頑張ってみる。恰好いいわぁ。脚ながーい。お疲れさまでした。檀ちゃんを送り出してくれてありがとう。私が次に観る時は、わたるくんの横にはとなみちゃんがいるんだなぁ。そしてイシちゃんも。イシちゃんの会の人も声をかけていた。
南口へ向けて歩いていると、その他の組子たちが楽屋口から出て来るところだった。うめちゃんを偶然見たけど、黒い服でとっても細かった。
南口の宝塚ホテルの前を通る。今日、きっとここでフェアウエルパーティが開かれるのだろう。ファンだけがお見送りする場がまた開かれるのだろう。
長い一日が終わった。
これからどういう気持ちで宝塚ファンをしていけばいいかなぁ、などと考えていた。確実に一区切り、ついた気がするから。仕事も忙しくなってきたし、息子とのコミュニケーションも大切になってきた。今までみたいには観られないかもしれないなぁ。でもあまり深く考えないようにしよう。自分なりに観られる範囲で、楽しんで観ることが一番だろうし。
何はともあれ、お疲れさまでした。
もうこれで最後、やりたいことやる、最後の私を見ておいて欲しいというふっきれた決意がはっきりと見えるように思うのだ。同じ宝塚にいるのに、男役と娘役では扱われ方が全く異なる。舞台を目指す人であるというのは基本的に同じだと思うのに。男役を引き立てることが最大命題、それはそれでいいけど、真ん中でありたいと舞台人なら思って当然。その最初で最後のチャンスなんじゃないか。
組長(最後までずっと女装。細い!)からお手紙が読まれ、愛称を呼ばれて階段を降りて来る退団者たち。またも思い出す。「はーーーーい」とその雰囲気に合わない(いや、合っていたか?)長い返事の後、緑の袴で降りてきたあの人のことを。
皆、挨拶の最後は「ありがとうございました」で締める。それぞれが、それぞれ自分らしい挨拶だったと思う。檀ちゃんは東宝まで頑張る、ということを言っていた。またそれで、あの人のことを思い出してしまった。
わたるくんのご挨拶も、また次、東宝公演で頑張るということを言っていた。最後にイシちゃんのご挨拶。GSの時、師匠が「最近のイシちゃんはご挨拶で歌うんですよ」と言われ「ほぅ、和歌を詠むんですね」と感心していたら「歌うんです!本当に!」と言われ「???」となっていた。だから「でーんでんむーしむし♪」とイシちゃんが歌い始めた時「これですかー!?」と隣の師匠に向かってずっこけてしまった。いや、珍しい(!?)モン見せてもらいましたわ。これが噂のイシちゃんのご挨拶かー。
幕が降りるが、何回か幕が開く。やはりこういう時は、トップさんが2人いるというのはやりにくそうだ。なんとなく譲り合いみたいな雰囲気になっちゃうから、締めになりにくい。が、最後に上がったとき、檀ちゃんが地声で「ありがとうございました!」と締めたのだ。すげー。確か花楽の時、樹里ちゃんはオサちゃんに挨拶を勧められたものの、マイクがなかったのでオサちゃんの顔のマイクを借りたりしていた。そういう躊躇をまったく見せず、檀ちゃんはその場を仕切った。
今の宝塚が誇る2大「漢」、わたるくんとイシちゃん、その二人よりもっとオトコマエな檀ちゃんだった。あっぱれ、だった。
のんびりと客席を出て、出のパレードの方へ向かう。外はかなり暑かった。kineさんがいい位置を確保してくだったので、便乗してその横に立つ。そしてふと思い出す。こうやって待っていた暑い夏の日のことを。5年前のあの日。時期もほぼ同じ。梅雨も明けきらない蒸し暑い日。まみさんのさよならは変則で、大劇場がラストだった。まさにこんな気候の中を待っていた。汐美さんの時はあまり気候に苦しめられた記憶がない。まみさんは東宝は凍死寸前、大劇は脱水寸前で記憶に刻まれている。同じような気候の中で、奥さんだった檀ちゃんも卒業するのだな、とふと思った。
人数が多いせいか、割と早めに下級生から順に出て来る。皆、晴れやかな笑顔。来られなかったおかっちファンの友人のために、携帯カメラで撮るが難しい。
駐車場の中に次の車がスタンバイしていたのだけど、後ろの方に見えているオープンカーがただならぬ雰囲気。運転手は何か赤い制服を着ていないか?その車が正面に回される。観客から歓声が上がる。白のロールスロイス。花一杯に飾り付けてある。
檀ちゃんが出て来る。階段降りの時にアップにしていた髪を後ろに降ろし、袴と同じ濃い緑のリボンをつけていた。会の人たちが声をかける。その中に「オトコマエの檀ちゃん」というのがあった。ファンもまたオトコマエであることを魅力と感じていたんだなぁ。
花いっぱい、運転手付きのロールスロイスに負けない存在感で、檀ちゃんは手を振って去って行った。外で見ていた友人によると、花の道辺りでまみさん似のしぐさで投げキスまでしていったそうだ。オットコマエ!檀ちゃん!
檀ちゃんが出たら、ダッシュで帰ろうと思っていたがすぐにわたるくんが出て来てくれたので頑張ってみる。恰好いいわぁ。脚ながーい。お疲れさまでした。檀ちゃんを送り出してくれてありがとう。私が次に観る時は、わたるくんの横にはとなみちゃんがいるんだなぁ。そしてイシちゃんも。イシちゃんの会の人も声をかけていた。
南口へ向けて歩いていると、その他の組子たちが楽屋口から出て来るところだった。うめちゃんを偶然見たけど、黒い服でとっても細かった。
南口の宝塚ホテルの前を通る。今日、きっとここでフェアウエルパーティが開かれるのだろう。ファンだけがお見送りする場がまた開かれるのだろう。
長い一日が終わった。
これからどういう気持ちで宝塚ファンをしていけばいいかなぁ、などと考えていた。確実に一区切り、ついた気がするから。仕事も忙しくなってきたし、息子とのコミュニケーションも大切になってきた。今までみたいには観られないかもしれないなぁ。でもあまり深く考えないようにしよう。自分なりに観られる範囲で、楽しんで観ることが一番だろうし。
何はともあれ、お疲れさまでした。
さようなら檀ちゃん その2
2005年6月24日 宝塚幕間。
出を見ることを考えると、何か胃に入れておかねば、と思うのだがさっぱりその気にならない。うーん、どうしよう。出の場所を取りに終演後に走るためか千秋楽の幕間のトイレはいつも劇混み。
ショー。
このショーなら何度か観ておけばよかったかな、と思うが私は2度目で見納め。檀ちゃんの出るショーもこれが最後。今まではちかちゃんがは入っていたポジションにとなみちゃんが。うめちゃんとツインで使われている。豪華豪華。またタイプが違う娘役さん同士なので豪華度が上がる。そこへ出てくる檀ちゃんはやっぱりトップ娘役。貫禄と華がある。
このショーでは、割と早めの場から、退団者がお花飾りをつけて出てきていた。一番最初に気づいたのはアカデミーのシーンで歌うまいまいかな?
ヤンさんのシーンでおかっちがタキシードに赤い花ををつけていたのを観て、うっと胸が詰まってしまった。思い出してしまったのだ、半年前のあの日のことを。あの人はほとんど花をつけなかった。でもみなみちゃんとの黒燕尾のシーンでのみ、みっこちゃんとお揃いで、白い花をつけていた。
そして気がつく。退団したのは確かにまだ半年たってないけど、この大劇場で階段を降りた日からは半年以上が過ぎていたのだ。いつの間にか。
赤い花はやはりとても目を引いて、ここに退団者がいます、ということを教えてくれた。他の退団者たちも花をつけて次々出てくる。そうなるとよくわかった。このショーが退団者たちにとても優しく作られていることが。
退団発表があるのは集合日だそうだが、それを知ってから演出家は配慮をするのだろうか。立ち位置のみならず、演出方法まで変えるのだろうか。汐美さんが荻田先生にたくさん愛のあるシーンをもらったように。
芝居と違ってショーの過ぎる時間はあっという間だった。まだまだだと思っていたのに、気が付くと大階段が出ていた。
わたるくんと檀ちゃんが大階段にたたずんでいる。1回目に観たときも思ったがなんて檀ちゃんらしいオトコマエないでたち。デュエットダンスを終え、ひとり、階段を登っていく檀ちゃん。見送り、ひとりセリ下がるわたるくん。前に見たとき、セリ下がるわたるくんの表情は切なさにゆがんでいた。ところが楽では微笑んでいたように私には見えた。安堵したような慈愛に満ちたような。それを見て思った。わたるくんと檀ちゃんは同志だったんだ。コンビとして寄り添いあうというより、一緒に歩んできた仲間だったんじゃないか、と。安心して卒業していいよ、しっかり見送るから、そんな風に言っているように私には思えた。
階段降りは変則で、退団者たちも花をつけず、また拍手も入れにくいものだった。だからこそそれまでの場でたくさん花をつけ、たくさんの拍手で送れてよかったと思う。
サヨナラショー。どうしても観たかった檀ちゃんのサヨナラショー。
幕が開くと、赤い衣装で階段にたたずむ檀ちゃん。中国語の歌から始まった。楊貴妃さまの衣もまとっていたかな。「王家」のアムネリス様のテーマ曲。格好よかったなぁ。「ドルチェ・ヴィータ」の曲までやってくれるとは思わなかったよ。「ESP」のミニスカポリスの曲も。フルコーラスの曲もあったけど、短めの曲も。檀れいの全てを見せますという構成が嬉しかった。
そしてまさかと思ったが「BMB」の「エンドレス・ドリーム」。滅茶苦茶嬉しかった。私が宝塚ファンになったきっかけのショー。まみさんのショー。まみさんの持ち歌。まみさん退団後の最初のコンサート「ライブA」もこの曲から始まった。その男役キーの歌を迫力ある檀ちゃんの歌声が再現する。檀ちゃんはそのまま銀橋までひとりで渡ってしまった。渡るとき、横にまみさんがいるように思えた。月組時代もきちんとなぞってくれたことが嬉しかった。これが、観たかった。
檀ちゃん着替えの最中に、他の退団者たちの星組の絢爛の歌。銀橋を渡らせてあげる配慮が嬉しい。
また檀ちゃんが登場。今度も赤い衣装。檀ちゃんといえば「赤」なんだなぁ。「BMB」の赤い花はタイトルロールだったもの。あの衣装もすごかったよなぁ。イシちゃんと雪組時代をなぞる。いや、もう愛だよ。ひとりの人の歴史をなぞってもらうってすごいことだよ。「うたかた」の今度のお相手はとうこちゃん。さすがに腰が引けることもなく(笑)。わたるくんとの曲は私にはわからなかったが、終演後kineさんに「風共」の曲と教えてもらった。それもとてもふさわしい気がした。出会いの曲だもんね。
最後に河村隆一氏がMSに提供した歌。とってもいい曲。特に歌詞がいい。MSで一度聞いておいてよかったね、と師匠という。2度目なので味わい深かったし(ちょっと音程も・笑)。
大満足のサヨナラショーだった。観たかったものを全て観せてもらえた。まみさんの歴史、ケロちゃんの歴史。しっかり辿れた。もしこれで宝塚が見納めだとしても、私は悔いは無いだろう。
出を見ることを考えると、何か胃に入れておかねば、と思うのだがさっぱりその気にならない。うーん、どうしよう。出の場所を取りに終演後に走るためか千秋楽の幕間のトイレはいつも劇混み。
ショー。
このショーなら何度か観ておけばよかったかな、と思うが私は2度目で見納め。檀ちゃんの出るショーもこれが最後。今まではちかちゃんがは入っていたポジションにとなみちゃんが。うめちゃんとツインで使われている。豪華豪華。またタイプが違う娘役さん同士なので豪華度が上がる。そこへ出てくる檀ちゃんはやっぱりトップ娘役。貫禄と華がある。
このショーでは、割と早めの場から、退団者がお花飾りをつけて出てきていた。一番最初に気づいたのはアカデミーのシーンで歌うまいまいかな?
ヤンさんのシーンでおかっちがタキシードに赤い花ををつけていたのを観て、うっと胸が詰まってしまった。思い出してしまったのだ、半年前のあの日のことを。あの人はほとんど花をつけなかった。でもみなみちゃんとの黒燕尾のシーンでのみ、みっこちゃんとお揃いで、白い花をつけていた。
そして気がつく。退団したのは確かにまだ半年たってないけど、この大劇場で階段を降りた日からは半年以上が過ぎていたのだ。いつの間にか。
赤い花はやはりとても目を引いて、ここに退団者がいます、ということを教えてくれた。他の退団者たちも花をつけて次々出てくる。そうなるとよくわかった。このショーが退団者たちにとても優しく作られていることが。
退団発表があるのは集合日だそうだが、それを知ってから演出家は配慮をするのだろうか。立ち位置のみならず、演出方法まで変えるのだろうか。汐美さんが荻田先生にたくさん愛のあるシーンをもらったように。
芝居と違ってショーの過ぎる時間はあっという間だった。まだまだだと思っていたのに、気が付くと大階段が出ていた。
わたるくんと檀ちゃんが大階段にたたずんでいる。1回目に観たときも思ったがなんて檀ちゃんらしいオトコマエないでたち。デュエットダンスを終え、ひとり、階段を登っていく檀ちゃん。見送り、ひとりセリ下がるわたるくん。前に見たとき、セリ下がるわたるくんの表情は切なさにゆがんでいた。ところが楽では微笑んでいたように私には見えた。安堵したような慈愛に満ちたような。それを見て思った。わたるくんと檀ちゃんは同志だったんだ。コンビとして寄り添いあうというより、一緒に歩んできた仲間だったんじゃないか、と。安心して卒業していいよ、しっかり見送るから、そんな風に言っているように私には思えた。
階段降りは変則で、退団者たちも花をつけず、また拍手も入れにくいものだった。だからこそそれまでの場でたくさん花をつけ、たくさんの拍手で送れてよかったと思う。
サヨナラショー。どうしても観たかった檀ちゃんのサヨナラショー。
幕が開くと、赤い衣装で階段にたたずむ檀ちゃん。中国語の歌から始まった。楊貴妃さまの衣もまとっていたかな。「王家」のアムネリス様のテーマ曲。格好よかったなぁ。「ドルチェ・ヴィータ」の曲までやってくれるとは思わなかったよ。「ESP」のミニスカポリスの曲も。フルコーラスの曲もあったけど、短めの曲も。檀れいの全てを見せますという構成が嬉しかった。
そしてまさかと思ったが「BMB」の「エンドレス・ドリーム」。滅茶苦茶嬉しかった。私が宝塚ファンになったきっかけのショー。まみさんのショー。まみさんの持ち歌。まみさん退団後の最初のコンサート「ライブA」もこの曲から始まった。その男役キーの歌を迫力ある檀ちゃんの歌声が再現する。檀ちゃんはそのまま銀橋までひとりで渡ってしまった。渡るとき、横にまみさんがいるように思えた。月組時代もきちんとなぞってくれたことが嬉しかった。これが、観たかった。
檀ちゃん着替えの最中に、他の退団者たちの星組の絢爛の歌。銀橋を渡らせてあげる配慮が嬉しい。
また檀ちゃんが登場。今度も赤い衣装。檀ちゃんといえば「赤」なんだなぁ。「BMB」の赤い花はタイトルロールだったもの。あの衣装もすごかったよなぁ。イシちゃんと雪組時代をなぞる。いや、もう愛だよ。ひとりの人の歴史をなぞってもらうってすごいことだよ。「うたかた」の今度のお相手はとうこちゃん。さすがに腰が引けることもなく(笑)。わたるくんとの曲は私にはわからなかったが、終演後kineさんに「風共」の曲と教えてもらった。それもとてもふさわしい気がした。出会いの曲だもんね。
最後に河村隆一氏がMSに提供した歌。とってもいい曲。特に歌詞がいい。MSで一度聞いておいてよかったね、と師匠という。2度目なので味わい深かったし(ちょっと音程も・笑)。
大満足のサヨナラショーだった。観たかったものを全て観せてもらえた。まみさんの歴史、ケロちゃんの歴史。しっかり辿れた。もしこれで宝塚が見納めだとしても、私は悔いは無いだろう。
さようなら、檀ちゃん その1
2005年6月20日 宝塚大劇場の星楽、観劇してきました。
はぁ、もう。なんていうか。これで当分、「息子が発熱して観られないと絶対困る!」なプレッシャーのかかる観劇はない予定。去年の11月8日、汐美さんの大劇楽の終演後、無事に見終えて腰が砕けそうになったのに、少し近いような達成感がありました。
だからってー、自分が達成感でほっとしたからといって、すみません。kineさんが無口になってらっしゃるのに気軽に声かけしてしまった。そこで改めて気がつきました。遅いっつーねん。kineさんは今日、退団するひとりひとりを、そして星組を愛して、送り出そうとしておられたのに。ごめんなさい。
達成感のもうひとつの理由はやっぱり檀ちゃん。私が観たかった檀ちゃん。オトコマエの檀ちゃん、真琴つばささんとの月組時代、汐美さん(正確にはわたるくん)との星組時代。私の宝塚ファンの歴史を総括するようなサヨナラショー。これが観たかった。そういうものを見せてもらえました。
私の宝塚ファン時代がひとつ、完結した気分です。
☆
前の花楽でのんきにしていて樹里ちゃんの入りを見逃したこともあって、今回は気合を入れて9時半には花の道にスタンバイ。緑野こあら師匠、kineさんと合流、少しずつ星組の生徒さんたちが入るのを見る。
退団者は白い服。見送るファンも白い服。私たちもああだったんだな。あの時は目の前の、これから最後の舞台に臨むひとしか見えてなかったけど、私たちもギャラリーの人たちからはこんな風に見えていたんだな、などと思う。あんなに私には大切なジェンヌさんでも、宝塚ではよくある風景のひとつでしかないんだろう。
檀ちゃんが入ったのは10時ジャストだった。わたるくんはその5分位前だったかな?わたるくんは居並ぶ大勢のファンの人たち全員からお手紙を受け取っていた。格好いい!
そして檀ちゃんは白いいでたち。ひるがえる白いスカート、そこからのぞく細い脚ばかり見ていた。檀ちゃんはファンの方たちにガッツポーズでこたえて、楽屋口に消えていった。
ぼちぼちと移動し、喫茶店でおしゃべり&お茶。いろんな知り合いと声を交わしたり。チケットレスで劇場に来ている人も多かった。檀ちゃんをお見送りしたかったのだろう。でもなぜか不思議にも思えた。だって檀ちゃんは大きな声で「好き」と言いにくい娘役さんだったから。それはまみさんの奥さんだった時からそう。私がまだ宝塚ファン初心者でぴよぴよしていた時、ぴあで並んでいるとまみファンの方からいかに檀ちゃんがひどい相手役かをこんこんと聞かされた。初心者の私はそれだけでビビってしまっていた。今なら、相手役に不満のないトップファンなんていないわよ、と笑えるけど。
でもサヨナラ写真集はキャトルで一番の売れ行きらしい。私の周囲の人たちも買っている人が多かった。私も1冊、買った。ここまで自分を持ってきたのは、檀ちゃんの努力、心意気のなせる技だろう。一度退いたトップ娘役から再度登板するだけの何かを檀ちゃんは自分で身につけたのだと思う。あなたがいたから、私はアムネリス様にも揚貴妃様にも会えた。
そろそろ劇場に行かねば、と移動し始めた時、目の前を藤井大介先生が歩いていた。皆でこっそり「今頃こんな所にいて、サヨナラショーの演出は大丈夫か?」と突っ込む。でも心配はしていなかった。藤井先生なら愛ある演出をしてくれるはず、と思っていたから。
湿度が高く、気温も高い日。どうも体調がすぐれず、食欲が全く湧かなかった。私にしては珍しいことだった。
芝居。
うーうーうー。キツカッタわ。1回目観た時は、さんざん「駄作」という情報を仕入れてから行ったから「あら、マシじゃない、この舞踊会」なんて思っていたのだが、2回目であまりの退屈さに疲れてしまった。「長安」で培った“肝心なところ以外は睡眠に当てる”技を使おうとしたが、そうするとアドリブが飛び出す。
体調がイマイチなこともあって、作品への怒りすら湧かない。どんな“卑怯な”“不粋な”“不快感のある”セリフや行動が飛び出しても「あーそーですかー」と流してしまった。そうすることで感覚を麻痺させていたのかもしれない。
お隣の席だった師匠はそれでも幕間に「乗り越えたわ!」と力強く宣言しておられた。5回観たら乗り越えられるんでしょうか?
ここでも感服したのはひたすらわたるくんの力技。どうしようもないのに!なんで男同士、宝塚の舞台で船の上で死ななきゃならないのかわからないのに!わたるくんは渾身の演技でイシちゃんを看取っていた。これがトップスターなんだろうなぁ。
イシちゃんもさらにきめ細かくセリフの強弱をつけて、伊佐次が破綻しないように、それがマシなら少しでも一貫性のある人間に見せようと頑張っていたように思う。
退団するまいまいの歌声に聞き惚れ、おかっちの立ち姿に見入る。檀ちゃんはもちろん、「お別れです」のセリフに全てを込めていたように思う。そういうところに私はオペラを合わせていた。
長い長いお芝居が終わった。
(以下、続く・・・すみません、書けた分だけ少しずつアップしていきます)
はぁ、もう。なんていうか。これで当分、「息子が発熱して観られないと絶対困る!」なプレッシャーのかかる観劇はない予定。去年の11月8日、汐美さんの大劇楽の終演後、無事に見終えて腰が砕けそうになったのに、少し近いような達成感がありました。
だからってー、自分が達成感でほっとしたからといって、すみません。kineさんが無口になってらっしゃるのに気軽に声かけしてしまった。そこで改めて気がつきました。遅いっつーねん。kineさんは今日、退団するひとりひとりを、そして星組を愛して、送り出そうとしておられたのに。ごめんなさい。
達成感のもうひとつの理由はやっぱり檀ちゃん。私が観たかった檀ちゃん。オトコマエの檀ちゃん、真琴つばささんとの月組時代、汐美さん(正確にはわたるくん)との星組時代。私の宝塚ファンの歴史を総括するようなサヨナラショー。これが観たかった。そういうものを見せてもらえました。
私の宝塚ファン時代がひとつ、完結した気分です。
☆
前の花楽でのんきにしていて樹里ちゃんの入りを見逃したこともあって、今回は気合を入れて9時半には花の道にスタンバイ。緑野こあら師匠、kineさんと合流、少しずつ星組の生徒さんたちが入るのを見る。
退団者は白い服。見送るファンも白い服。私たちもああだったんだな。あの時は目の前の、これから最後の舞台に臨むひとしか見えてなかったけど、私たちもギャラリーの人たちからはこんな風に見えていたんだな、などと思う。あんなに私には大切なジェンヌさんでも、宝塚ではよくある風景のひとつでしかないんだろう。
檀ちゃんが入ったのは10時ジャストだった。わたるくんはその5分位前だったかな?わたるくんは居並ぶ大勢のファンの人たち全員からお手紙を受け取っていた。格好いい!
そして檀ちゃんは白いいでたち。ひるがえる白いスカート、そこからのぞく細い脚ばかり見ていた。檀ちゃんはファンの方たちにガッツポーズでこたえて、楽屋口に消えていった。
ぼちぼちと移動し、喫茶店でおしゃべり&お茶。いろんな知り合いと声を交わしたり。チケットレスで劇場に来ている人も多かった。檀ちゃんをお見送りしたかったのだろう。でもなぜか不思議にも思えた。だって檀ちゃんは大きな声で「好き」と言いにくい娘役さんだったから。それはまみさんの奥さんだった時からそう。私がまだ宝塚ファン初心者でぴよぴよしていた時、ぴあで並んでいるとまみファンの方からいかに檀ちゃんがひどい相手役かをこんこんと聞かされた。初心者の私はそれだけでビビってしまっていた。今なら、相手役に不満のないトップファンなんていないわよ、と笑えるけど。
でもサヨナラ写真集はキャトルで一番の売れ行きらしい。私の周囲の人たちも買っている人が多かった。私も1冊、買った。ここまで自分を持ってきたのは、檀ちゃんの努力、心意気のなせる技だろう。一度退いたトップ娘役から再度登板するだけの何かを檀ちゃんは自分で身につけたのだと思う。あなたがいたから、私はアムネリス様にも揚貴妃様にも会えた。
そろそろ劇場に行かねば、と移動し始めた時、目の前を藤井大介先生が歩いていた。皆でこっそり「今頃こんな所にいて、サヨナラショーの演出は大丈夫か?」と突っ込む。でも心配はしていなかった。藤井先生なら愛ある演出をしてくれるはず、と思っていたから。
湿度が高く、気温も高い日。どうも体調がすぐれず、食欲が全く湧かなかった。私にしては珍しいことだった。
芝居。
うーうーうー。キツカッタわ。1回目観た時は、さんざん「駄作」という情報を仕入れてから行ったから「あら、マシじゃない、この舞踊会」なんて思っていたのだが、2回目であまりの退屈さに疲れてしまった。「長安」で培った“肝心なところ以外は睡眠に当てる”技を使おうとしたが、そうするとアドリブが飛び出す。
体調がイマイチなこともあって、作品への怒りすら湧かない。どんな“卑怯な”“不粋な”“不快感のある”セリフや行動が飛び出しても「あーそーですかー」と流してしまった。そうすることで感覚を麻痺させていたのかもしれない。
お隣の席だった師匠はそれでも幕間に「乗り越えたわ!」と力強く宣言しておられた。5回観たら乗り越えられるんでしょうか?
ここでも感服したのはひたすらわたるくんの力技。どうしようもないのに!なんで男同士、宝塚の舞台で船の上で死ななきゃならないのかわからないのに!わたるくんは渾身の演技でイシちゃんを看取っていた。これがトップスターなんだろうなぁ。
イシちゃんもさらにきめ細かくセリフの強弱をつけて、伊佐次が破綻しないように、それがマシなら少しでも一貫性のある人間に見せようと頑張っていたように思う。
退団するまいまいの歌声に聞き惚れ、おかっちの立ち姿に見入る。檀ちゃんはもちろん、「お別れです」のセリフに全てを込めていたように思う。そういうところに私はオペラを合わせていた。
長い長いお芝居が終わった。
(以下、続く・・・すみません、書けた分だけ少しずつアップしていきます)
観る人に幸せを。幸せな食卓を。
2005年6月19日 宝塚今年の一連のバウシリーズで、これは観たいな、観ようと決めていたのは、ともちん主演の宙バウでした。
なぜ?とよく問われたので、「あひちゃんはなんとなく分かるから」とか「景子先生の作品は生で観ないと空気感がつかめないから」とか「宙のエンカレでともちんとじんじんが歌が上手いなと思っていたから」などと言っていました。
でももうひとつ、理由を隠してました。
「汐美真帆と関係ないから」
とにかく、汐美さんと関係のある舞台を観たくなかったんです。重症です。呆れて下さい。私はそんな人間です。あひちゃんは元月組だし、ケロちゃんの役をやっていたことがあります(ゼンダ)。星組・月組は論外です。関係者、たくさん出ますから。花組はあのポスターでひっくり返りました。雪組は太田先生っつーのがひっかかりました。
宙組の下級生ばっかりの舞台なら、汐美さんのことを想わず観られるだろう、そんなヘタレなことを考えてました。
退団後、全てがどーでもよくなってきてはいたのですが、思いがけず雪バウでものすごーく楽しい思いをしたので、やっぱり何でも観ておくべきだな、と考えを改めました。
初心貫徹、ともちんバウのチケットを購入しようとしたものの、なぜか掲示板にもオークションにも出ないので、慌ててぴあで最後列を購入、暑くなってきてどうも機嫌の悪い息子を連れて、観劇しに行きました。
景子先生は上手い。特に今回は上手かったと思います。景子先生はよく食卓をモチーフに使いますね。アンナカレーニナとかエイジオブイノセンスとか。今回が一番上手に使えていたと思います。
舞台のセットも全く動かないけど、それで見劣りすることはなく、奥に生演奏を入れているのに、その空間を実にうまく使えていた。セリフも全てに意味があり、美しい。特に普段の宝塚ではあり得ないほど、女性キャラクターが人生を持っていた。それも主役だけでなく、脇のひとりひとりまで。娘役さんたち、やりがいがあったろうなぁ。
人と人が出会うことで、ドラマが動いていく。お互いに影響しあって変わっていく。ちゃんと描けていました。
生徒さんたちも、ともちん、大きい大きい!真ん中に立つとその大きさがメリットであることがよくわかる。身体の大きさだけじゃなくて、ダンスも大きくてよかった。毛野ちゃんは歌をもっと聞かせてほしかったな。上手い人なんだもの。囁き声で歌える人って私は他には花ちゃんしか知りません。じんじんはさすが!あのおじいさんの歌の後で、拍手、湧いてました。カチャはスター候補ですね。あの思いきりのいい髪型は好感が持てました。
その他のキャストもしっかりはまってました。私はあひちゃんバージョンを観ていないので、Bチームのキャストでちゃんと当てがきになっていると思ったのですが、両方観た友人によると、Aに当てがきしてあったようだ、ということでした。
本当に破綻のない公演でした。ちょっと気になったことがあるとすれば、「負け組」とか「個人情報」とか今の今に流布している言葉が出て来ること。これらの言葉はリアルタイムの時代の空気を含んでいるので、その言葉が与えるニュアンスは、あと半年もすれば伝わらなくなってしまうから、もったいないなーと。
ま、その位です。景子先生はとことんこだわっているようで、お皿の上の料理の模造品も、ほぼセリフのメニュー通りだったから、ちゃんとあつらえて作っているんでしょうね。生のベリー類をつまみ食いしていたし、ワイン(?ジュースかな)も注いでいた。生モノが出て来る舞台って宝塚では私は初めて観た気がします。
こんなにきめ細かく、完成度が高く、評判もよい作品なのに。
私はのめりこめなかった。いえ、ちゃんと舞台の上の誰かに感情移入はしていたんですよ。なのに。時々ぼーっと舞台を眺めてしまった。
いかん。長安、雪バウ、長崎と、トンデモ慣れしすぎて感覚が鈍っているのか!?怖いよう。
景子先生の舞台といえば、この前のタニ&ゆうひバウ。私はゆうひバージョンしか観れなかったけど(退団騒ぎで)、それぞれのファンの人たちが「タニちゃんに当て書きされた素晴らしい作品」「ゆうひちゃんに当て書きされた素晴らしい作品」と言っていたのが印象に残っている。
どちらが正しいかなんてそれはどうでもよくて、どのファンも満足したってことだから、それは幸せなことだと思う。
今回の作品も、多分、あひちゃんのファンも、ともちんのファンもどちらも喜んでいるだろうな、と思う。
さらに観客も喜んでいる人が多いだろうな。
そう、多分、私は疲れていたんだ。あのような繊細な世界じゃないもので、現実を忘れたい、それが今の私のニーズなのかもしれない。この際、長安でも、長崎でも・・・と終演後、友人に口走りそうになって慌てましたよ。
ひとりの孤独な女の子が、自分を癒してくれる素敵な男性と出会い、恋に落ちる。信頼できる個性豊かな仲間がそれを見守る。いい話。いい話なんだけど、今の私は「よかったね」という気分が先に立ってしまう。そんないい舞台を観られてみんな「よかったね」とほっこりする。
でも自分はその中に入っていないような。
まぁ、しょうがない。もう少し前ならそういう気分になれただろう。もう少し後ならさらに懐しく思えただろう。
今の私の食卓ったら、朝昼晩合わせて30分だもんな。昼も仕事した方が早く帰れるならなるべく短縮したいし他の用事がある時もある。夜も息子と一緒ならなおさら、息子が食べ飽きる前にこっちの食事も終わらさないとな。お陰で胃が荒れまくってる。
それも幸せのひとつだろうけど、景子先生の描く食卓の風景とはかなり遠いところにある。今はね。
遠い美しい風景、観に行ってよかった、そう思う。
なぜ?とよく問われたので、「あひちゃんはなんとなく分かるから」とか「景子先生の作品は生で観ないと空気感がつかめないから」とか「宙のエンカレでともちんとじんじんが歌が上手いなと思っていたから」などと言っていました。
でももうひとつ、理由を隠してました。
「汐美真帆と関係ないから」
とにかく、汐美さんと関係のある舞台を観たくなかったんです。重症です。呆れて下さい。私はそんな人間です。あひちゃんは元月組だし、ケロちゃんの役をやっていたことがあります(ゼンダ)。星組・月組は論外です。関係者、たくさん出ますから。花組はあのポスターでひっくり返りました。雪組は太田先生っつーのがひっかかりました。
宙組の下級生ばっかりの舞台なら、汐美さんのことを想わず観られるだろう、そんなヘタレなことを考えてました。
退団後、全てがどーでもよくなってきてはいたのですが、思いがけず雪バウでものすごーく楽しい思いをしたので、やっぱり何でも観ておくべきだな、と考えを改めました。
初心貫徹、ともちんバウのチケットを購入しようとしたものの、なぜか掲示板にもオークションにも出ないので、慌ててぴあで最後列を購入、暑くなってきてどうも機嫌の悪い息子を連れて、観劇しに行きました。
景子先生は上手い。特に今回は上手かったと思います。景子先生はよく食卓をモチーフに使いますね。アンナカレーニナとかエイジオブイノセンスとか。今回が一番上手に使えていたと思います。
舞台のセットも全く動かないけど、それで見劣りすることはなく、奥に生演奏を入れているのに、その空間を実にうまく使えていた。セリフも全てに意味があり、美しい。特に普段の宝塚ではあり得ないほど、女性キャラクターが人生を持っていた。それも主役だけでなく、脇のひとりひとりまで。娘役さんたち、やりがいがあったろうなぁ。
人と人が出会うことで、ドラマが動いていく。お互いに影響しあって変わっていく。ちゃんと描けていました。
生徒さんたちも、ともちん、大きい大きい!真ん中に立つとその大きさがメリットであることがよくわかる。身体の大きさだけじゃなくて、ダンスも大きくてよかった。毛野ちゃんは歌をもっと聞かせてほしかったな。上手い人なんだもの。囁き声で歌える人って私は他には花ちゃんしか知りません。じんじんはさすが!あのおじいさんの歌の後で、拍手、湧いてました。カチャはスター候補ですね。あの思いきりのいい髪型は好感が持てました。
その他のキャストもしっかりはまってました。私はあひちゃんバージョンを観ていないので、Bチームのキャストでちゃんと当てがきになっていると思ったのですが、両方観た友人によると、Aに当てがきしてあったようだ、ということでした。
本当に破綻のない公演でした。ちょっと気になったことがあるとすれば、「負け組」とか「個人情報」とか今の今に流布している言葉が出て来ること。これらの言葉はリアルタイムの時代の空気を含んでいるので、その言葉が与えるニュアンスは、あと半年もすれば伝わらなくなってしまうから、もったいないなーと。
ま、その位です。景子先生はとことんこだわっているようで、お皿の上の料理の模造品も、ほぼセリフのメニュー通りだったから、ちゃんとあつらえて作っているんでしょうね。生のベリー類をつまみ食いしていたし、ワイン(?ジュースかな)も注いでいた。生モノが出て来る舞台って宝塚では私は初めて観た気がします。
こんなにきめ細かく、完成度が高く、評判もよい作品なのに。
私はのめりこめなかった。いえ、ちゃんと舞台の上の誰かに感情移入はしていたんですよ。なのに。時々ぼーっと舞台を眺めてしまった。
いかん。長安、雪バウ、長崎と、トンデモ慣れしすぎて感覚が鈍っているのか!?怖いよう。
景子先生の舞台といえば、この前のタニ&ゆうひバウ。私はゆうひバージョンしか観れなかったけど(退団騒ぎで)、それぞれのファンの人たちが「タニちゃんに当て書きされた素晴らしい作品」「ゆうひちゃんに当て書きされた素晴らしい作品」と言っていたのが印象に残っている。
どちらが正しいかなんてそれはどうでもよくて、どのファンも満足したってことだから、それは幸せなことだと思う。
今回の作品も、多分、あひちゃんのファンも、ともちんのファンもどちらも喜んでいるだろうな、と思う。
さらに観客も喜んでいる人が多いだろうな。
そう、多分、私は疲れていたんだ。あのような繊細な世界じゃないもので、現実を忘れたい、それが今の私のニーズなのかもしれない。この際、長安でも、長崎でも・・・と終演後、友人に口走りそうになって慌てましたよ。
ひとりの孤独な女の子が、自分を癒してくれる素敵な男性と出会い、恋に落ちる。信頼できる個性豊かな仲間がそれを見守る。いい話。いい話なんだけど、今の私は「よかったね」という気分が先に立ってしまう。そんないい舞台を観られてみんな「よかったね」とほっこりする。
でも自分はその中に入っていないような。
まぁ、しょうがない。もう少し前ならそういう気分になれただろう。もう少し後ならさらに懐しく思えただろう。
今の私の食卓ったら、朝昼晩合わせて30分だもんな。昼も仕事した方が早く帰れるならなるべく短縮したいし他の用事がある時もある。夜も息子と一緒ならなおさら、息子が食べ飽きる前にこっちの食事も終わらさないとな。お陰で胃が荒れまくってる。
それも幸せのひとつだろうけど、景子先生の描く食卓の風景とはかなり遠いところにある。今はね。
遠い美しい風景、観に行ってよかった、そう思う。
ドイツもチケット次第
2005年6月11日 スポーツ数日前になるけどサッカー日本代表、あっさりW杯出場を決めました。
思えば、16年前のイタリアW杯予選の時なんて、1次予選敗退。ニュースでも何番目かの項目でちらっと「負けました」と伝えられた位。
その次のアメリカW杯予選がいわゆる「ドーハの悲劇」。負けた翌朝、真っ青な顔して出社したら、得意先の担当者に「どうしました?」と聞かれたもんなぁ。「日本が負けました」と言われて呆れられたよ。
この辺りからJリーグの開幕とも相まって、マスコミの絶叫(比喩です)が激しくなっていく。
さらにフランスW杯予選が「ジョホールバルの歓喜(奇跡)」。1試合ごとに絶体絶命の見てる方も命がけ、私は勝てば体重が1kg増え、負ければ1kg減るという身も心も捧げた生活を送っていた。
フランスW杯は行きたかったけど行けず。弾丸ツアーに申し込みたいと思ったが、得意先に「この忙しい時期に行ったら仕事取り上げるで」と(笑)。まぁ、チケット騒動もあったから行けなかったと思うけど。
その次が日韓共同開催で予選はなし。国内のチケットが取れず、観光兼ねてソウルまで行った。なかなか楽しかった。
で、今回。
1試合ごとに大騒ぎしているのは、マスコミだけっていう感じ。リーグ戦だっちゅーの。1試合勝ったから○位浮上、1試合負けたから○位転落って大書きするのはやめて欲しかった。全体見とおしての駆け引きが大切なんだってば。
代表チームの頑張り、レベルアップもあっさり出場を決めた要因だろうけど、その前に、アジアや日本のサッカー協会が発言力を強め、アジア枠を増やしたのが何よりの要因だろう。政治力は大きいな。
世紀の一戦とマスコミは煽り立てていたけど、それほど世紀の一戦じゃなかったわけで。私が夢中になりきれないせいかしら、と思っていたが選手たちもいくらインタビュアーが煽っても冷静に対応していた。マスコミも私たちも選手も一緒になって狂っていたドーハやジョホールバルの時とは明らかに違うなぁ、と思う。
やはりW杯は本戦が本番。そちらでどれだけ勝てるか、楽しめるかが重要なんだと、これまで2回、出場してきて思うようになったんだなぁ。サッカー協会の予定通りってのが悔しくもあり、感心したり。
一緒になって狂っていた時期というのも、実はそれはそれで懐しく、いい思い出。今でも、ジョホールバルの試合のビデオは取ってあるし、翌日のスポーツ新聞、異例の増刷がかかったという「Number」は今も大切にとってある。
さて、ドイツかぁ。次のW杯は南アフリカだからそれよりはドイツの方が行きやすいなぁ。息子連れて行けるかなぁ?
宝塚と同じ、まずはチケット確保しないと始まらないな。
思えば、16年前のイタリアW杯予選の時なんて、1次予選敗退。ニュースでも何番目かの項目でちらっと「負けました」と伝えられた位。
その次のアメリカW杯予選がいわゆる「ドーハの悲劇」。負けた翌朝、真っ青な顔して出社したら、得意先の担当者に「どうしました?」と聞かれたもんなぁ。「日本が負けました」と言われて呆れられたよ。
この辺りからJリーグの開幕とも相まって、マスコミの絶叫(比喩です)が激しくなっていく。
さらにフランスW杯予選が「ジョホールバルの歓喜(奇跡)」。1試合ごとに絶体絶命の見てる方も命がけ、私は勝てば体重が1kg増え、負ければ1kg減るという身も心も捧げた生活を送っていた。
フランスW杯は行きたかったけど行けず。弾丸ツアーに申し込みたいと思ったが、得意先に「この忙しい時期に行ったら仕事取り上げるで」と(笑)。まぁ、チケット騒動もあったから行けなかったと思うけど。
その次が日韓共同開催で予選はなし。国内のチケットが取れず、観光兼ねてソウルまで行った。なかなか楽しかった。
で、今回。
1試合ごとに大騒ぎしているのは、マスコミだけっていう感じ。リーグ戦だっちゅーの。1試合勝ったから○位浮上、1試合負けたから○位転落って大書きするのはやめて欲しかった。全体見とおしての駆け引きが大切なんだってば。
代表チームの頑張り、レベルアップもあっさり出場を決めた要因だろうけど、その前に、アジアや日本のサッカー協会が発言力を強め、アジア枠を増やしたのが何よりの要因だろう。政治力は大きいな。
世紀の一戦とマスコミは煽り立てていたけど、それほど世紀の一戦じゃなかったわけで。私が夢中になりきれないせいかしら、と思っていたが選手たちもいくらインタビュアーが煽っても冷静に対応していた。マスコミも私たちも選手も一緒になって狂っていたドーハやジョホールバルの時とは明らかに違うなぁ、と思う。
やはりW杯は本戦が本番。そちらでどれだけ勝てるか、楽しめるかが重要なんだと、これまで2回、出場してきて思うようになったんだなぁ。サッカー協会の予定通りってのが悔しくもあり、感心したり。
一緒になって狂っていた時期というのも、実はそれはそれで懐しく、いい思い出。今でも、ジョホールバルの試合のビデオは取ってあるし、翌日のスポーツ新聞、異例の増刷がかかったという「Number」は今も大切にとってある。
さて、ドイツかぁ。次のW杯は南アフリカだからそれよりはドイツの方が行きやすいなぁ。息子連れて行けるかなぁ?
宝塚と同じ、まずはチケット確保しないと始まらないな。
イシちゃんが心臓に悪かった理由
2005年6月10日 宝塚ゴールデンステップス、私はプログラムを買っていなかったので、幕間に緑野こあら師匠に見せていただいていた。そこで、師匠がおっしゃるように、必死に2幕目、イシ理事の出番をチェックしていた。
そう、決して私はイシ理事のファンというわけではない。だから師匠はびっくりされていたのだと思う。んで無意識に「心臓に悪いもん」と言ったよなぁ。
TCA同様、このGSでも、イシちゃんが随所に出て来て、トップオブトップとして場を持つものだと思い込んでいたから、1幕目、終わる頃になって「イシちゃん出て来ない。いつ出てくるの?どーんと出てくるの?」などと気になり始めた。それが出てこないままおわっちゃったから、プログラムをチェックすることになってしまったのだ。
なーんで、私は「心臓に悪い」と思ったのかなぁ。
いや、何となくわかっている。その前に星公演を観たからだ。星公演、芝居にしろショーにしろ、わたるくんが現役トップスターのオーラをばりばりに出しまくって、その生生しい生きたオーラに圧倒され、酔いそうになっていた。
ところが、イシちゃんのオーラはそれとは明らかに種類が違っていたことに愕然としていたのだ。
もちろん、トップとしてのオーラだ。迫力も魅力も輝きもある。でもわたるくんと対比すると、それは「専科トップ」としてのオーラだ。別次元、有り体に言えば枯れた雰囲気があったように私は感じた。
そりゃそうだろう。私は同じ71期のまみさんのファンだった。中卒で若いとはいえまみさんと同期。4人がトップを張っていたころ、わたるくんは若手路線、3番手辺り?今で言えば蘭とむとかまとぶんと同じなわけだ。
その若手と同じ土俵でトップを張れば、そりゃあ枯れた雰囲気にもなるわ。
さらに振り返ると、私がイシちゃんの舞台を観たのは実は久々だった。他組特出で言えばこの前の「青い鳥」は観てないし、その前の花組も観ていない。いつだったか日舞だけに出ていたのは観たような気がするが、その公演自体が何の公演だったかすら思い出せない。
はっきり覚えているのはもしかして「愛燃える」かい!?あれって「血と砂」と同時期上演だから4年半前だ。その後の「風共」は観たよな。あれは「ガイズ東宝」と同時期だから(ケロちゃん出演舞台が私の時間軸)その半年後、くらいよね。
その頃は組所属の生徒さんたちとの、オーラの違いなんてなかった。その後久々に観たイシちゃんは違っていたのだ。
だから心臓に悪かったんだ。
星公演、突然異質なものが出て来るんだもの。機嫌よく現役生徒を観ている気分の時に、突然違うものが混じって出てくる違和感。なんだろう、なんだろう。イヤではないけど何かひっかかる。
そんな気分で星公演を観ていた。
イシちゃんはこれからも組の公演にこうやって出続けるのだろうか。ご贔屓がいない今、出ても出なくても私にはさほどどちらでもいいことだ。でも、トップさんが順調に代替わりしていく中では、いくら歳を取りにくいジェンヌさんとはいえ、異質なものが混じる違和感はさらに表面化してくるのではないか?
その辺りは劇団も考えているだろう。もしかすると、イシちゃんが堂々と大劇のトップを張ることはできなくなっていくかもしれない。今までのように組子と同一のラインで観ることはできなくなるかもしれない。
退団しないイシちゃんとはいえ、その姿を今までと同じ気持ちで観ることはできなくなるかもしれない。
退団しないからいつでも観られる、と安心していてはいけないんだな、やはり彼、もとい彼女も宝塚歌劇団という時間の流れの中に身を置いていて、「常に移り変わって行くことで、今しか観られないという稀少感で盛り上げる」手法から逃れられないんだ。ちゃんと心してイシちゃんの姿も観ておかなければ。
そんな風に思い至った。
と思うとですね。まーったく歳を取らないみえこ先生って。化け物。
そう、決して私はイシ理事のファンというわけではない。だから師匠はびっくりされていたのだと思う。んで無意識に「心臓に悪いもん」と言ったよなぁ。
TCA同様、このGSでも、イシちゃんが随所に出て来て、トップオブトップとして場を持つものだと思い込んでいたから、1幕目、終わる頃になって「イシちゃん出て来ない。いつ出てくるの?どーんと出てくるの?」などと気になり始めた。それが出てこないままおわっちゃったから、プログラムをチェックすることになってしまったのだ。
なーんで、私は「心臓に悪い」と思ったのかなぁ。
いや、何となくわかっている。その前に星公演を観たからだ。星公演、芝居にしろショーにしろ、わたるくんが現役トップスターのオーラをばりばりに出しまくって、その生生しい生きたオーラに圧倒され、酔いそうになっていた。
ところが、イシちゃんのオーラはそれとは明らかに種類が違っていたことに愕然としていたのだ。
もちろん、トップとしてのオーラだ。迫力も魅力も輝きもある。でもわたるくんと対比すると、それは「専科トップ」としてのオーラだ。別次元、有り体に言えば枯れた雰囲気があったように私は感じた。
そりゃそうだろう。私は同じ71期のまみさんのファンだった。中卒で若いとはいえまみさんと同期。4人がトップを張っていたころ、わたるくんは若手路線、3番手辺り?今で言えば蘭とむとかまとぶんと同じなわけだ。
その若手と同じ土俵でトップを張れば、そりゃあ枯れた雰囲気にもなるわ。
さらに振り返ると、私がイシちゃんの舞台を観たのは実は久々だった。他組特出で言えばこの前の「青い鳥」は観てないし、その前の花組も観ていない。いつだったか日舞だけに出ていたのは観たような気がするが、その公演自体が何の公演だったかすら思い出せない。
はっきり覚えているのはもしかして「愛燃える」かい!?あれって「血と砂」と同時期上演だから4年半前だ。その後の「風共」は観たよな。あれは「ガイズ東宝」と同時期だから(ケロちゃん出演舞台が私の時間軸)その半年後、くらいよね。
その頃は組所属の生徒さんたちとの、オーラの違いなんてなかった。その後久々に観たイシちゃんは違っていたのだ。
だから心臓に悪かったんだ。
星公演、突然異質なものが出て来るんだもの。機嫌よく現役生徒を観ている気分の時に、突然違うものが混じって出てくる違和感。なんだろう、なんだろう。イヤではないけど何かひっかかる。
そんな気分で星公演を観ていた。
イシちゃんはこれからも組の公演にこうやって出続けるのだろうか。ご贔屓がいない今、出ても出なくても私にはさほどどちらでもいいことだ。でも、トップさんが順調に代替わりしていく中では、いくら歳を取りにくいジェンヌさんとはいえ、異質なものが混じる違和感はさらに表面化してくるのではないか?
その辺りは劇団も考えているだろう。もしかすると、イシちゃんが堂々と大劇のトップを張ることはできなくなっていくかもしれない。今までのように組子と同一のラインで観ることはできなくなるかもしれない。
退団しないイシちゃんとはいえ、その姿を今までと同じ気持ちで観ることはできなくなるかもしれない。
退団しないからいつでも観られる、と安心していてはいけないんだな、やはり彼、もとい彼女も宝塚歌劇団という時間の流れの中に身を置いていて、「常に移り変わって行くことで、今しか観られないという稀少感で盛り上げる」手法から逃れられないんだ。ちゃんと心してイシちゃんの姿も観ておかなければ。
そんな風に思い至った。
と思うとですね。まーったく歳を取らないみえこ先生って。化け物。
ゴールデンステップスとチケットの行方
2005年6月6日 宝塚汐美さん退団後、じめじめしていた私だからGSというイベントもさほど気には止めていなかった。だが、緑野こあら師匠やkineさんが「観たいけどTCAよりこちらのチケットの方が心配」とおっしゃっているのを聞いて、「ふーん、皆さんが御覧になるなら一応チケット取ってみようか。平日だし、ま、取れてからどうするか考えよう」と気軽に手配した。
幸いなことに、2公演とも取れた。その時は2公演とも観る気はなく、仕事が抜けれそうだったら昼だけを、抜けれなさそうだったら夜だけを観るつもりだった。チケットはギリギリでもさばけるかな?と手元に持っていた。
どの組の誰が出るかもあまりチェックせず、羽山先生の作品も気に掛けず、TCAを観たり、オギーの花組芝居を観たりしていた。
一般発売後、師匠が2公演とも御覧になるということを知った。「ダンス公演だから2回観ないとわからないと思って」と。そうか!ダンス公演だったんだ。誰がどこに出て来るか、全然わからないんだから、私も2回観ればいいんだ。そんな選択肢も思い浮かんでなかった。
2公演とも観る気満々になってきた私。公演前後、師匠とおしゃべりできたら楽しいだろうなぁ。
公演日が近付いてくるにつれ、ちょっとずつネット上に演目が漏れ始めてきた。やーばーい。全然、わからない。
たった4年半しか宝塚ファンしてない私。知っている演目はどうも「With a Song in My Hart」のチャイナドールだけらしい。その頃にはチケットも高騰している事に気付き、なんだか私が2公演も観ていいものか、と自己嫌悪に陥り始めた。観たい人がいっぱいいるのに、2公演ともB席のてっぺんとはいえ、いいんだろうか。ご贔屓が出ているわけでもないのに。
観ても全然わからない、楽しめないかもしれない。
だから、都合で夜は絶対観られない、とわかったとき、なんだかほっとした。悔しい気持ちが4割、でも貴重な公演をこんな人間が観るべきではなかったんだ、神様がそうおっしゃったんだ、と思う気持ち6割、だった。
気持ちの中でチケットが右へ左へ揺れていた。
仕事が忙しく、昼公演も観るのは厳しい状況だったが、なんとか都合をつけたのは1公演なら観てもいい?神様、怒らないかな、と思えたし、師匠たちにもお目にかかりたかったから。
頑張って大劇場に駆け付けた。
感想。
素晴らしかった。胸のすくような公演、プロの仕事だった。楽しかった。観て良かった。いいものみせてもらえた。
どの場面もこの公演の一場面に選ばれただけある。迫力、美しさ、統制の取れた群舞、ダンス。そしてそれをこなす選抜された生徒さんたち。
私がよく知っている月組、星組が出ていたことも幸いした。オペラに入って来る生徒さんたちのたたずまいに覚えがあり、素晴らしい場面に出て、頑張って踊っている姿を観るのはひたすら嬉しかった。
こんなに素晴らしいなら、ぜひ花組も、宙組も出て欲しかった。
知らない演目だったが楽しめた。知らない場面だから楽しめた、とも言えると思う。知っていての楽しみもあるだろうけど、私はチャイナドールを観た時、オリジナルとつい比較してしまったから。全然知らない他の演目も、ひたすら感嘆しながら観ていた。
特に陶酔してしまったのは、2幕目のわたるくんを中心とした大階段の場面。大階段を小さく見せる男・湖月わたるの真骨頂のように思えた。もちろん1幕目も素晴らしかった。公演中なのにあの迫力。"うちのトップさんはすごいでしょ”と誇らしくさえあった。
だから、夜公演、わたるくんファンのkineさんに観てもらえることになって、本当に良かったと思った。
正直、1幕終わった時、「2回目も観たかったよ〜!」とじたじたしていた。観られないのに悔しがっていた。それほど気に入ったのだ。
でも、終演後、ばったりkineさんと合流できて、その姿が目に入った時「この人にあのわたるくんを観てもらいたい!」と強く強く思った。観てもらわなければ!と。
プレミアムチケットを持っている時は、実はいつも私は神様に聞いている。「私がこの公演、観てもいいですか?」と。小心者だから。ダメな時はきっとダメになるだろう。いい時はそっとB席の隅っこから観られるだろう。
今回は「1回は観てもいいよ、でも1回はわたるファンに観てもらいなさい」ってことだったのだと思う。
観て良かった。観てもらえてよかった。心から満足できた公演だった。
☆
真面目な話はこれ位にして。覚え書き兼感想。
・師匠のせいでっ!まちかめぐるが目について目についてしょうがないっす(泣)。幕間にそう言って訴えたら、師匠も同じだそうで。さらに「ゆうほさとるも目につくんです」とおっしゃるからっ!私は2幕目はゆうほさとるも目についてしょうがなくなりました。額に汗するはまこさんも。えーん。観たい人、他にもいっぱいいるのにっ!!呪いはすごいです。
・黒エンビの場面が多かったので、これはもう、着こなせてるかどうかが歴然とわかってしまいました。特に後ろ姿。誰とはいいませんが、下級生さんたちはやはりまだまだなんだな、と。
・上にも書きましたが、わたるくん、素晴らしい!あれだけの男役をしたがえて、なお真ん中で大きく輝いていました。トップオーラが出まくってます。今一番、脂が乗ってるんでしょうね。
・越リュウがいい仕事してました!扱いもよく、さすがダンサー。愛されてますね。
・水くんが芯の場面。キムくんも相変わらず毒々しいし、うめちゃんの開脚、いいんですか状態。男役の女装かと思いました。
・ゆうひくん、ダンス上手くなってます?カウントにも遅れないし、芯の入った踊り方になってきたように感じました。頼もしいです。
・話題のチャイナドール。オリジナル縮小率70パーセント(笑)。色気云々よりも「成功するかどうか」で舞台上も客席も緊張感で張りつめてました。終わってほっとした雰囲気が。
・場面転換が上手く行かず、暗転がちょっと長めだったりして、終演時間が押してました。予定より10分位遅かったんじゃないかな?
・舞台装置はとてもシンプル。1幕目はセリを上手に使い、2幕目は大階段を主に使っていてとてもよい構成でした。
・終演時のご挨拶がまたよかった。組ごとに下級生から一列にさっと袖から走り出て来て一礼。次に上級生。最後にトップさん。リサイタルならでは、ですね。
・イシちゃんのご挨拶もきちんとまとまってました。
・このDVDはご贔屓が出ていれば、どんな下級生でも“買い”だと思います。この公演に出て踊っただけですごいことなんじゃないでしょうか。
こんなところでしょうか。また思い出したり、他の方の感想読んで刺激されて書き足したいところが出てくれば書きます。
☆
白木蓮さま、お世話になりました。お疲れさまでした。遠路はるばるいらした甲斐があった公演でよかったですね。またお目にかかれると嬉しいです。
幸いなことに、2公演とも取れた。その時は2公演とも観る気はなく、仕事が抜けれそうだったら昼だけを、抜けれなさそうだったら夜だけを観るつもりだった。チケットはギリギリでもさばけるかな?と手元に持っていた。
どの組の誰が出るかもあまりチェックせず、羽山先生の作品も気に掛けず、TCAを観たり、オギーの花組芝居を観たりしていた。
一般発売後、師匠が2公演とも御覧になるということを知った。「ダンス公演だから2回観ないとわからないと思って」と。そうか!ダンス公演だったんだ。誰がどこに出て来るか、全然わからないんだから、私も2回観ればいいんだ。そんな選択肢も思い浮かんでなかった。
2公演とも観る気満々になってきた私。公演前後、師匠とおしゃべりできたら楽しいだろうなぁ。
公演日が近付いてくるにつれ、ちょっとずつネット上に演目が漏れ始めてきた。やーばーい。全然、わからない。
たった4年半しか宝塚ファンしてない私。知っている演目はどうも「With a Song in My Hart」のチャイナドールだけらしい。その頃にはチケットも高騰している事に気付き、なんだか私が2公演も観ていいものか、と自己嫌悪に陥り始めた。観たい人がいっぱいいるのに、2公演ともB席のてっぺんとはいえ、いいんだろうか。ご贔屓が出ているわけでもないのに。
観ても全然わからない、楽しめないかもしれない。
だから、都合で夜は絶対観られない、とわかったとき、なんだかほっとした。悔しい気持ちが4割、でも貴重な公演をこんな人間が観るべきではなかったんだ、神様がそうおっしゃったんだ、と思う気持ち6割、だった。
気持ちの中でチケットが右へ左へ揺れていた。
仕事が忙しく、昼公演も観るのは厳しい状況だったが、なんとか都合をつけたのは1公演なら観てもいい?神様、怒らないかな、と思えたし、師匠たちにもお目にかかりたかったから。
頑張って大劇場に駆け付けた。
感想。
素晴らしかった。胸のすくような公演、プロの仕事だった。楽しかった。観て良かった。いいものみせてもらえた。
どの場面もこの公演の一場面に選ばれただけある。迫力、美しさ、統制の取れた群舞、ダンス。そしてそれをこなす選抜された生徒さんたち。
私がよく知っている月組、星組が出ていたことも幸いした。オペラに入って来る生徒さんたちのたたずまいに覚えがあり、素晴らしい場面に出て、頑張って踊っている姿を観るのはひたすら嬉しかった。
こんなに素晴らしいなら、ぜひ花組も、宙組も出て欲しかった。
知らない演目だったが楽しめた。知らない場面だから楽しめた、とも言えると思う。知っていての楽しみもあるだろうけど、私はチャイナドールを観た時、オリジナルとつい比較してしまったから。全然知らない他の演目も、ひたすら感嘆しながら観ていた。
特に陶酔してしまったのは、2幕目のわたるくんを中心とした大階段の場面。大階段を小さく見せる男・湖月わたるの真骨頂のように思えた。もちろん1幕目も素晴らしかった。公演中なのにあの迫力。"うちのトップさんはすごいでしょ”と誇らしくさえあった。
だから、夜公演、わたるくんファンのkineさんに観てもらえることになって、本当に良かったと思った。
正直、1幕終わった時、「2回目も観たかったよ〜!」とじたじたしていた。観られないのに悔しがっていた。それほど気に入ったのだ。
でも、終演後、ばったりkineさんと合流できて、その姿が目に入った時「この人にあのわたるくんを観てもらいたい!」と強く強く思った。観てもらわなければ!と。
プレミアムチケットを持っている時は、実はいつも私は神様に聞いている。「私がこの公演、観てもいいですか?」と。小心者だから。ダメな時はきっとダメになるだろう。いい時はそっとB席の隅っこから観られるだろう。
今回は「1回は観てもいいよ、でも1回はわたるファンに観てもらいなさい」ってことだったのだと思う。
観て良かった。観てもらえてよかった。心から満足できた公演だった。
☆
真面目な話はこれ位にして。覚え書き兼感想。
・師匠のせいでっ!まちかめぐるが目について目についてしょうがないっす(泣)。幕間にそう言って訴えたら、師匠も同じだそうで。さらに「ゆうほさとるも目につくんです」とおっしゃるからっ!私は2幕目はゆうほさとるも目についてしょうがなくなりました。額に汗するはまこさんも。えーん。観たい人、他にもいっぱいいるのにっ!!呪いはすごいです。
・黒エンビの場面が多かったので、これはもう、着こなせてるかどうかが歴然とわかってしまいました。特に後ろ姿。誰とはいいませんが、下級生さんたちはやはりまだまだなんだな、と。
・上にも書きましたが、わたるくん、素晴らしい!あれだけの男役をしたがえて、なお真ん中で大きく輝いていました。トップオーラが出まくってます。今一番、脂が乗ってるんでしょうね。
・越リュウがいい仕事してました!扱いもよく、さすがダンサー。愛されてますね。
・水くんが芯の場面。キムくんも相変わらず毒々しいし、うめちゃんの開脚、いいんですか状態。男役の女装かと思いました。
・ゆうひくん、ダンス上手くなってます?カウントにも遅れないし、芯の入った踊り方になってきたように感じました。頼もしいです。
・話題のチャイナドール。オリジナル縮小率70パーセント(笑)。色気云々よりも「成功するかどうか」で舞台上も客席も緊張感で張りつめてました。終わってほっとした雰囲気が。
・場面転換が上手く行かず、暗転がちょっと長めだったりして、終演時間が押してました。予定より10分位遅かったんじゃないかな?
・舞台装置はとてもシンプル。1幕目はセリを上手に使い、2幕目は大階段を主に使っていてとてもよい構成でした。
・終演時のご挨拶がまたよかった。組ごとに下級生から一列にさっと袖から走り出て来て一礼。次に上級生。最後にトップさん。リサイタルならでは、ですね。
・イシちゃんのご挨拶もきちんとまとまってました。
・このDVDはご贔屓が出ていれば、どんな下級生でも“買い”だと思います。この公演に出て踊っただけですごいことなんじゃないでしょうか。
こんなところでしょうか。また思い出したり、他の方の感想読んで刺激されて書き足したいところが出てくれば書きます。
☆
白木蓮さま、お世話になりました。お疲れさまでした。遠路はるばるいらした甲斐があった公演でよかったですね。またお目にかかれると嬉しいです。
2歳児を連れての観劇は、さらに困難を極めるようになってきた。げんなり。
まず、家を出るまでが大変。もちろん前日までの体調管理は必要。朝起き抜けに額に手を当ててヒヤッとしていたらほっとする。マザーバッグに着替え、タオル、オムツ、お尻拭き、おやつor食事を詰め込む。自分の荷物は最小限にしてリュックに背負う。チケットと財布、双眼鏡程度。化粧なんてしてる余裕なし。
家を出るまでにチケット手配、チャイルドルーム予約ももちろんやっている。チャイルドルームに預けるには、席番が必要なので、ギリギリまでサバキを狙うなんてことは不可。サバキでも当日券でも即座の判断で決めなければならない。事前に手配する場合は、「せっかくだから行きたいけど、諦めるのに躊躇しない」席でないと。あまりによすぎる席だと諦める判断が狂うし、あまりに悪い席だと行く意欲が減退するから、1階A席辺りが適当。ぜぇぜぇ。
11時公演のときはまだいい。朝食が済んで、家事を済ませたら家を出る時間。本人もご機嫌。車に乗ってしばらくしたらうとうとし始めるし。
問題は15時公演。1時過ぎには家を出たいのだが、それがデンジャラス。ちょうど昼食&お昼寝時間に重なるのだ。お昼寝時間を左右するのは起床時間。早すぎると12時前から寝ちまって家を出る時間には夢の中。かといって遅すぎると朝食が遅くなり、昼食も遅くなる。
12時半頃には昼食を終え、車に乗り込んだ途端ぐっすり、という理想的なパターンに持ち込むには、朝は8時までに起きてすみやかに朝食を済ませ、家事、お買い物の後、12時過ぎからお昼ご飯。片づけを済ませる間に寝てしまわないように注意、というところ。
これまでは、思ったとおりになんとかなってきた。ところが理想的なパターンがわかっていても、その通りに進まないのが2歳児なのだ。「ご飯にしようね」「イヤ!」「お出かけするから靴下はこうね」「イヤ!」「ベビーカー乗ろうね」「イヤ!」。なだめすかしてなんとか前進しても、車庫のキーを鍵穴に突っ込ませろ、車のドアは自分で開けさせろ、ベビーシートには自分で乗り込ませろ、チャイルドシートのバックルは自分でつけさせろetc.。時間が3倍はかかる。だから逆算してスタートしなければ間に合わない。
運転し始めたら、やはり緊張するし。自分ひとりならのんびり運転しているが、貴重な一粒種を連れているんだから、事故るのも事故られるのも困る。安全運転第一。せめて車内のBGMは好きなものを、と「ドルチェ・ヴィータ」をかけたいのだが、歌を歌えと要求され、「大きな栗の木の下で」とか「森のくまさん」を歌わされる。赤信号でヘンな振り付き踊りをしている運転席の女がいたら、それは私です。
11時公演はお弁当を用意するのが手間。チャイルドルームのスタッフさんに見栄を張りたい意識が働いて、つい手作り弁当デザート付、なんて考えてしまうからそれもおっくう。15時公演はおやつだけでいいんだけど。その場合も、甘辛&飲み物4種位(息子は飲み物好き)用意しなければなぁ。
ムラについたら、車から降ろし、チャイルドルームに行くのだが、チケットカウンター横の階段を上らねばならない。寝起きでぼーっとしている場合などは自分では歩かないから、えっちらおっちら、ベビーカーごと持ち上げてあがっていく。全部で20kg以上あるような気がする。
受付時間になって書類を書き、料金を払う。子供をスタッフさんに渡すと泣きそうな顔になるのでこちらも胸が痛い。マザーバッグをロッカーに入れ、簡単に説明してやっと身軽になれる。大体その時でもう開演20分前。トイレにいってキャトルをざっと見るだけで時間が過ぎていく。
観劇中はポケットのポケベルが鳴らないよう祈りながら観ている。11時公演のときは、あらかじめ買っておいたおにぎりなどを幕間に口に押し込んで自分の昼食は終了。
終演後は一目散にチャイルドルームへ。子供は大抵上機嫌で遊んでいるか、寝ていたかしているらしい。スタッフさん受けもよい。
階段は一人で降りてくれるものの、今度は大劇場前でひとしきり遊ばねば、車に乗ってくれない。花をむしったりアリを追い掛け回したり。追加でおやつを要求されたり。
なだめすかして車に乗せて、帰路につく。子供はまたぐっすり。親はへとへとで運転。観劇の余韻はどこへ行った?
早速にでも日記に書いたりしたいのに、夕食の用意をしたりしているとパソコンに向かう暇など一瞬もない。携帯チェックするだけで息子がやってくるもの。
☆
てなわけでして、これなら会社を半休して観劇したほうがナンボかラク。でも最近は仕事が混んできて、休みにくくなってきた。しくしく。
子供連れてまで、休んでまで、観たいと思える公演でないと観劇するための意欲が奮い起こせなくなってきてしまった。でも、友人と会いたい、観劇したい、おしゃべりしたい。子供を生むまで当然のようにしていたことが、当然でなくなってしまった。2歳を越えて3歳、4歳となっていくともっと大変になるのだろうか?どこかで楽になれる転換点はあるのだろうか。
とまぁ、なんでこんなにこと細かに「育児の大変さ」をしたためているかというと、「忘れる」からなんです。首が据わってない生後間もなくなんてどうやって風呂に入れていたんだろう?こちらと会話が全くできない1歳頃なんてどうやって子供の要求を理解していたのだろう。
もうまったく思い出せない。過去の辛いことは忘れる。それが育児なのかもしれない。
日記に書いておけば「そういえばそうだった」と読めば思い出せる。
ご贔屓が退団した日のことは、数カ月たっても何から何まで事細かに覚えているのにねぇ。
まず、家を出るまでが大変。もちろん前日までの体調管理は必要。朝起き抜けに額に手を当ててヒヤッとしていたらほっとする。マザーバッグに着替え、タオル、オムツ、お尻拭き、おやつor食事を詰め込む。自分の荷物は最小限にしてリュックに背負う。チケットと財布、双眼鏡程度。化粧なんてしてる余裕なし。
家を出るまでにチケット手配、チャイルドルーム予約ももちろんやっている。チャイルドルームに預けるには、席番が必要なので、ギリギリまでサバキを狙うなんてことは不可。サバキでも当日券でも即座の判断で決めなければならない。事前に手配する場合は、「せっかくだから行きたいけど、諦めるのに躊躇しない」席でないと。あまりによすぎる席だと諦める判断が狂うし、あまりに悪い席だと行く意欲が減退するから、1階A席辺りが適当。ぜぇぜぇ。
11時公演のときはまだいい。朝食が済んで、家事を済ませたら家を出る時間。本人もご機嫌。車に乗ってしばらくしたらうとうとし始めるし。
問題は15時公演。1時過ぎには家を出たいのだが、それがデンジャラス。ちょうど昼食&お昼寝時間に重なるのだ。お昼寝時間を左右するのは起床時間。早すぎると12時前から寝ちまって家を出る時間には夢の中。かといって遅すぎると朝食が遅くなり、昼食も遅くなる。
12時半頃には昼食を終え、車に乗り込んだ途端ぐっすり、という理想的なパターンに持ち込むには、朝は8時までに起きてすみやかに朝食を済ませ、家事、お買い物の後、12時過ぎからお昼ご飯。片づけを済ませる間に寝てしまわないように注意、というところ。
これまでは、思ったとおりになんとかなってきた。ところが理想的なパターンがわかっていても、その通りに進まないのが2歳児なのだ。「ご飯にしようね」「イヤ!」「お出かけするから靴下はこうね」「イヤ!」「ベビーカー乗ろうね」「イヤ!」。なだめすかしてなんとか前進しても、車庫のキーを鍵穴に突っ込ませろ、車のドアは自分で開けさせろ、ベビーシートには自分で乗り込ませろ、チャイルドシートのバックルは自分でつけさせろetc.。時間が3倍はかかる。だから逆算してスタートしなければ間に合わない。
運転し始めたら、やはり緊張するし。自分ひとりならのんびり運転しているが、貴重な一粒種を連れているんだから、事故るのも事故られるのも困る。安全運転第一。せめて車内のBGMは好きなものを、と「ドルチェ・ヴィータ」をかけたいのだが、歌を歌えと要求され、「大きな栗の木の下で」とか「森のくまさん」を歌わされる。赤信号でヘンな振り付き踊りをしている運転席の女がいたら、それは私です。
11時公演はお弁当を用意するのが手間。チャイルドルームのスタッフさんに見栄を張りたい意識が働いて、つい手作り弁当デザート付、なんて考えてしまうからそれもおっくう。15時公演はおやつだけでいいんだけど。その場合も、甘辛&飲み物4種位(息子は飲み物好き)用意しなければなぁ。
ムラについたら、車から降ろし、チャイルドルームに行くのだが、チケットカウンター横の階段を上らねばならない。寝起きでぼーっとしている場合などは自分では歩かないから、えっちらおっちら、ベビーカーごと持ち上げてあがっていく。全部で20kg以上あるような気がする。
受付時間になって書類を書き、料金を払う。子供をスタッフさんに渡すと泣きそうな顔になるのでこちらも胸が痛い。マザーバッグをロッカーに入れ、簡単に説明してやっと身軽になれる。大体その時でもう開演20分前。トイレにいってキャトルをざっと見るだけで時間が過ぎていく。
観劇中はポケットのポケベルが鳴らないよう祈りながら観ている。11時公演のときは、あらかじめ買っておいたおにぎりなどを幕間に口に押し込んで自分の昼食は終了。
終演後は一目散にチャイルドルームへ。子供は大抵上機嫌で遊んでいるか、寝ていたかしているらしい。スタッフさん受けもよい。
階段は一人で降りてくれるものの、今度は大劇場前でひとしきり遊ばねば、車に乗ってくれない。花をむしったりアリを追い掛け回したり。追加でおやつを要求されたり。
なだめすかして車に乗せて、帰路につく。子供はまたぐっすり。親はへとへとで運転。観劇の余韻はどこへ行った?
早速にでも日記に書いたりしたいのに、夕食の用意をしたりしているとパソコンに向かう暇など一瞬もない。携帯チェックするだけで息子がやってくるもの。
☆
てなわけでして、これなら会社を半休して観劇したほうがナンボかラク。でも最近は仕事が混んできて、休みにくくなってきた。しくしく。
子供連れてまで、休んでまで、観たいと思える公演でないと観劇するための意欲が奮い起こせなくなってきてしまった。でも、友人と会いたい、観劇したい、おしゃべりしたい。子供を生むまで当然のようにしていたことが、当然でなくなってしまった。2歳を越えて3歳、4歳となっていくともっと大変になるのだろうか?どこかで楽になれる転換点はあるのだろうか。
とまぁ、なんでこんなにこと細かに「育児の大変さ」をしたためているかというと、「忘れる」からなんです。首が据わってない生後間もなくなんてどうやって風呂に入れていたんだろう?こちらと会話が全くできない1歳頃なんてどうやって子供の要求を理解していたのだろう。
もうまったく思い出せない。過去の辛いことは忘れる。それが育児なのかもしれない。
日記に書いておけば「そういえばそうだった」と読めば思い出せる。
ご贔屓が退団した日のことは、数カ月たっても何から何まで事細かに覚えているのにねぇ。
あの人はやっぱりいなかった星組ショー
2005年5月31日 宝塚ショーは、久々に普通のショーを観た、という印象が強い。藤井先生のショーがまともかどうかは置いといて、でも星組では1本モノとか「ドルチェ・ヴィータ」とかやってたから花組や雪組でやってるような普通のショーは久々。特にわたるくん、トップにおける作品のひとつに普通のショーが来てよかったね、と思った。
となると、もしかしてケロちゃんて普通のショーって出てない?今回のショーに出る前に辞めたんだからさぁ。
月組時代だってリカちゃんときはまともなショーはなかったし。さらに遡ってまみさんときは「ESP」とか「BMB」とかだしなぁ。「ジャズマニア」くらいかなぁ?
芝居では平気だったのに、ショーになるとあの人がいないことをどの瞬間にも感じてしまい、ショーを楽しむどころではなかった。
しょうがない。これは儀式だ。ご贔屓が辞めた人間が、次にその組を観る時に経なければならない関門だ。
檀ちゃんだけは見つめつづけた。ああ、ちゃんとショーではわたるくんと組んでいる。わたるくんもまた本来のトップ姿に戻って大きなオーラを出し続けている。いいなぁ、この2人。とうこちゃんもいいなぁ、しぃちゃんもまとぶんもすずみんもみらんくんもれおんくんもあかしも。うめちゃん、となみちゃん、みなみちゃん、せんどーさん・・・。皆頑張ってね。
楽しいショー。あのひとつ前のショーのような、はまると抜け出せない美しい悪夢の世界とは違う、楽しく華やかな世界。あの人のいない世界だからただひたすらこちら側から眺めているだけでいい。
途中、黒タキシードの場面があって、花組っぽいな?と思っていたらヤンさんの振り付けだったようだ。
檀ちゃんとわたるくんのデュエットダンス。ソフト帽とトレンチという、檀ちゃんらしいいでたちで彼女は大階段を登って消えて行った。わたるくんが一人すぐセリ下がって行く時の、哀愁に満ちた表情も嬉しかった。
☆
この公演は、サバキでチケットをゲットした。門の前まで係員さんが出て来て目を光らせるようになって、またサバキがしにくくなっていた。もういいじゃん。大目に見てよね。
迷う間もなく1階A席を入手して座席についてしばらくして「おっ?」となった。私の隣辺りからずらーっと会服を着た人たちの群れが。どうも湖月会らしい。トップ会はさすがの迫力で、座っているだけで集団のオーラが漂って来る。私がまみ会やケロ会に入っていた時、総見に参加したことはなかったので、こんなに会の人の近くで観るのは初めての経験。ひー、びっくり。私周辺のそこだけ一般客な一団だけ浮いていた。もしかしてわたるくんの視線のおこぼれが来るかも?とちょっと嬉しかったけど。
開演5分前になって金髪な人たちが歩いて来る。期待しない時に限って生徒の観劇があることが多い。でもほとんど誰が誰だかわからないから私には豚に真珠なんだけど。
でもさすがに最後にやってきた人はわかった。あさこちゃんとゆうひくんだった。あさこちゃん、とわかった時点で観客から拍手が上がる。トップ就任おめでとう、ということだね。照れたように笑うあさこちゃんとは対照的にまったく表情を変えずに歩く眼鏡のゆうひくん。ク、クールビューティねぇ。
思い返してみると、私がオフのゆうひくんを見る時は、たいていニコニコしたので、今回、都合4回それなりの近さで見たけど常に表情は「クール」で何だか新鮮だった。あれがいつもの姿なのかな?私のこれまでの印象は「血と砂」の終演時兄弟漫才ご挨拶とか、CSやWOWWOWでケロちゃんとしゃべってる時とか、入り出でファンの人からお手紙受け取っている時とか、DSで同じテーブルの組子たちと談笑してるとか、だったからなぁ。芦屋美術館で見た時もそれなりにニコニコしていたよ?
後からもうひとりがかなみちゃんとわかった。意外な程ほっそりしていた。
☆
幕間にはkineさんにお付き合いいただいてプチミュージアムも行ったし、しぃちゃんがきちんと顔を元に戻していたのも確認したし(TCAでころっころになっていてびっくりしたのよ)。なかなか実り多い???観劇だった。
でも一番、強く感じたのは、あの人、汐美真帆はいないのだ、ということだった。
となると、もしかしてケロちゃんて普通のショーって出てない?今回のショーに出る前に辞めたんだからさぁ。
月組時代だってリカちゃんときはまともなショーはなかったし。さらに遡ってまみさんときは「ESP」とか「BMB」とかだしなぁ。「ジャズマニア」くらいかなぁ?
芝居では平気だったのに、ショーになるとあの人がいないことをどの瞬間にも感じてしまい、ショーを楽しむどころではなかった。
しょうがない。これは儀式だ。ご贔屓が辞めた人間が、次にその組を観る時に経なければならない関門だ。
檀ちゃんだけは見つめつづけた。ああ、ちゃんとショーではわたるくんと組んでいる。わたるくんもまた本来のトップ姿に戻って大きなオーラを出し続けている。いいなぁ、この2人。とうこちゃんもいいなぁ、しぃちゃんもまとぶんもすずみんもみらんくんもれおんくんもあかしも。うめちゃん、となみちゃん、みなみちゃん、せんどーさん・・・。皆頑張ってね。
楽しいショー。あのひとつ前のショーのような、はまると抜け出せない美しい悪夢の世界とは違う、楽しく華やかな世界。あの人のいない世界だからただひたすらこちら側から眺めているだけでいい。
途中、黒タキシードの場面があって、花組っぽいな?と思っていたらヤンさんの振り付けだったようだ。
檀ちゃんとわたるくんのデュエットダンス。ソフト帽とトレンチという、檀ちゃんらしいいでたちで彼女は大階段を登って消えて行った。わたるくんが一人すぐセリ下がって行く時の、哀愁に満ちた表情も嬉しかった。
☆
この公演は、サバキでチケットをゲットした。門の前まで係員さんが出て来て目を光らせるようになって、またサバキがしにくくなっていた。もういいじゃん。大目に見てよね。
迷う間もなく1階A席を入手して座席についてしばらくして「おっ?」となった。私の隣辺りからずらーっと会服を着た人たちの群れが。どうも湖月会らしい。トップ会はさすがの迫力で、座っているだけで集団のオーラが漂って来る。私がまみ会やケロ会に入っていた時、総見に参加したことはなかったので、こんなに会の人の近くで観るのは初めての経験。ひー、びっくり。私周辺のそこだけ一般客な一団だけ浮いていた。もしかしてわたるくんの視線のおこぼれが来るかも?とちょっと嬉しかったけど。
開演5分前になって金髪な人たちが歩いて来る。期待しない時に限って生徒の観劇があることが多い。でもほとんど誰が誰だかわからないから私には豚に真珠なんだけど。
でもさすがに最後にやってきた人はわかった。あさこちゃんとゆうひくんだった。あさこちゃん、とわかった時点で観客から拍手が上がる。トップ就任おめでとう、ということだね。照れたように笑うあさこちゃんとは対照的にまったく表情を変えずに歩く眼鏡のゆうひくん。ク、クールビューティねぇ。
思い返してみると、私がオフのゆうひくんを見る時は、たいていニコニコしたので、今回、都合4回それなりの近さで見たけど常に表情は「クール」で何だか新鮮だった。あれがいつもの姿なのかな?私のこれまでの印象は「血と砂」の終演時兄弟漫才ご挨拶とか、CSやWOWWOWでケロちゃんとしゃべってる時とか、入り出でファンの人からお手紙受け取っている時とか、DSで同じテーブルの組子たちと談笑してるとか、だったからなぁ。芦屋美術館で見た時もそれなりにニコニコしていたよ?
後からもうひとりがかなみちゃんとわかった。意外な程ほっそりしていた。
☆
幕間にはkineさんにお付き合いいただいてプチミュージアムも行ったし、しぃちゃんがきちんと顔を元に戻していたのも確認したし(TCAでころっころになっていてびっくりしたのよ)。なかなか実り多い???観劇だった。
でも一番、強く感じたのは、あの人、汐美真帆はいないのだ、ということだった。
豪華な舞踊会だった星組芝居
2005年5月29日 宝塚大劇場星組公演「長崎しぐれ坂/ソウル・オブ・シバ」を観てきた。
本当は楽ギリギリに1回だけ観るつもりだった。だが、月エリザ楽のように子供が体調崩したり、仕事が休めなかったりで、行けなくなることも考えられる。この星公演、ご贔屓が出てるわけでなし、また観なければ後悔する作品ではなさそうだし(特に芝居)、諦めはつくとは思うが、やはり檀ちゃんを見納められないのは辛い。檀ちゃん大好きだもん。
ケロちゃんがいない星組の舞台を観るのは辛いことは分かっていた。いつかは観なければならない、その最初をいつにするか、できるだけ遅いほうがよかった。でも檀ちゃんは観なければ。そう思ってふと「今日なら行ける」と条件が整った日曜日に急遽、行ってきた。
芝居はトンデモの一種だったので、特にどうということはなかったけど、ショーはねぇ、やっぱり。いるべきはずの人が、いるべき一群の中にいないのだ。なにより、そこにとうこちゃんがいるのに、挙句に、客席にはゆうひくんまでいるのに、あなたはいないのだ。
なんでいないの?
あそこにいれば、赤い衣装、白い衣装を着て、誰よりも嬉しそうな笑顔で踊っていただろう。私はそれを観て、わくわくしていただろう。美しい顔にうっとりしていただろう。醸し出される色気にどきどきしていただろう。
扱いとかの問題じゃなくて、ただ、ただ、そこにいないことが寂しく、辛かった。ただ、そこにいて欲しかった。
でもわかってる。2度目を観たならこんなに辛くはないだろう。まみさんの時の経験から自分が慣れていくものだ、ということは分かっているから。慣れる、ということもまた淋しいものだな、と思う。いないことを当然と受け止める自分を認めることなんだから。
☆
で、芝居。「舞踊会+梅田コマ劇場公演5月特別公演 主演:轟悠 ゲスト:宝塚歌劇団星組の皆さん」つーことですかね。最初っから舞踊会と思って観ていれば、プロローグの長い踊りも楽しめる。ちょっと時代がかったセリフがくっついてるんだな、とかね。途中の精霊流しの部分なんかは舞踊会にしちゃ、ドラマチックな迫力があってとても気に入った。
観劇中は、緑野こあら師匠やkineさんがおっしゃるように、「この芝居、誰が喜ぶんだろう」という思いが頭の中をぐるぐると回っていた。団体のおじ(い)さま、おば(あ)さまは喜ばれるかもしれない。しかしなぁ、クライマックス、卯之助が袖の下から小舟を指差して「(逃げろ)」と指し示すなんてちっちゃな芝居(わたるくんは極力大きな動作にしていたけど)、じさまばさまには見えないと思うよ?大芝居にするならもっとわかりやすーくする方が親切というものだ。
そうそう、師匠の日記にあった”子役の場面の背景の巨大○キブリ”ってなーんのことか?と思っていたら、あの神輿ですか!確かに動き方がなんともゴ○ブリそっくりで、観ていて必死に笑いをこらえてしまいました。
芝居で強く思ったのは、ひとことで言えば、皆、役不足、ということだった。わたるくんはさすがにもうトップ4作目で、はっきりいって岡っ引きの小物の風情がない。持ち味の包容感とも相まって、えらく大物に見えちゃう。トップ就任1作目2作目辺りでイシちゃんに客演願うならまぁ、わからんでもないけど今さら、という位トップオーラが漂いまくっていた。これまでやってきた役が英雄だの皇帝陛下だもんねぇ。
とうこちゃんも血気盛んな親思いの無鉄砲者ににしちゃあ、何だかそこはかとなく達観した雰囲気があって、こちらも“大芝居してまーす”って感じが。まとぶんもこの程度の役ならきっちりこなすし、しぃちゃんはまんま過ぎて(笑)余裕を感じさせてくれた。
もちろん檀ちゃんも。退団公演なのに(リピート100回)途中で消える。その最後の場面。わたるくんとのやりとりとか、一人で決意を語る場面とか、思いの丈というか迫力ありすぎ。
結局、どーしよーもない芝居を、役者の力でどうにかしようと脂が乗ってきたトップさんや、退団前の経験豊かなトップ娘役、これまた経験たっぷりの2番手以下が、どうにかしようと頑張れば頑張る程、ますます与えられた役と乖離していく哀しさ。
初日の幕が明いてまだ2週間程度だと思うんだけど、それでこんなになってちゃあ、これからどうなっていくの?と心配だった。だんだん落としどころが分かってちょうどいいところで止まるのかなぁ?
で、イシちゃんは?というとですね。この芝居の「ヒロイン」ですよね?たった一発撃たれただけではかなく倒れ、小舟の中でトップさんの胸に抱かれてスモークの中で死んでいくんですから。てなことを終演後、師匠にお話ししていたら「初日よりもっとヒロインぽくなってきてますよ」とにっこりおっしゃった。イシちゃんもまた、この芝居を何とかしようと頑張ってるんだなぁ。ちと違う?
ま、何にせよ、これをリピートしなくて済んでよかったな、檀ちゃんファンは可哀相だ!次観るならショーからでいいかな、いや、芝居の途中に挟まってる舞踊会の2幕目はなかなかいいからそこだけ観たいな、とか。まぁ、そんな芝居だった。
あ、柚長さんいい女でした!この役、新公でみなみちゃんがやるんだよね?れおんくんとベッドシーン、観てみたい〜。うっとり。
本当は楽ギリギリに1回だけ観るつもりだった。だが、月エリザ楽のように子供が体調崩したり、仕事が休めなかったりで、行けなくなることも考えられる。この星公演、ご贔屓が出てるわけでなし、また観なければ後悔する作品ではなさそうだし(特に芝居)、諦めはつくとは思うが、やはり檀ちゃんを見納められないのは辛い。檀ちゃん大好きだもん。
ケロちゃんがいない星組の舞台を観るのは辛いことは分かっていた。いつかは観なければならない、その最初をいつにするか、できるだけ遅いほうがよかった。でも檀ちゃんは観なければ。そう思ってふと「今日なら行ける」と条件が整った日曜日に急遽、行ってきた。
芝居はトンデモの一種だったので、特にどうということはなかったけど、ショーはねぇ、やっぱり。いるべきはずの人が、いるべき一群の中にいないのだ。なにより、そこにとうこちゃんがいるのに、挙句に、客席にはゆうひくんまでいるのに、あなたはいないのだ。
なんでいないの?
あそこにいれば、赤い衣装、白い衣装を着て、誰よりも嬉しそうな笑顔で踊っていただろう。私はそれを観て、わくわくしていただろう。美しい顔にうっとりしていただろう。醸し出される色気にどきどきしていただろう。
扱いとかの問題じゃなくて、ただ、ただ、そこにいないことが寂しく、辛かった。ただ、そこにいて欲しかった。
でもわかってる。2度目を観たならこんなに辛くはないだろう。まみさんの時の経験から自分が慣れていくものだ、ということは分かっているから。慣れる、ということもまた淋しいものだな、と思う。いないことを当然と受け止める自分を認めることなんだから。
☆
で、芝居。「舞踊会+梅田コマ劇場公演5月特別公演 主演:轟悠 ゲスト:宝塚歌劇団星組の皆さん」つーことですかね。最初っから舞踊会と思って観ていれば、プロローグの長い踊りも楽しめる。ちょっと時代がかったセリフがくっついてるんだな、とかね。途中の精霊流しの部分なんかは舞踊会にしちゃ、ドラマチックな迫力があってとても気に入った。
観劇中は、緑野こあら師匠やkineさんがおっしゃるように、「この芝居、誰が喜ぶんだろう」という思いが頭の中をぐるぐると回っていた。団体のおじ(い)さま、おば(あ)さまは喜ばれるかもしれない。しかしなぁ、クライマックス、卯之助が袖の下から小舟を指差して「(逃げろ)」と指し示すなんてちっちゃな芝居(わたるくんは極力大きな動作にしていたけど)、じさまばさまには見えないと思うよ?大芝居にするならもっとわかりやすーくする方が親切というものだ。
そうそう、師匠の日記にあった”子役の場面の背景の巨大○キブリ”ってなーんのことか?と思っていたら、あの神輿ですか!確かに動き方がなんともゴ○ブリそっくりで、観ていて必死に笑いをこらえてしまいました。
芝居で強く思ったのは、ひとことで言えば、皆、役不足、ということだった。わたるくんはさすがにもうトップ4作目で、はっきりいって岡っ引きの小物の風情がない。持ち味の包容感とも相まって、えらく大物に見えちゃう。トップ就任1作目2作目辺りでイシちゃんに客演願うならまぁ、わからんでもないけど今さら、という位トップオーラが漂いまくっていた。これまでやってきた役が英雄だの皇帝陛下だもんねぇ。
とうこちゃんも血気盛んな親思いの無鉄砲者ににしちゃあ、何だかそこはかとなく達観した雰囲気があって、こちらも“大芝居してまーす”って感じが。まとぶんもこの程度の役ならきっちりこなすし、しぃちゃんはまんま過ぎて(笑)余裕を感じさせてくれた。
もちろん檀ちゃんも。退団公演なのに(リピート100回)途中で消える。その最後の場面。わたるくんとのやりとりとか、一人で決意を語る場面とか、思いの丈というか迫力ありすぎ。
結局、どーしよーもない芝居を、役者の力でどうにかしようと脂が乗ってきたトップさんや、退団前の経験豊かなトップ娘役、これまた経験たっぷりの2番手以下が、どうにかしようと頑張れば頑張る程、ますます与えられた役と乖離していく哀しさ。
初日の幕が明いてまだ2週間程度だと思うんだけど、それでこんなになってちゃあ、これからどうなっていくの?と心配だった。だんだん落としどころが分かってちょうどいいところで止まるのかなぁ?
で、イシちゃんは?というとですね。この芝居の「ヒロイン」ですよね?たった一発撃たれただけではかなく倒れ、小舟の中でトップさんの胸に抱かれてスモークの中で死んでいくんですから。てなことを終演後、師匠にお話ししていたら「初日よりもっとヒロインぽくなってきてますよ」とにっこりおっしゃった。イシちゃんもまた、この芝居を何とかしようと頑張ってるんだなぁ。ちと違う?
ま、何にせよ、これをリピートしなくて済んでよかったな、檀ちゃんファンは可哀相だ!次観るならショーからでいいかな、いや、芝居の途中に挟まってる舞踊会の2幕目はなかなかいいからそこだけ観たいな、とか。まぁ、そんな芝居だった。
あ、柚長さんいい女でした!この役、新公でみなみちゃんがやるんだよね?れおんくんとベッドシーン、観てみたい〜。うっとり。
東京会汐美真帆ヒストリービデオ&写真集
2005年5月28日 宝塚私たちは愛されてたなぁ、愛されていたんだなぁ。
今日。最後の汐美東京会からのお届けものが。来るのがイヤだった。これが本当の最後だと思いたくなかったから。
でも、それよりも、「愛されてる」実感を感じて、気持ちがやわらかく優しくなった。
何なんだろうね。こんなにファンのことを大切にしてくれる人って、ね。
私がそれを一番感じたのは、写真集の一番最後の写真だった。ありがとう、汐美さん。心から。ありがとう。
今日。最後の汐美東京会からのお届けものが。来るのがイヤだった。これが本当の最後だと思いたくなかったから。
でも、それよりも、「愛されてる」実感を感じて、気持ちがやわらかく優しくなった。
何なんだろうね。こんなにファンのことを大切にしてくれる人って、ね。
私がそれを一番感じたのは、写真集の一番最後の写真だった。ありがとう、汐美さん。心から。ありがとう。
ハウルは男の子、だった。
いや、ゆうひくんの猫の話。今月号のグラフを立ち読みしたのは、お部屋紹介のコーナーがゆうひくんだと聞いたから。
部屋のイラストの中に当然のようにいるグレーの猫。「今年になって飼い始めた雄猫」とあった。ハウルっちゅー名前だから男の子だと思っていたが、やっぱりそうだったか。
☆
先日、緑野こあら師匠とお目にかかった時、話題の一つに当然のように猫の話が出た。師匠も私も完全猫派。猫族。自分ちの猫の愛らしさ(含むバカな話)を語り合う。ああ、猫の可愛さを分かってくれる人と話せる心地よさ。
師匠はおっしゃる。「犬も飼いたいなぁ。愛されたいわ」と。
師匠は以前にも日記でおっしゃっていたけど、猫好きは総じて犬も好き。我が家は一族郎党猫好きの家系だが(この前の実家の物置きのリフォームでは、猫用の屋根付き出入り口を作っていた)、皆確かに犬も好きで以前は犬を飼っていたし、犬を見ると駆け寄ってしまう。犬っつーか動物好きなようだ。
犬好きな人は、猫には興味を示さない。“自分を愛してくれる人”が好きなんだそうだ。
師匠、私が愛してますから、それじゃダメ?猫好きは、犬も好きでしょうが、毎日毎日“愛してまーす!”と言われると、それはそれでうっとおしいと思いますよん?
いやいや、師匠も“愛する、人”なんだと思う。愛することで愛を感じる人。
猫はいっくら愛を捧げてもそれは当然の行為、つれなくして普通、気が向いた時だけ愛に愛を返してくれる。その度に喜びにうち震え、ついまた愛を捧げてしまう猫族な私たち。愛されるより愛する喜びを知ってしまった私たち。
新聞や雑誌で時々ある「我が家の猫紹介」特集。確実にその何割かの猫は“たまたま家族が引き取って来た猫が、お父さんをめろめろにしてしまった”というエピソードと共に紹介されている。愛する喜びは、かなり強烈なんだと思う。
ケロちゃんも猫族。実家で飼っている2匹の猫。確か2匹とも女の子じゃなかったかな?(違ってたらごめんなさい)。
☆
我が家の猫は男の子と女の子が1匹ずつ。同腹のきょうだい猫だ。今まで飼って来た猫たちは男の子も女の子もいて、それぞれに性格があり、それは性別差というより個体差だと思っていた。初めてきょうだいで男の子と女の子を一緒に飼うようになって、明らかに個体差以前の性別差を感じてしまった。
女の子猫はオンナなんだ。上目遣い、ができる。つれないそぶりで人を翻弄するテクニックは生まれついて身につけている。男の子猫はオトコ。“ボク、王様だもん!”とストレート。素でイジけてみたりする。
女の子の方がより猫らしく、男の子はわずかながら犬的性格も持ち合わせているように思う。
だから、ゆうひくんの猫が男の子というので、ちょっと納得したのだ。ゆうひくんは真実はどうだか知らないけど、イメージは犬派、愛される、人。ケロちゃんは猫派、愛する、人。
☆
我が家の猫たちは、どちらも最高に可愛い。男の子女の子の性差個体差関係なく。男の子には男の子の、女の子には女の子の、それぞれ良さがある。
私も愛する、人、なんだと思う。犬は大好きだけど、多分、一生猫飼い、猫族で生きていくだろうな。一度、愛する喜びにはまってしまったら決して抜け出せない。
あなたも、愛する喜びにはまってみませんか?
☆
余談。
ケロちゃんと猫のエピソード。以前書いたかもしれないが、退団発表があったあの日。絶望的な気分で楽屋口で待ち受けていた私たちの前に、何度か解散、集合を繰り返したあと、やっとケロちゃんが現れた。悲壮な目をしてケロちゃんに駆け寄ろうとしていたはずなのに、ケロちゃんたら、楽屋口を通りかかった散歩中の猫(!高価そうな猫がリードをつけられて犬のように散歩していた)を目を丸くして、嬉しそうにその猫の方ばっかり見ていたのよっ。
あのー、私たちは〜???もしかして猫に負けてたんでしょうか。
本気で、ケロちゃん、猫好きなんだなぁ、と思ったとほほな思い出です。
いや、ゆうひくんの猫の話。今月号のグラフを立ち読みしたのは、お部屋紹介のコーナーがゆうひくんだと聞いたから。
部屋のイラストの中に当然のようにいるグレーの猫。「今年になって飼い始めた雄猫」とあった。ハウルっちゅー名前だから男の子だと思っていたが、やっぱりそうだったか。
☆
先日、緑野こあら師匠とお目にかかった時、話題の一つに当然のように猫の話が出た。師匠も私も完全猫派。猫族。自分ちの猫の愛らしさ(含むバカな話)を語り合う。ああ、猫の可愛さを分かってくれる人と話せる心地よさ。
師匠はおっしゃる。「犬も飼いたいなぁ。愛されたいわ」と。
師匠は以前にも日記でおっしゃっていたけど、猫好きは総じて犬も好き。我が家は一族郎党猫好きの家系だが(この前の実家の物置きのリフォームでは、猫用の屋根付き出入り口を作っていた)、皆確かに犬も好きで以前は犬を飼っていたし、犬を見ると駆け寄ってしまう。犬っつーか動物好きなようだ。
犬好きな人は、猫には興味を示さない。“自分を愛してくれる人”が好きなんだそうだ。
師匠、私が愛してますから、それじゃダメ?猫好きは、犬も好きでしょうが、毎日毎日“愛してまーす!”と言われると、それはそれでうっとおしいと思いますよん?
いやいや、師匠も“愛する、人”なんだと思う。愛することで愛を感じる人。
猫はいっくら愛を捧げてもそれは当然の行為、つれなくして普通、気が向いた時だけ愛に愛を返してくれる。その度に喜びにうち震え、ついまた愛を捧げてしまう猫族な私たち。愛されるより愛する喜びを知ってしまった私たち。
新聞や雑誌で時々ある「我が家の猫紹介」特集。確実にその何割かの猫は“たまたま家族が引き取って来た猫が、お父さんをめろめろにしてしまった”というエピソードと共に紹介されている。愛する喜びは、かなり強烈なんだと思う。
ケロちゃんも猫族。実家で飼っている2匹の猫。確か2匹とも女の子じゃなかったかな?(違ってたらごめんなさい)。
☆
我が家の猫は男の子と女の子が1匹ずつ。同腹のきょうだい猫だ。今まで飼って来た猫たちは男の子も女の子もいて、それぞれに性格があり、それは性別差というより個体差だと思っていた。初めてきょうだいで男の子と女の子を一緒に飼うようになって、明らかに個体差以前の性別差を感じてしまった。
女の子猫はオンナなんだ。上目遣い、ができる。つれないそぶりで人を翻弄するテクニックは生まれついて身につけている。男の子猫はオトコ。“ボク、王様だもん!”とストレート。素でイジけてみたりする。
女の子の方がより猫らしく、男の子はわずかながら犬的性格も持ち合わせているように思う。
だから、ゆうひくんの猫が男の子というので、ちょっと納得したのだ。ゆうひくんは真実はどうだか知らないけど、イメージは犬派、愛される、人。ケロちゃんは猫派、愛する、人。
☆
我が家の猫たちは、どちらも最高に可愛い。男の子女の子の性差個体差関係なく。男の子には男の子の、女の子には女の子の、それぞれ良さがある。
私も愛する、人、なんだと思う。犬は大好きだけど、多分、一生猫飼い、猫族で生きていくだろうな。一度、愛する喜びにはまってしまったら決して抜け出せない。
あなたも、愛する喜びにはまってみませんか?
☆
余談。
ケロちゃんと猫のエピソード。以前書いたかもしれないが、退団発表があったあの日。絶望的な気分で楽屋口で待ち受けていた私たちの前に、何度か解散、集合を繰り返したあと、やっとケロちゃんが現れた。悲壮な目をしてケロちゃんに駆け寄ろうとしていたはずなのに、ケロちゃんたら、楽屋口を通りかかった散歩中の猫(!高価そうな猫がリードをつけられて犬のように散歩していた)を目を丸くして、嬉しそうにその猫の方ばっかり見ていたのよっ。
あのー、私たちは〜???もしかして猫に負けてたんでしょうか。
本気で、ケロちゃん、猫好きなんだなぁ、と思ったとほほな思い出です。
先日、やっと息子のポリオの2回目の予防接種に連れて行ってきた。本当なら18ヶ月までに2回、なんだけど他の予防接種(はしかとかインフルエンザとか)を優先したりして、後回しになっていた。いや、観劇優先にして後回しにしたことは1回しかないですよ!?
予防接種といっても、ポリオは経口摂取。本人も「美味しいもの飲んできたの」という認識だったらしい。甘いのか?1ヶ月ほどは便に菌が排出されるらしいから注意が必要だ。
さて、これで残す予防接種は、三種混合の追種でおしまい。任意でおたふく風邪はしようと思っているけど。
予防接種に関しては、受けられるものは全て受ける方針。でもインフルエンザは効かなかったよなぁ、とほほ。B型にきっちりかかってしまった。妹の子どもも受けたのにA型を発症していたし。インフルエンザ脳症も、予防接種の有無には関係ないという報告がこの前出ていたような気がする。今年の冬はどうしようかなぁ。少なくとも大人は打つだろうけど(私が発症しなかったのは予防接種のお陰かもしれないし)、子供はどうしようかな。
予防接種について、徹底的に調べたわけではないけど、受けるほうがいいと思っている。最近は、なんだか予防接種を受けない主義の人が育児マスコミに時々登場している。理由は、感染者が少ないとか、自然感染のほうがいいとか、副反応が怖いとかいろいろあるみたいだが、受けない主義がカッコいい的ニュアンスの場合もあって、それはどうかと思う。まぁ、私も身近に副反応でひどい目にあった人がいたりしたら、考えは変わるかもしれない。
最近みつけたサイトで参考になるな、と思ったのが以下のサイト。
http://www.mcfh.net/
主に海外での予防接種事情が書かれているが、日本はやり方も丁寧だわ、種類は少ないわ、回数も少ないようだ。海外での予防接種の基本は「自分で考えて自分で接種」のようだ。さらによく読むと、成人でも追加接種が必要なものがあるようだ。私ももしまた海外に行くことになれば、見直したほうがいいかもしれない。前にインドに行ったときも、特に何も考えずいってしまったなぁ。親は最近アフリカ旅行に行っていたが、黄熱病の予防接種は必要なかったのかな?
ポリオも東アジアで根絶されてたはずなのに、最近インドネシアでまたみつかった。インドやアフリカはまだまだ感染地域だし。はしかは日本でも近々2回接種になるらしい。なんでも日本ははしか輸出国として悪評が高いそうだ。いつだったか「ER」を見ていたとき、はしかを発症した子供が運ばれてきたものの、アメリカの医師たちは見たこともなく、診断が遅れてしまった。はしか、と診断がついた途端、病室はビニールで隔離されるは、運んできた救急車は消毒されるわで、SARS状態だった。アメリカとかでははしかはそういう病気なんだな、と思った。
今、日本にはない病気でもいつ日本にやってくるかわからない。子供が大きくなって、医療従事者になるかもしれない。望むと望まざると、海外生活を送ることになるかもしれない。そんな時、安心して生きてけるようにするのも、親からのプレゼントというか義務のように思う。
天然痘は根絶宣言が出ているけど、ウイルスはアメリカとソ連に保管されているわけで(1999年に廃棄予定だったのに、研究目的で廃棄は取りやめになった)、バイオテロの可能性も全くないわけではない。私は種痘を受けたことのある世代だから安心していたら、実はもう免疫も切れているらしい。怖いものだ。天然痘こそ、致死率が副反応よりはるかに高い病気だから、昔は皆接種していたんだろうな。
☆
最近、息子は「2歳時イヤイヤ病」になっている。「イヤ!」ではなく「ナイの!」だけど。
親への要求も覚え、あれせよ、これせよ、と指示を出す。きけるものはきいてやるが、やってられなくなって一喝することもある。何でも思うとおりにはいかんのだよ。
「おかあさんといっしょ」を見せておけば大人しかったのに、最近はダンス付の歌になると一緒に踊れという。体操のお姉さんの「ズーズーダンス」、難しいっす・・・。前田清実先生、親子で踊ることを考えたら、いや、子供はそのうち覚えちゃうだろうから親が踊らされることを考えて、もうちょっとやさしい振り付けにしていただけませんか?(泣)
ジェンヌさんは「難しいからやさしくして」なんて言わないだろう、なぁ。当たり前だ。
必死になって踊っていても、うるさいファンたちは「踊れてない」というし。観客は息子ひとりなのに、へばっている私です。
予防接種といっても、ポリオは経口摂取。本人も「美味しいもの飲んできたの」という認識だったらしい。甘いのか?1ヶ月ほどは便に菌が排出されるらしいから注意が必要だ。
さて、これで残す予防接種は、三種混合の追種でおしまい。任意でおたふく風邪はしようと思っているけど。
予防接種に関しては、受けられるものは全て受ける方針。でもインフルエンザは効かなかったよなぁ、とほほ。B型にきっちりかかってしまった。妹の子どもも受けたのにA型を発症していたし。インフルエンザ脳症も、予防接種の有無には関係ないという報告がこの前出ていたような気がする。今年の冬はどうしようかなぁ。少なくとも大人は打つだろうけど(私が発症しなかったのは予防接種のお陰かもしれないし)、子供はどうしようかな。
予防接種について、徹底的に調べたわけではないけど、受けるほうがいいと思っている。最近は、なんだか予防接種を受けない主義の人が育児マスコミに時々登場している。理由は、感染者が少ないとか、自然感染のほうがいいとか、副反応が怖いとかいろいろあるみたいだが、受けない主義がカッコいい的ニュアンスの場合もあって、それはどうかと思う。まぁ、私も身近に副反応でひどい目にあった人がいたりしたら、考えは変わるかもしれない。
最近みつけたサイトで参考になるな、と思ったのが以下のサイト。
http://www.mcfh.net/
主に海外での予防接種事情が書かれているが、日本はやり方も丁寧だわ、種類は少ないわ、回数も少ないようだ。海外での予防接種の基本は「自分で考えて自分で接種」のようだ。さらによく読むと、成人でも追加接種が必要なものがあるようだ。私ももしまた海外に行くことになれば、見直したほうがいいかもしれない。前にインドに行ったときも、特に何も考えずいってしまったなぁ。親は最近アフリカ旅行に行っていたが、黄熱病の予防接種は必要なかったのかな?
ポリオも東アジアで根絶されてたはずなのに、最近インドネシアでまたみつかった。インドやアフリカはまだまだ感染地域だし。はしかは日本でも近々2回接種になるらしい。なんでも日本ははしか輸出国として悪評が高いそうだ。いつだったか「ER」を見ていたとき、はしかを発症した子供が運ばれてきたものの、アメリカの医師たちは見たこともなく、診断が遅れてしまった。はしか、と診断がついた途端、病室はビニールで隔離されるは、運んできた救急車は消毒されるわで、SARS状態だった。アメリカとかでははしかはそういう病気なんだな、と思った。
今、日本にはない病気でもいつ日本にやってくるかわからない。子供が大きくなって、医療従事者になるかもしれない。望むと望まざると、海外生活を送ることになるかもしれない。そんな時、安心して生きてけるようにするのも、親からのプレゼントというか義務のように思う。
天然痘は根絶宣言が出ているけど、ウイルスはアメリカとソ連に保管されているわけで(1999年に廃棄予定だったのに、研究目的で廃棄は取りやめになった)、バイオテロの可能性も全くないわけではない。私は種痘を受けたことのある世代だから安心していたら、実はもう免疫も切れているらしい。怖いものだ。天然痘こそ、致死率が副反応よりはるかに高い病気だから、昔は皆接種していたんだろうな。
☆
最近、息子は「2歳時イヤイヤ病」になっている。「イヤ!」ではなく「ナイの!」だけど。
親への要求も覚え、あれせよ、これせよ、と指示を出す。きけるものはきいてやるが、やってられなくなって一喝することもある。何でも思うとおりにはいかんのだよ。
「おかあさんといっしょ」を見せておけば大人しかったのに、最近はダンス付の歌になると一緒に踊れという。体操のお姉さんの「ズーズーダンス」、難しいっす・・・。前田清実先生、親子で踊ることを考えたら、いや、子供はそのうち覚えちゃうだろうから親が踊らされることを考えて、もうちょっとやさしい振り付けにしていただけませんか?(泣)
ジェンヌさんは「難しいからやさしくして」なんて言わないだろう、なぁ。当たり前だ。
必死になって踊っていても、うるさいファンたちは「踊れてない」というし。観客は息子ひとりなのに、へばっている私です。